厄日のミルフィーユ



どうしてあんな事をしてしまったのか。
制服に腕を通しながらぼうっとしてしまう程思考してみても、答えは見えてこない。

一緒に眠るなんて。

しかもその後何をしようとした?

ー手の中に寝顔を収め、何をしようとした?


必死に考えて纏めようとしても、こんがらがって散らかるだけだった。

それに今日は長に就きながらも遅刻しそうになってしまった身。
心持ちを正さなければと顔を引き締めた直後、同期の鼻がなった。

やばいと気付き咄嗟に身を引いても、もう遅い。

「女の匂いがする。」

周りに部下がいる中、ヤケにはっきりと聞こえたように思う。

今思い出しても頭が痛く、あの場でどう躱せば誤魔化せたのかも未だ思い付いていない。

思わず「匂うのか」と、おうむ返しするしか出来なかったのだ。
一晩一緒に眠っていたワケだから、いくらナマエが香水を纏うような女では無くとも他人に気付かれるくらいの香りは移っていて当たり前なのに。
しかもよりによって、同期にこんな犬みてえなのが居たんじゃ堪らない。
多分ミケにははっきりと”女の匂い”だと断定出来たんだろう。
寝ぼけて嗅いだあのナマエのシャンプーの香りでも移っていたのかもしれない。確かにあれは明らかに”女の匂い”だ。

せめて周りに部下さえ居なければ、ミケはどちらかと言うと寡黙で自分からは色々話さない人間だから広まらずに終わった話だが・・。

確認出来た部下の顔はどれも驚いていて、二人だけの話に留めるのは無理そうだと舌打ち一つで諦めるしかなかった。

しかし朝から最悪のタイミングで面倒な友人と出くわし、人生で初めて遅刻しかけ、オマケに何故かその理由までばら撒いても仏滅である今日の不運は終わらなかったのだ。


行きがかりにあるケーキ屋が目に入って、足が止まった。寝ている間に腕の中へ綺麗に収めてしまった後ろめたさ、そして何より気付かれてはいない未遂の口づけが、罪悪感で胸を酷く重くしていた。
手ぶらで会うのは気が引ける。
ナマエだってああしていて成人した女であり、もしかしたら事に至ったのかもしれないと心配して青ざめさせてしまったのは寝ぼけていたとは言え、やっぱり俺のせいだった。男一人仕事帰りにケーキ屋に寄るのは気恥ずかしさもあったが、せめてもの罪滅ぼし、そして出来れば、少しでも喜ばせれるなら・・。

思い切って自動ドアを開くべく一歩を踏み出した。


ー・・これが間違いだった。


俺を感知した扉が開き、取り付けられたベルがカランと来客を店内に知らせる。
店員が「いらっしゃいませ」と一声寄越し、ショーケースの前にいた金髪のシルエットが俺を二度見して固まった。瞬間、自分の選択を死ぬほど後悔した。


「あ・・・配達長もケーキを買いに来たんですか?」

「・・・・まあ、な。」

ああ・・最悪だ・・。こんな場所で並んでしまうなんて・・・とてもじゃないが目を合わせられない。
男二人気まずい空気の中、ショーケースへ辿々しい視線を揺らす。
正直どれだっていいから早くこの店から出たいのに、アルミンの前でケーキを指差し「これとこれと、」なんて様を見せたくないし、さっさとこの場を後にしたい気持ちも同じくらいに大いにある。
それでも入店してしまった以上踵を返して出て行く訳にも行かない。何か買わなければ。しかし、アルミンの隣でどうしてもケーキを指定したくねえ・・!
ケーキの名前を読んで指定しようにも”ムース・ア・ラ・ピスシュ”だとか”プラリネ・ショコラ・ぱ、ぱらーぬ・・”だとか、呪文のように並ぶ横文字に歯軋りしたくなるむず痒さがこみ上げ、とても読み上げる気になれない。

頼むから先に注文してさっさと出て行ってくれるようにと、身体の側面から渾身の念をアルミンに向けて送る俺は、アルミンの視線がケーキからこちらの小脇へ移っているのに気付けなかった。


「配達長、その荷物・・。」

「・・・・・。」

アルミンを見、そして視線の先を見た。

”えびせんべえ”

そう堂々と刷ってある元海老煎餅が入っていたであろうダンボール。
このダンボールの行き着く先である、ナマエの名前と住所が記された伝票。

「それは・・・「誰にも話すな。分かったな?」

にっこりと笑ってみせた。
俺の笑顔にとんでもない威力がある事は、ハンジ辺りで身に染みて実感している。怒り顔の比ではないらしい。どこまでも失礼な奴だと、お望み通り笑顔で頭上に一発落としてやったのは随分若い頃だったが、あれから久しくこのカオは使っていなかった。

大慌てでショーケースの上に陳列されていたケーキ用のキャンドルを掴み、店員に突き出したアルミンを見ると、やはりハンジの言っているのはあながち大袈裟ではないのかもしれない。・・複雑な気分だが。


「お、お先に失礼します!ありがとうございました!」

キャンドルが一つ入った紙袋を握り締め、店員のような台詞を残してアルミンが去り、ようやく落ち着いてケーキと向き合った。

元々俺の前にアルミンが担当だったのを代えた原因であるナマエの名前を、賢いアルミンの頭はまだ忘れてはいないだろう。伝票を見て、ケーキが必要なワケとその受取人まで察したに違いない。

「これと、これをくれ。」

さて。刺した釘は何時までもつのか。

そしてこのケーキは気まずい思いをした以上に効果を発揮してくれるのか。

渦まく感情を一つずつ綺麗に落としていくようにゆっくりとナマエの家へ向かう道を歩いた。


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