スキ だらけの
ー「大丈夫ですよ?リヴァイさん。
だからリヴァイさんも気にしないで。」
気付いたのだ。
まるで大人の女のような余裕のある台詞を吐き捨て、最後の一口を運ぶべくスプーンを握る手が、微かに震えていると。
そして可笑しなほど落ち着き払っている理由も、大体見えた気がした。
ほう、どうりでナマエらしくない訳だ。
「手が震えているぞ。」
どうかしたのかと、なんて事ないように問うと瞬間、沸騰するように赤面したナマエに吹き出しそうになる。
「いわ、言わないでください・・!」
こうなるともう、スイッチが入ったように苛めたくなるのは男の性だろう。
「なあ、顔も赤いが、また熱がぶり返してんじゃねえのか?」
額に寄せようと伸ばした手を押し返し、そのまま距離を保つように突っぱねる両腕の効果が余りにも脆いことをナマエは知っているのだろうか。
「何だよ、お前が大人しくしてなかった所為で熱がぶり返してたって怒らねえから熱計らせてみろ。」
「これはそういうんじゃないんで!!大丈夫です!!」
「あ?じゃあどういうのなんだよ?」
ガタリと立ち上がり、少しずつ縮まる距離に応じて突っぱねられていた両腕が逃げるように引いていく。
反れることのない視線に逃げる事もできない茶色の瞳が俺を見つめ返したまま嫌々と揺れる首に、口角が上がる。
細い上半身がもたれている椅子の背へ手をかけ見下ろすと、今はもう膝のスカートにしがみ付いている両腕と、流れて分かれた髪の間から白い頸が見えた。
「ナマエ。」
「は、はい!」
「何が気にしないで、だ。この阿保。」
「ごめんなさい・・!」
わっと弱々しく声を荒げ、ようやくいつもの調子でナマエは話し始めた。
「ホントは恥ずかしくて死にそうです・・!
だってだってあんな距離・・!!ドラマの恋人同士みたいじゃないですか!」
いや、俺だって今朝は同じように思ったが、こうして改めて言われると恥ずかしいものである。
しかしドラマの恋人同士って何だよ。何でドラマがつくんだよ。ようするに、免疫が無いらしかった。
「でもハンジさんに聞いちゃって。リヴァイさんは外泊出来ない人だって。嫌なんですよね?
だから私が頼んだ所為で嫌な事我慢させちゃったのに、私が恥ずかしがるなんて駄目じゃないですか!
だからフツーに、フツーにして、何でもなかった事にしようと・・。」
「成る程な。」
俺の頭の中は、余計な情報をこいつにくれてやった隣人への礼を何にしてやろうかと黒い思考で一杯だ。
ナマエが鈍すぎる故に結論が明後日の方向へ辿り着いたから良かったものの、普通の女であれば間違いなく好意を自覚させる決定打になっていただろう。
部屋を隔てている壁の向こうにいるであろうクソ眼鏡へ殺気を送っていると、しばし黙り込んでいたナマエが俺を見上げた気配がした。
さっきまで揺れ惑っていた瞳は芯を持ち直し、一直線にこちらを見つめる眩しいほど無邪気な視線が、胸を高鳴らせつつも苛立たせる。
こいつは誰にだって、こんな風に瞳を向けてしまうのだ。
「でも、私は嬉しかったです!
目が覚めて、隣にリヴァイさんがいて。
そりゃあ腰が抜けるくらいびっくりしましたけど、でも、すごく嬉しかったんです。
何だか一人でベッドに横になると、寂しく思ってしまうくらいに。
だからあの、ありがとうございました!我慢させちゃってごめんなさい。」
返す言葉などない。
余裕ぶって背のびしていたナマエをからかってやろうと企んでいたのも、ハンジへの殺意もその他もろもろ全部攫われてしまったように真っ白な頭では考える気力さえない。
一つ残ったのは今、腕の中へもう一度収めてしまいたいという思いで。
理性すら奪われた身体は驚くほど簡単にナマエの頭に両腕を回し、己の身体へと押し付けた。
「リヴァイさ「嫌だったら眠ったりしない。」
込み上げた想いを減らすように一度深く息を吐き出してみるが、少し冷静になった顔に熱を昇らせるだけだった。
それでも開放したくはなく、確かめるように少しだけ力を込める。
熱いのはナマエの肌か吐息か、自分のものかの区別も分からないくらい逆上せている感覚がする。
「寝付きが悪いんだ。
だから嫌だったら絶対に眠ったり出来ないし、それに帰ろうと思えば帰ってた。そういう性分だからな。
だから帰らなかったのは俺の意思だ。謝らなくていい。」
強がりの残った精一杯の言葉だった。
俺も嬉しかったと一言言えば伝わるのに、自分でも馬鹿らしいほど遠回しな台詞に自嘲してしまう。
ナマエの手が俺の背中に回り、シャツを握ったが聞こえきた言葉は「でも、」だった。
「あのクソ眼鏡・・まだ何か吹き込まれた事があんのか?」
確かに思い当たる節など、まだ易々と一つ二つ三つ思い当たる。だから電話口で余計な事は喋らなくていいと言っておいた事など、ハンジの口相手では糠に釘を打つようなものだったのだ。
「いえ、そうではなく・・リヴァイさん疲れてるように見えますし。」
「疲れてる?」
腑抜けた顔を見られぬようにと閉じ込めていた腕から力が抜けたので、こちらを見上げたナマエとしばし見つめ合う。
「気のせいでした?気のせいだったらいいんですが。」
「いや、」
確かに今日は、状況に振り回され続けた身体に心労疲労がずっしりと纏わり付いている。
「確かに、」
しかし、ナマエの前でそれを溢すような事などしないし、こんな事ホントは言いたくないがナマエと会ってから疲れていた事など忘れてしまっていたのに。
こいつは見抜いたのだ。
途端に、舞い上がってしまいそうな喜びが湧き上がる。
「疲れてる、かもな。」
ずっと一緒に生きてきた訳でもないのに、どうしてこいつには分かるのか。
どうしてこいつに限って、理解されてしまうのか。
こうなるともう、気持ちを殺しておくのが辛くなる。
「やっぱり!ちょっと寝転がってください!」
「は?」
得意げな笑みに、物凄く嫌な予感がする。
「お詫びにマッサージさせてください!」
ああ、やっぱり。
さっきまで恥ずかしい恥ずかしい言ってた癖に、何をこいつはふざけたことをー「私得意なんですよ。家族にも評判良かったですから。」
「いや、だからお前の腕の問題じゃなくだな。」
「もしかして恥ずかしがってます?一緒に寝てたじゃないですか!マッサージくらい何ともないですよ!」
「だからそれをお前が言うか?待ー」
て。
と、待ったをかけようとしたはずが、いつの間にか転がされてしまった。なるほど。こうも簡単にナマエなんかに転がされてしまうとは、確かに相当疲れているらしいと四肢を投げ出したまま考えてみる。
「!こら!乗るんじゃねえ!」
「男性陣にする時はこうした方が体重かけれていいので乗らせて下さい。」
「・・ちょっと待て男にこんな事してんのか?!」
直ぐに浮かんだイメージは家が近所で義務教育の長い9年間を同じ学校で過ごした爽やかな面の幼馴染らしい青年B。
「はい。お父さんです。おじいちゃんにもしてあげますけど、おじいちゃんは女性陣と同じ力加減でしないと怖いので乗りませんけどね。」
即座に俺のイメージをぶち壊す話をするナマエはいかにも鼻高々といった感じで。
ナマエにとってマッサージはただのマッサージであり特技であり、そこに卑猥な感情など全くもって付け入る隙は無いのだと悟った。やはりナマエはこういう奴なのだ。相手が幼馴染の男で無かっただけ良かったじゃねえか。
「・・もう勝手にやってくれ。」
「はい、お任せを!頑張ります!」
ギジリとベッドが軋み、うつ伏せの背中へナマエがまたがる。 その状況に俺の疲労感は濃くなる。
「肩から解しますね?ってうわ!かった!石?石ですか?!」
「・・・・・・。」
てめえがやるっつったんだろうがよ、おい。
その後も「えー」やら「ひゃー」やら、失礼な声は続きつつもナマエの手は働き続けた。
人の身体を解すというのは意外にも力と根気のいる作業であり、ひ弱な体つきのナマエであれば割りかしすぐに済むのだろうと思っていた。
「リヴァイさん、お休みないのですか?」
摩擦で肌を温めながら少し弱いくらいの力で解されると気持ちが良く、確かに上手い。
ナマエが力を込める度に僅かに起こる身体の揺れもまた心地よいものだった。
「ん・・エルヴィンにとるよう言われてるが断ってる。どうにも気が乗らなくてな。」
もう既に眠りかけていたのかもしれない。
エルヴィンなどと言われても、ナマエが分かる訳ないのに。
それを分かってかナマエも特に何も触れず、「もしかしてお休みするのが苦手です?」と続けた。
ああ。それは「苦手だ。どうすればいいか分からなくなる。」から。
「私のおばあちゃんと同じですね。」
「おばあちゃんってお前な。」
確かにもう若いとは言えない歳だが。
凝りをほぐすために肌を流れていた指先が触れる程度の軽いものになり、不思議に思うと同時に背後からナマエの声が響いた。
「お疲れ様。いつもありがとうねえ。そろそろ一緒に休憩してくれん?一人じゃ寂しいき。
・・・って言わないと、止まってくれないおばあちゃんでした。優しくて優しくて、周りが気になって休めないんですよね。リヴァイさんと似てます。」
降ってきた声はどこまでも穏やかで優しく、毛布のような温かさでふわりと全てを包んだ。
肩を解していた手は慰めるように撫でていたのだ。
なんとか「ああ。」とだけ声を返して、より深くマットレスへ顔を埋めた。
見ぬフリをして長年抱えてきたぐちゃぐちゃとした想いがすぐそこで溢れ出しそうに押し寄せている。
疲れを指摘されたのも、こんな言葉をかけられたのも初めてだった。
ナマエは自分の祖母に俺を見重ねて言ってみただけだろうが、俺を癒すには十分効果があった。
「リヴァイさんは何と言われれば止まれるんでしょう。」
「・・お前には敵わない。」
「ふふ。本当ですか?じゃあ疲れたらうちに来てくださいね。出来ればここまで身体を凝らせる前がいいです。」
ナマエはからかうようにそう言って、解し続ける。
もう随分長い時間、自分のために動いている一回り小さな手を引き、驚いた声は聞こえないフリをして組み敷いた。
ナマエは驚いてはいるものの焦りや恐怖といった類いの感情は一切携えておらず、どれだけ俺は信用されているのだろうと、切なさでむせ返りそうになる。自分の身体の下で無造作に広がったスカートと少し捲れたティシャツの裾の隙間から覗く肌色と曲線に、こんなにも胸を高鳴らせてしまう普通の男なのに。
「来なきゃ駄目なのか?」
「へ?」
「俺が疲れる前に、お前に来て欲しい。」
俺は何を言ってるんだ?
頭は戸惑いで一杯なのに、心はそれが正しいと信じて疑わず地に足を着けている。
ナマエの顔がみるみる嬉しそうに綻び、間違いではなかったと思い知らされるが、腑に落ちない。だって行きゃいい話なのにわざわざ相手に来させるなんざ、どう考えても自分勝手で横暴なだけの願いじゃねえのか。
「行きます、任せてください・・!」
それなのになぜ、こいつはこんな嬉しそうな顔をする・・?
「呆れないのか。」
「なぜ呆れるんです?」
「どう考えても、俺が来るのが筋だろう。」
「そんな事ないですよ、だって」
頬にナマエの手がそっと添う。
「いつも私が待ってばかりなんですもん。
お客さんだからそれが当たり前なんですけど、私が行けたらいいのにって思って、でも待つしか出来なくて。お客さんだから。
だから来て欲しいって言われてすごく嬉しいんです。
ようやく友達になれた気がします。」
組み敷いたことを後悔した。
顔を背けてもナマエから隠れることなど出来ず、赤い顔のまま晒すようにナマエに目を向けておくしか出来ないからだ。
ナマエの方はケロリとこれまた嬉しそうに微笑んでいるのが悔しい。どうしてこの状況で恥ずかしがらずにいられるのかが分からなくて腹が立つ。
にこにこ笑ってなんかいないで、とんでもなく嬉しい言葉を俺にかけていると、少しは自覚しろこのクソ餓鬼田舎娘。
「お前、東京じゃ男は俺以外マッサージ禁止な。」
分かったかとまだ熱の集まった顔で言いつけても、威厳もクソもないが。
今俺のこの状況を誰かに譲るなんてのは、チラリとも考えたくない。
「私まだリヴァイさんしか男友達いないんです。」
それが照れ臭い事のようにナマエは少し小さな声で言う。
「ならいい。」
分かっていたが、その言葉に心底安堵した。
このまま俺だけに遊ばれこっそり守られてればいいと思う。
が、明日から始まるバイトでのナマエを思うとそれは無理だろう。
「あまり他の男に懐くんじゃねえぞ。」と念を押す勇気も権利も無い友人の自分では「バイト先で何かあれば何でも言え。」とそれだけをこっそり言い残すしか出来ない。
”何か”の事態に思い浮かぶのが俺であるよう、ほとんど祈りながら。
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