浮かれる友人H。



「あー!いい1日だったあー!」

茜色の空に高らかな声が響く。

歩く脚に合わせて振り子のように踊り狂うレジ袋の中には、ワンカップが一つ。
今夜の晩酌にはツマミなど必要ない。

お酒がするする進むような危険なツマミが、家に帰れば待っているのだから。ふふふ!

鼻歌に合わせて登るべき階段を上がっていく。
階段、というのは嫌いでは無かった。
エレベーターなしの5階というのは、友人や酔い潰れた私を運ぶ部下には非常に評判が悪い。

そりゃあ実験に失敗した帰りや実験に失敗した帰りや実験に失敗した帰り、なんかの階段は、ただ寝床までの道のりを遠ざける嫌がらせのようにしか思えないけれど。

それでもこんな日には、まるで一段一段が鍵盤のように見えて、飛び乗るたびに愉快な音が奏でられそうな気がする。

それにあの部屋に住んでいなければ、今日という最高の日は訪れなかったのだから。
「どうせあまり帰らないし」と家賃の安さに釣られて渋々契約の判に手を伸ばした当初の私の肩を抱いて、あんたの考えは素晴らしいものだと代わりに笑顔で契約書へ判を叩き押してやりたい。

何しろ、もう何十年の付き合いになる友人。これまで性格の難ゆえに(それも一つではない)女っ気なんて微塵もなかった男が、隣の部屋から朝帰りしていたのだ。うひょー!それもまだ上京して間もないピヨピヨの雛みたいな女の子の部屋から!

「ぐふ!ぐふふ・・!」

ああ、なんて素晴らしいんだろう!
リヴァイのやつ、鬼みたいに仕事に噛り付いてた癖にちゃっかり女の子を見つけちゃって!
それもあんなに、無垢で無邪気で目が離せない女の子。守りたい女の子とでも言うべきだろうか。
身長はリヴァイと同じくらい、全体的にかなり細身で胸も・・・

「ハ!・・いかんいかん、職業病のせいで分析してしまった。」

トッと、5階のフロアへ両足が揃った。

さあ、楽しい夜の幕開けだぞ・・!

鼻息荒く部屋へと向き直った視界に、「あ!おかえりなさーい!」と声が聞こえる。

私脳内を今朝から陽気にしている、まさしくその女の子。

「ナマエじゃないか!こんな所で何やってるの?リヴァイはまだ来てないんだろう?」

「へへ、まだなんですけど、なんだか待ちきれなくって。」

ああ、可愛い。
少し照れたように埋めた膝山から覗く睫毛と瞳。寒くて少しだけ赤くなった鼻も見えている。リヴァイに見せるにゃ勿体無いなぁ。

ついつい獣のように顔の横へ構えた両手を慌てて下ろすと、何か思い出したらしいナマエがピョンと立ち上がった。

「そうだ!ハンジさんちょっと待っててください!」

そうして直ぐに部屋から戻ってきたナマエが手に持っていたのはガラス製のタッパーだった。
中にはトロトロとしていそうな、赤茶色の液体がたっぷり。

「ビーフシチュー?」

「そうです!よろしければ。」

手のひらで受け取るとじんわり熱が伝わって、出来立てらしい。

「わぁ!嬉しいな。有難く頂くよ。」

一気に空腹を感じ、口内が潤う。
ビーフシチューは好物だった。

「手料理を食べるのは久しぶりだ。」

「またお裾分けさせてください。こんなので良かったら。
温かいうちにリヴァイさんに出せればと思ったんですけど、」

「やっぱりもうしばらく時間かかりますよね。」と言ったナマエ。
それでココであの男を待っていたのだと気づく。
もう居ても立ってもいられない。

「そんな事ないさ!きっともうすぐ来るよ!」と急いで言葉を残して別れの挨拶も程々に自分の家へと入り、すぐに携帯を取り出して”リヴァイ”の文字をタップ。思い立ったら即行動が私のポリシー!善は急げ!

幸いこの仕事人間も今日ばかりは定時で抜けて来たらしく、いつも繋がらない通話が繋がってホッとするやら、からかいたいやら。

「何か用か?」

「あ、嫌そうな声出さないでよー今日は残業しなかったんだね。」

「チッ、切るぞ。」

「ちょ!待ってよ、ダメだよ、まだ話があるんだから!
会社も早く出たみたいだけど、もっと急いだ方がいいよ?」

「何でだよ。」

「私今帰ったんだけどさ、ナマエが玄関先で待ってるんだよね〜。」

「・・・。」

「ご飯も作ったみたいで、やっぱり温かいうちに食べ・・・ちょっと?リヴァイ?」

ー・・ツー、ツー、ツー

突然一方的に切られた虚しいはずの通話音が、こんなにも心を安心させるとは。

「やっぱり今日は最高の日だ!」

ほかほかと香りを漂わせるビーフシチューの隣にワンカップを並べ、魅力的な晩御飯へとかぶり付いた。

きっと今、今朝以上に急いでいるに違いない友人と鼻を赤くした隣人に乾杯。


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