第一章-狐のお守り-其の三

「おかわりヨロシ?」
「はい、どうぞ。」

空腹を切実に訴える猫又…神楽ちゃんから悪意を感じられなかった私は、一先ず彼女を屋敷に連れ帰ることにした。
銀さんと新八くんは盛大に反対したが、猫又とはいえ幼気な少女にしか見えない神楽ちゃんを痛めつけるのはもちろん、山へと追い返すことはあまりに気が引けたからだ。

「神楽ちゃん、本当にご飯と漬物だけでいいの?お肉とかお魚とか焼こうか?」
「チャラ付いたおかずに興味はないネ。でも佃煮とかあると嬉しいアル。」

お腹が減ったと切実に訴える割に、随分控えめなおかずのリクエストがいじらしい…その食欲は人間の常識から大きく外れてはいたが。
しかし頬に米粒を付けた状態で必死にご飯を掻きこむ姿は、小動物のような愛らしさと癒しを感じさせてくれる。
なんて可愛い猫又なのだろう。

「佃煮ね。分かった、すぐに持ってくるね。」

私は早速神楽ちゃんの要望に応えるべく、新八くんが米を炊いている大炊殿(おおいどの)へ走った。

***

「おい、クソ猫。テメーなにちゃっかり飯食ってんの?か弱いガキみたいな演技しても無駄だかんね?テメーの頭が柱をカチ割って家ぶっ潰すところはちゃーんとこの目で見てっからね?」
「だからなにネ?お腹を空かせた可哀そうな少女を追い出す気アルか?」
「何が可哀そうな少女だ。テメーが最近この辺りで漬物やら干物やらかっぱらってる泥棒の正体だってのはわかってんだよ。」
「飢えを凌ぐために仕方なくやったことネ。大目に見ろヨ。」
「何が仕方なくだ!何升食えば気が済むんだよ!どう見ても飢えて弱ったガキの食う量じゃねーだろ!」
「成長期だから仕方がないネ。」
「見た目はガキでもオメー二十歳は超えてんだろ、猫又。大体何なのそのアルアル言葉。子供アピールに外人キャラアピールって欲張り過ぎだろ。」
「私のマミーは高天原の生まれネ。葦原中国(あしわらのなかつくに)の言葉はちょっと難しいアル。」
「高天原って…天地開闢(てんちかいびゃく)の時代まで遡るの!?神代の時代からこの国に住んでるくせに未だに片言ってテメーはどこのデープ・スペクターだ!」
「私が生まれた頃にはもう平城京はあったネ。そこまで歳食ってないアル。」
「今の都は奈良じゃなくて京だよ!平城京なんて二百年以上前の話じゃねーか!十分年増だっつーの!」
「レディに向かって歳の話は失礼アル。デリカシーのない狐ネ。」
「なーにがレディだ、化け猫。…目的は何なんだよ。」
「決まってるネ。今日からここを私の狩り場にするネ。」
「は?」
「あの小娘は私の愛らしさにメロメロネ。ここにいれば毎日腹いっぱい食わせてくれるに違いないアル。」
「はあああ!?ふざけんな!ここは俺の狩り場だ!一日二回のおやつが自動で出てくる貴重なタカリスポットを渡してたまるか!」
「ハ!おっさん狐はとっとと出ていくヨロシ。今日からここは神楽様の城ネ!」
「んだとコラァァァ!!」

***

新八くんと共に佃煮と追加の白米を手に戻ると、銀さんと神楽ちゃんの間に漂う空気が大きく変化していた。
神楽ちゃんが豪快に白米を平らげる姿に変わりはないのだが、銀さんが纏う気配がどうもおかしい。
苛立ちを露わに、ぴりぴりとした怒りで空気を揺らす銀さんの尻尾は逆立っていた。
二人きりにしたわずかな間に一体何があったのだろうか。

「どうしたの?二人共。」
「●●!今すぐこの馬鹿猫追い出せ!こいつオメーをカモるつもりだぞ!」
「銀さんと何が違うんですか?」

新八くんの冷静な指摘に銀さんが口籠った。
…なんとなくわかっていたが、やはり銀さんがここに滞在する理由はタカリ以外にないのだろう。
ヒモ男を囲っているという現状を改めて本人から申告されると、領主としても巫女としても情けない気持ちになる。

「神楽ちゃん。昆布とあさりの佃煮しかないんだけど、これでもいい?」
「私昆布大好きアル!」
「よかった。」

佃煮を受け取る神楽ちゃんを見ていると、こちらの口元まで緩んでくる。
税金でニートを囲っているという現実を一瞬でも忘れさせてくれるその可愛らしさに、胸が高鳴った。

「おーい、●●さん?俺の時と態度違いすぎない?俺がパフェ食べたいって言った時、もっと当たりきつかったよね?そんな簡単に用意してくれなかったよね?」

おかわりの白米を装っていると銀さんがおずおずと声をかけてきた。
山中でふてぶてしくパフェを要求してきた銀さんと、満面の笑みで白米を要求する神楽ちゃんとでは、対応が変わるのは当たり前だろうに。
私は背後でうろちょろする銀さんを無視して神楽ちゃんに話しかけた。

「神楽ちゃんはどこから来たの?」
「西ヨ。美野国にいたネ。」
「それがどうして武蔵国に?」
「私が住んでた山、人間との戦で焼けちゃったネ。仕方がないから食べ物がある場所探してちょっとずつ移動してたらここにたどり着いたヨ。」

歯に佃煮をこびり付かせたままあっけらかんと、神楽ちゃんは言った。
思わず言葉が詰まる。

「…一人で?」
「うん。私家族いないアル。」

一生懸命ご飯を頬張る姿からは想像もできないほど、悲しい経緯だった。
妖は人間ほど団結意識を持たず、単体で行動する者が多いという。
種族によっては親や子という概念を持たず、森羅万象の一部として自然発生するものもあるというが、彼女も一人で永い時を生きてきたのだろうか。

「…そっか。これからどうするの?」
「ここは漬物とか干物がいっぱいあるから、しばらくここで暮らそうと思ってたけど…。漬物食べちゃダメアルか?」
「…うん。勝手に盗っちゃダメなの。」

通貨はもちろん物々交換という概念を持たない妖に、外に放置された食べ物を盗るな、という価値観を押し付けるのは人間の身勝手かもしれない。
実際に神楽ちゃんはたちまち顔を曇らせてしまった。

「じゃあ、どうしたらいいネ?これから冬になったら山の食べ物少なくなるヨ。私どこで暮らしたらいい?」
「冬眠しろ。たらふく食ったんだからその辺の山に穴掘って春まで寝てろ。」

銀さんは、悲しげな顔で俯く神楽ちゃんに容赦の欠片もない言葉を浴びせた。
思わず新八くんと二人で非難の視線を向ける。

「銀さん…。アンタ鬼ですか。」
「銀さんは鬼じゃなくて狐ですぅ。その性悪猫を追い出せっつってんの。関わるとロクなことねーぞ。」
「ねえ、神楽ちゃん。神楽ちゃんさえよければここで暮らす?」
「おい!●●!!オメー俺の話聞いてた!?」
「ホントアルか!?私ここでご飯食べてもいい!?」
「もちろん。」

ぱっと顔を輝かせた神楽ちゃんに、胸の奥がきゅっと締め付けられるような錯覚に襲われた。
なんて可愛らしいんだろう。

「●●、銀さんの話聞いてる?そいつとんでもない腹黒猫だって!先住民の銀さんは反対ですからね!」
「何が先住民ですか。アンタもただの居候でヒモだろ。」

銀さんと新八くんがごちゃごちゃと後ろで騒いでいたが、私はそれどころではなかった。
うるうると目を潤ませたこの愛らしい猫又に心を打ち抜かれたのだ。

「●●ちゃーん?銀さんの声聞こえてますかー?ウチには可愛いお狐さんがもういるでしょ?猫なんていりませんよー?」
「神楽ちゃん、好きなだけここにいていいからね。」
「やったアル!私●●大好きヨ!」
「ほーら●●ちゃーん?見て見て、この尻尾。九本もあるよー?ふさふさだよー?銀さんの方が可愛いよー?銀さんの方がぷりちーだよー?だから銀さんにおやつ寄越せやコノヤロー。」
「…銀さん、何張り合ってるんですか。狐のおっさんなんて可愛くもなんともないですよ。」
「ぱっつぁんよォ、わかってねーな。大人の男なのにキュートな尻尾。気怠げな雰囲気なのに神々しい。このギャップがいいんじゃねーか。」
「神々しい?騒々しいの間違いでしょうが。」

お腹が満たされたのか、神楽ちゃんは箸を置くと花のような笑顔を浮かべて私に抱き着いてきた。
長い間各地を彷徨っていたためか、草木と土の匂いがふわりと漂う。
しかしその匂いに嫌悪の念が生じることはなく、むしろその香りは日向の気配を感じさせた。

「●●、私はそこのおっさんと違って猫耳もあるネ。特別に触らせてあげるヨ。」
「本当!?」
「あ!卑怯者!銀さんに唯一ない萌えポイントを使いやがって!」
「銀さんの萌えポイント…?」

恐る恐るぴょこんと立った耳に触れると、神楽ちゃんはくすぐったそうに笑った。
羽毛よりも柔らかな毛並を撫でると、少し高い体温とさらりとした感触が指先に伝わる。
少し力を加えただけで髪の中に埋もれてしまいそうなほど柔らかい猫耳は、それだけが意思を持っているかのようにぴょこぴょこと動いた。
可愛過ぎる。
私はうっとりとその手触りを楽しんだ。
そんな私に神楽ちゃんは無邪気に笑い掛けてくれ、可愛らしさが倍増する。
彼女の可愛らしさに心酔する私の後ろで銀さんが騒ぎ立てる。
それを新八くんが呆れたように宥める。
私たちのやりとりは、深夜に騒ぐな!というお登勢さんの雷が落ちるまで続けられた。

***

「こんな生意気なガキ甘やかしてっとロクなことになんねーぞ。」

先ほどまでプリンを食べるために使っていたプラスチックスプーンを銜えたまま、銀さんは不機嫌そうに言った。
私は、私の膝を枕にして寝息を立てる神楽ちゃんの髪を梳きながら苦笑いを浮かべる。

「子供だからこそ、甘やかされるべきだと思うけど。それにご飯を食べさせるだけで甘やかしてる、っていうのは厳しすぎない?」
「食う量がすでにガキの基準じゃねーだろ。つーかこいつお前より年上だぞ。二百歳は超えてんぞ。」

幸せそうな神楽ちゃんの顔を見下ろす。
満たされた腹を撫でながら寝息を立てるその面は、どう見ても子供のそれだ。

「まあ、大人と子供の境界が妖と人間じゃ違うし。神楽ちゃんはまだ子供でいいじゃない。」
「よくねえ。こいつの毒舌は子供が持ってていいモンじゃねーよ。」

ぶつくさと文句を言う銀さんに、私は曖昧な笑みで返すしかなかった。
空腹が満たされた安心感からか、神楽ちゃんは私に膝枕をねだるとそのまま眠ってしまった。
上目づかいでおねだりする神楽ちゃんは、それはもう可愛かった。
銀さんは、そいつ猫被ってる!そんな殊勝なタマじゃねえ!と騒ぎ立てるのでプリンを与えておとなしくさせたが、機嫌は未だ直らないようだ。
呆れた新八くんは早々に自室へ戻っていった。
三人だけの部屋に響くのは、銀さんが苛立たしげにスプーンを噛む音だけだ。

「そうやって甘い顔して得体の知れない奴片っ端から引き込んでたらキリがねーぞ。」
「…それ、銀さんが言うこと?」

一ヶ月以上も神域でキャンプファイヤーをしていた九尾の狐は、得体の知れないものに含まれないのか。
自分の事は棚に上げて、いけしゃあしゃあと言ってのける銀さんにため息の一つも吐きたくなった。

「こんなご時世だ。住む場所をなくした奴なんてそこらじゅうに溢れてる。これからも拾ってくのかよ。」

横目で私を見ながら銀さんは言った。
私は押し黙るしかなかった。
自分でも自覚はあった。
出会ったばかりの妖の世話を何くれなく焼こうとする自分の行動は、領主としても巫女としても行き過ぎている。
それでも、私は神楽ちゃんを山に追い返すことができない。

「だって…寂しいじゃない。」
「あァ?」
「家族がいないのは寂しいじゃない。一人で彷徨い続けるだなんて寂しいよ。」

訝しげな銀さんの視線から逃れるべく、私は前を見据えた。
並んで座っている私たちの前方には、持ち上げられた簾から整備された南庭が見える。
ぼんやりと月光に照らされた草木と池。
半年前までこの光景を共に見ていた父は、ここにはいない。
たった一人で庭を眺める夜を幾度となく超えてきた。
その日々を思うと、こうして隣に誰かがいるということがどれだけ安心できるか。
私は、ここに銀さんが来るまでの一人の時間を思い出しながら付け加えた。

「人間のせいで住処を追われて一人で旅をしなければならないのなら…なおさら、ね。」

銀さんからスプーンを噛む音が聞こえなくなった。

「お前が”家族”になってやろうっての?」
「それを決めるのは神楽ちゃんだよ。」

人間によって旅をせざるを得なくなった妖が、人間を”家族”として認められるのか。
それだけの信用を彼女から得られるのか。
正直に言えば、私には自信はなかった。
それでも、寝る場所と食事だけは提供したい。
神楽ちゃんの心に寄り添いたいという願いだけは持ち続けたい。
そして、神楽ちゃんがそれ以上の物を私に求めてくれるのかどうかは、私の努力と彼女の受け取り方次第だ。

「…ったく。そーやって次から次へと知らねー奴を家に引っ張り込むんですか。あーやだやだ。最近の若いモンは無節操なんだからよォ。」
「誤解を生むような表現はやめてくれる?」

茶化したような口ぶりで言う銀さんを睨むと、わざとらしく肩を竦められた。
反論を試みようと銀さんを睨んだとき、暖かな気配が背に寄せられる。
ふわり、と背を撫でたのは銀さんの尻尾だった。
下を向くと、神楽ちゃんの身体にも白い尻尾が覆いかぶさっている。

「こいつ超食うし、毒舌だし、馬鹿力だし。後で後悔しても知んねーからな。」

憎まれ口を叩きながら銀さんはそっぽを向いた。
私は、銀さんにぶつけるはずだった言葉を飲み下した。
冬も近いこの時期の夜は冷え込む。
座具を敷いていても床からは冷気が昇って来るし、床に身体を投げ出して寝ている神楽ちゃんは私よりもその冷たさを感じているはずだ。
まるで毛布でくるむように神楽ちゃんの身体を自身の尻尾で覆い、私の背にも尻尾を巻きつける銀さんは本当に天邪鬼だ。
こうして憎まれ口を叩かなければ、神楽ちゃんを受け入れようとしている自分を表現できないだなんて。

「今日から一緒に暮らすんだから仲良くしてよ?」
「知ってっか?こういう時は先に住んでる奴が偉いの。こいつが俺に舐めた態度を取らないようにちゃーんと●●が俺に気を使うんなら考えてやるけど?」

それは犬や猫を多頭飼いする時の心得なのではないのか。
神楽ちゃんはともかく、銀さんはそんな可愛らしい愛玩動物ではないと思うのだが。
それを口に出して指摘してやらないほどには私も大人であったので、乾いた笑いを漏らすだけに留めておいた。

「この大食い猫のせいでエンゲル係数が爆上げになっても俺のおやつ減らすなよ。」
「はいはい。」

多頭飼いの注意事項―――もとい、狐と猫の同居に関する注意事項―――をぐちぐちと並べる銀さんに適当な返事を返していると、もぞもぞと膝の上の神楽ちゃんが寝返りを打った。

「神楽ちゃん、寒いの?」

身体を丸めた神楽ちゃんに声をかける。
身体を縮こまらせ背を丸めた神楽ちゃんの背を摩ると、未だ夢うつつな声が返ってきた。

「…臭いアル。」
「え?」
「この毛皮、おっさん臭いアル。」

小さなくしゃみをした神楽ちゃんが嫌そうに銀さんの尻尾を払いのけた。
わざわざ鼻まで摘まんで見せた神楽ちゃんの大げさな振る舞いに、銀さんの米神が引きつる。
額には青筋が浮かんでいるようだった。

「誰の尻尾が加齢臭漂ってるって!?このクソ猫!」
「ちゃんと耳の後ろも洗えヨ。」
「洗っとるわ!尻尾にまでトリートメントしてるっての!」
「おっさんの無駄なこだわりネ。そういうのはただの自己満足で周りから見たら何の効果がないものだってマミーが言ってたアル。」
「うるせー!おしゃれってのはそういうもんなの!自己満足みたいなもんなの! …つーかマジで?マジで臭うの?銀さんの尻尾、もう加齢臭しちゃうの?」

銀さんは、慌てて自分の尻尾に顔を埋めてくんくん匂い始めた。
私は銀さんから目を逸らしてため息を吐く。
いい歳をした男が、自分の尻尾を両手いっぱいに抱きしめて鼻をひくひくさせている姿についてあまりコメントしたくなかった。

「●●!マジで銀さん加齢臭すんの!?おっさん臭いの!?」
「…おっさんっていうか、そもそも銀さんたちって人間から見たら老人の域も超えた年齢じゃないの?」
「私はピチピチだけどお前はおっさんアル。」

なんで否定してくんないのォォォ!と銀さんは叫んだ。
そこへ更なる追撃を仕掛ける神楽ちゃん。
私は終わらない二人のやり取りを見ながら、笑みを零した。
胸を満たす幸福感に目を閉じる。


唯一の肉親である父が帰らなくなって半年が経った。
父から受け継いだ領主としての仕事も神職の任も未だに十分にこなしているとは言えない。
それでも、この新たな”家族”とはきっとうまくやっていける。
私は優しい予感に胸を躍らせた。





***補足***
このお話では、神と妖の間に明確な区別をつけておりません。
なので敬意を込めて「一柱二柱」と数えたり、馬鹿にする意味で「一匹二匹」と数えたりしてます(数える人間の気分次第)
また、銀さんを国津神、神楽ちゃんを天津神と設定しております。
九尾の狐のルーツを考えたら逆じゃないのかと思われる方もいるかもしれませんが、その辺はさくっと流していただけると助かります…

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