5年前
ひょんな事から都心を離れ、田舎の高校へ転入することになった。
親から言われた時も別に嫌だとか、そういう感情は一切浮かばなかった。
友達なんてのは居ないし、黙っていても女の子は寄って来た。
「荷物纏めておくのよ。」
そう言われても、持って行きたいモノなんて、俺には何もありはしないんだ。
学校が鉄筋から木造建築になり、クラスが学年にたった二つずつになっても何も変わらない。制服だけは相変わらず似合いもしない学ランで。
田舎の学校に期待なんてしていなかったけどー・・・。
学校という小さな世界に住む住人が減った分、かえってやり難くなったかも知れないと、胸ぐらを掴まれながら考えてみる。
「有川テメェ、顔が良けりゃ何したっていいのかよ・・!」
「知らないよ。」
ああ、皺になるかも。
力一杯拳を震わせている彼は、田村というらしい。名前の刺繍糸の色で上級生だと分かるが、全く知らない人間だった。というか、こうして顔を合わせたのは絶対に今が初めましてだ。
「人の・・!人の彼女盗りやがって・・!!」
そう言われると、残念ながら思い当たる出来事があった。
いつも何となく登る屋上で、泣いていた女の子に声をかけた。
そこで開けた扉を閉めて見なかった事に出来る性格じゃないし。
隣に座って、話を聞いた。案の定、彼氏の悩みだった。女の子が泣くのって、大抵男の事だ。
「ありがとう。」って笑うから、安心して良かったって思って、油断した。
この田村みたいに乱暴じゃなく、もっとティッシュでも摘むようにワイシャツを引っ張って、キスされたんだった。
そうか、あの人の彼氏か。そりゃあ怒られても仕方ないのかもしれない。
でも似た者同士というか、二人とも僕の胸ぐらを掴むなんて。
「!!て、てめ!何笑ってんだよふざけんな・・!」
振り上げられた拳の衝撃に備え、反射的に歯を噛み締める。
これは引っ越して来て初めて腫れるかもしれない。
もうこういう事ないだろうと思ってたのになあ。
「田村なにしてると!」
振り上げられていた拳がピタリと止まる。
声の先に居たのはこの男の彼女ではない。
なんてことない普通の女の先輩、に見えた。化粧っ気なんて無く、髪も制服も規則に従ってキチンと着ている。
あまり関わりのあるタイプの女の子ではない。
近寄ってくるのはむしろ規則に反発するような女の子で、俺もそういう女の子達が嫌いじゃない。気持ちが少し分かる気がするから。
だからこういう人を見ると、ちょっと謙遜してしまう。
きっと俺の素行知ってるし、自業自得だって思ってる。
俺だって、自分でもそう思ってるし。
「ナマエ。ありさがこいつに手出されたき。許せんわ。」
・・・俺が手出したってのは、誤解も混じると思うけどね。まあ説明する気はないけど。そういうの面倒だ。
ナマエという名前らしい先輩は ”こいつ” が誰か最終確認するべく俺をちら見して、また田村を見据える。
その横顔が真っ直ぐで、力強く、透明で、頬も赤くなんか染まっていなくて、それがすごく・・・・新鮮だった。
それは初めて目にする女の子の表情だったのかもしれない。
「疑いたくなるのは分かるけど、有川くんは彼氏いる子には手出さんよ。そんなんして田村みたいに一々突っ掛かられてたら身がもたんはずやもん。受験前にこんなトコ見られて内申に書かれたらどーすんのっ。
ありさの志望校に通うつもりで頑張ってるんやろ?最近勉強勉強で寂しがってたき、一緒に帰るくらいしてやりい。まだ靴箱にいるはずやから。」
ほら、行った行った!
そう言って引かれている後ろ髪を払うように田村の背中にバシバシと喝を入れ、見えなくなった背中に解放されたように俺の隣に座り込んだ。
「あ〜!良かった、何にも無くて。
田村本当は喧嘩とか無縁やし、色々重なって気が立ってただけやから許してやってね。」
「・・・こうやって話すの今日が初めてですよね?」
「ん?ああ、そうやね。そういえば。」
一度話した相手は忘れない。
ナマエという名の先輩の瞳も声も見覚えが無かった。
「私は有川くんの事知ってたけどね。」
その一言に、条件反射的にウンザリとしてしまう。助けて貰った身分で悪いとは思うけど、俺に好意を自覚させるための女の子のお決まりの台詞だから。
しかし言葉の続きは予想とは違っていたらしい。
「ほら、屋上によく来るやろ?私もお気に入りなんよ。有川くんは上まで登って来ないけど、まだ上に登れるとこ。給水塔の上ね。あ、でも秘密よ?有川くんも登っちゃダメよ!」
しーっと唇に指をやり歯を見せて笑う顔は、顔に傷でも付けていそうな子供のような笑顔だった。
「だから見てしまったんよね。ありさがキスするの。ごめんね。
気をつけな、って言うのはおかしいけど、気をつけてね。有川くん目立つからさ。」
そして話は終わったとばかりにサッサと立ち上がり、背中を向けて歩き出してしまうものだから驚いた。
確かに今はハプニングの反動で気の利いた一つも言えやしないけれど、この先輩には助けた恩を売っておこうとか、もう少し話したいとか、そういう気は全然ないのだろうか。
少なくとも俺は、まだ話し足りていなかった。
「辞めれば、とは言わないんですね。」
ややあって、後ろ姿が振り向いた。
そして濁り無くこう言い切った。この日の事を、俺は一生忘れられないと思う。
「だって有川くんと居る女の子、みんな幸せそうやき。
止めてあげられないのは有川くんの方やろ?」
酷いでしょ?
こんな事へーきな顔で言い残して、何にも求めてくれないんだから。
俺はどうすればいいの?って。ホント、責任とって欲しいよ。
それからナマエ先輩が卒業する日まで執着し続けたんだけど、今までのやり方でどんなに優しくしてどれだけの愛を囁いても、結局一度も照れる表情すら見せてくれないまま。
卒業式の日に告白したのになぜか取り合ってもらえず仕舞いだったし。
地元の大学に進学したのは知ってたけど、まさかココで出会えるなんて・・・。
差し出した腕に掴まり僕を見上げる先輩は髪が伸びて、表情も大人びたように思う。
それでも何一つ変わっていない、決してなびいてくれないナマエ先輩が目の前で動いているのが信じられないくらい嬉しく、そしてやっぱり赤面すらしてくれないのが虚しかった。
でも、5年前とは違う。
5年前より、きっと二人には時間がある。
「俺を好きになってよ。」
今度こそって、ガラにもなく胸を高鳴らせ、戦線布告。
きっと今回は止めてあげられない。
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