第一章-狐のお守り-其のニ

「漬物泥棒?」
「はい。屋外の漬物樽からごっそり大根漬けが消えているそうです。あと干し大根とか干物類も被害にあっています。」

この土地を治める任を受け継いでから、初めての冬を迎えようとしていた。
神祇の祀り、徴税、外交、軍事。
多種多様な仕事の山に目が回りそうだが、優秀な文官・武官に支えられ何とかなっている状況だ。
一時的に拝領したお役目とはいえ責任の重さが変わるわけではなく、毎日が試行錯誤の連続である。
そんな中もたらされた”漬物泥棒”の話は、領主の耳に入る仕事の中でも一際異様なものだった。

「最初は狸や鳥辺りが持って逃げているんだろうと思われていたようですが、漬物樽にどれだけ重りを載せても縄で縛っても盗られてしまうそうなんです。鳥よけの網も全く効果がないとか。」
「麻縄を引きちぎった跡もあるみたいで、人間の仕業じゃないんじゃないかって噂になっているわ。また妖の類じゃないかって。」

困惑した表情を隠せない新八くんとお妙さんの報告を聞きながら、私も自然と眉間に皺を寄せてしまった。
この辺りの地域ではあまり聞かないが、都では人間と妖が衝突することは珍しくないという。
地方に行けば土着信仰から妖を神として丁重に持て成す人々もいるが、この国の中心が妖を敵視していることもあり、妖に対して負の感情を持つ人間は少なくない。
前例のない事件は大抵妖の仕業とされ、ますます両者の間の溝が深まるという悪循環を引き起こすというが、今回の件もその一端となるのだろうか。
通常ならば、ただの泥棒騒ぎが領主である私の耳に届くことなどありえない。
私の元にまで話が来るということは、巫女として処置することを求められているという証だ。

「警備を強化する必要がありそうだね。新八くん、お妙さん、夜間の巡回を増やすことはできる?」
「できますが…本当に泥棒の正体が妖だった場合を考えると、かなりの人数を動員させる必要があります。二人一組程度じゃ心もとないですし。」
「あまり大人数を警備に割いてしまうといたずらに不安を煽ってしまうかもしれないわ。」
「そっか…。大事にするわけにもいかないしね…。」

巫女としては、妖を犯人と決め付け妖に対する偏見を深めるような真似は避けたい。
しかし、この土地を治める領主としては、少しでも民衆に危害が加えられるような状況は防がなくてはならない。
必要最低限の人数で泥棒を速やかに捕獲する。
そんな術があるのだろうか。
私達は頭を抱えた。

「式神を使うのはどうでしょう?たまさんなら一人でも大抵の状況に対処できるでしょうし。」

新八くんがぽん、と手を叩いて提案してくれたが、私とお妙さんは即座に首を振った。

「たまさんレベルの式神がそもそもほとんどいないわ。金太郎飴よろしく増産なんてできないんだから。」
「うん…。さすがに私の力じゃ無理だよ。」

たまさんは私の父が生んだ式神だ。
稀代の術師であった父は式神の使役を得意としていたが、その血を引きながらも私は式術が得意ではない。
父が不在の今、たまさんと同格の式神を生む術はないのである。

「どうしましょうか…。」
「うーん…」

三人で同時にため息を吐いた時だった。

「そろそろおやつの時間じゃねーの?」

怠そうな声と共に簾が持ち上げられた。
現れたのは声と同様に眠たそうな顔をした銀さんだ。

「新八ィ。今日のおやつなに?」
「…みたらし団子です。」
「醤油団子じゃねーだろうな。出汁の効いた醤油団子も嫌いじゃねーけど、今の俺の気分は砂糖たっぷりの甘―いやつだからね。」
「銀さんは毎日砂糖たっぷりの糖尿気分じゃないですか。」
「おやつなんだから甘くなきゃだめだろ、栄養補給なんだから。間食である以上エネルギー補給できる糖分じゃなきゃ意味ねーの。」
「知ってます?おやつの推奨カロリーは200キロカロリー以内なんですよ。板チョコ半分ですよ。」
「俺ァ、大人だからそんなお子様基準じゃエネルギーに変換できないんだよ。エンストするっつーの。」
「カウンタック並みの燃費の悪さですね。働かないにもほどがあります。」
「走るだけが能じゃねえ。存在するだけで価値があるんだよランボルギーニは。ブランド名だけで食っていけるクチだからね、銀さんは。」
「糖尿狐のブランドってなんだよ。」

ぐだぐだと軽口をたたきながら、銀さんは部屋の隅に置いてある座具を私の隣へ運んだ。
どっかりと胡坐を組んで座り込む。

「おら、とっとと団子持って来いよ。いちご牛乳も忘れんなよ。」

新八くんに向けてしっしっと手を払うような仕草をしながら、銀さんは堂々とおやつの催促をした。
これが、最近の日常になりつつある。



案の定、銀さんは供物を献上しても山に帰ることはなかった。
銀さん好みの甘い油揚げも、さくさくのコーンフレークがたっぷり入ったパフェも効果はなく、それどころか「別に山に戻ってもいいけど?俺ァ、アウトドアライフを満喫するだけだから。バームクーヘンとか作っちゃうからね?神域だかインチキだか知んねーけど、銀さんの野外スイーツ教室が続行されるだけだからね?がんがん狐火使っちゃうからね?」と、脅しともとれるセリフを返してくれた。
都への唯一の道で狐火を存分に使ったキャンプファイヤーなどされてしまっては、たまったものではない。
狐火に怯えた人々が道を使えなくなれば、この地域と外部の交易は絶たれ人々の生活に揺らぎが生じる。
これから冬を迎えようという時期に貿易商の行き来がなくなるという事態は、領主としてなんとしても避けなければならなかった。
…私たちは、人間を脅かさないという約束を決してしようとはしない偏屈な妖に折れた。
妖の保護と監視という名目で、銀さんは屋敷に滞在することになったのである。

毎日銀さんは、日も高くなった頃にようやく起きだし、巳三刻(十時)と申一刻(十五時)に甘味を催促する。
それ以外の時間はそこらで惰眠を貪り、どこからか入手してきた週刊漫画を読む。
絵にかいたような自堕落な生活ぶりだ。
領主である私の立場としては、税金でヒモ男を囲うなど決して許されたことではない。
しかし、巫女という立場としては、人間に害をなさないという約束をしない妖を放置するわけにもいかない。
この奔放な九尾の妖の扱いが、目下の頭痛の種であった。



「辛気くせー面を突き合わせてよォ。なんなの?団子がまずくなるからやめてくんない?」

私達が合議を行っていようが遠慮なしに糖分を催促してくる銀さんは、最近では私たちの表情にまでダメ出しをするようになった。
大事な合議の邪魔をしてくれるな、とあらかじめ一日分のおやつを渡して追い払ったこともあったが、朝の内にぺろりと平らげ、申一刻にはいつも通りにおやつを催促してくるため、銀さんを締め出すことは皆あきらめつつある。
それどころか、銀さんがおやつの催促をしてくる時間帯に合わせて休憩をとるようになるのだから、慣れというのは恐ろしいものだ。

「漬物泥棒の話をしていたんですよ。最近被害が増えているんです。」

おやつを用意するため、席を外した新八くんに代わりお妙さんが答えた。
銀さんが屋敷に滞在するようになったばかりの頃は、その奔放ぶりに眉を寄せていたお妙さんも最近ではすっかり銀さんと打ち解けるようになった。
お妙さん特有の容赦のない毒舌と鉄拳が振る舞われるようになるほど二人の仲は深まっている。

「あー?漬物泥棒?山に食いモンがなくて下りてきた狸とかじゃねーの?」
「そうですね。糖分を求めてわざわざ山からタカリにきた狐がいるくらいですし、その可能性も考えたんですけどね。どうやら違うようなんです。」
「大変だねェ。そんな狐がいるの?だいじょぶだいじょぶ。この銀さんがいる限り、よその狐はここに入って来れねーから。」
「その狐はとんでもない厚顔無恥な輩なんです。一本くらい尻尾を引きちぎってやっても罰は当たらないんじゃないかしら。」
「八尾の狐なんて聞いたことねーよ。おっそろしいこと言うのやめてくんない?」
「あら?銀さん。厚顔無恥な九尾の狐に心当たりがあるようね?」

ニコニコと美しい笑顔を浮かべながら銀さんに牽制を仕掛けるお妙さんを、私は固唾を飲んで見守った。
しっかり者のお妙さんからすると、マイペースで堕落したおっさん狐というものは、神経を逆撫でする存在なのかもしれない。

「少しは働いてくれるといいんですけどね?毎日だらだらと寝るか食べるかのニート狐なんて扱いに困るわぁ。ペットにしては可愛げもないし癒しの要素もないんですから。」
「いやいや何言ってんの。守り神って知ってる?お狐様ってのは、いてくれるだけでありがたーい存在なわけよ。お守りよお守り。」
「あら。疫病神の間違いじゃなくて?」

お妙さんの苛立ちなどまるで意に介さず、銀さんはのんきに鼻をほじっている。
その姿に神聖なものを感じることは当然なく、守り神という肩書など到底似合わない。

「お妙さん、ごめんなさい。元を正せば銀さんをここに連れてきたのは私だし、お妙さんに迷惑をかけてるのは私だわ。」
「何言ってるの、●●ちゃん。どう考えても悪いのはこの穀潰しのマダオ狐よ。」

お妙さんは慌てたように否定してくれたが、こうしてお妙さんの心労が増えてしまったのも、新八くんが毎日手作りスイーツを用意しなければならなくなったのも、銀さんを説得できない私に原因がある。
ただでさえ忙しい二人に余計な仕事を増やしてしまったことは、ただただ心苦しい。

「だれがマダオだ、コラ。冬ってのは冬眠するもんなの、働かないもんなの。銀さんは冬に向けて充電する必要があるんですぅ。」
「狐は冬眠しないって聞きますけどね。いっそのこと永眠してしまえばいいのに。」

お妙さんは、ぼそりと辛辣な言葉を呟いた。
ますます空気が重くなっている。
私は頭を抱えた。
これ以上お妙さんの機嫌を損ねないよう、私は銀さんのフォローをしなければなるまい。

「確かに銀さんは守り神って感じには見えないけど、ほら、銀さんがいることで他の妖が近づけないようになるっていうメリットはあるんじゃないかな?…たぶん。無駄に妖力はダダ漏れだし。」
「無駄ってなんだ、おい。」
「ほら!狐ってネズミとかミミズとかカタツムリとか害虫除けにもなるし!」
「●●ちゃん?俺のことバルサンと勘違いしてない?銀さん、雑食だけどネズミもミミズもカタツムリも食べないからね?俺、猫でもヤモリでもないからね?」
「毛皮は高級品だし!シルバーフォックスなんてラビットの30倍くらいの値段するし!」
「おい!俺の尻尾をひん剥くつもりか!堂々と密猟する気か!」

なんとか銀さんのフォローをしようとしたが、あまりうまくはいかなかったようだ。
銀さんはばしばしと尻尾を床に叩きつけながら怒鳴っているし、お妙さんはため息を吐きながら首を振っている。

「人付き合いにメリットを求める方がおかしいんだよ。人間関係ってのは損得勘定じゃないでしょーが。」
「親しき仲にも礼儀あり。郷に入れば郷に従え。という言葉もありますけどね。」

お妙さんは氷のような眼差しを以って、銀さんの言葉を叩き切った。
木枯らしの吹く外などよりもよっぽど冷え切っているのではないか、と思わせる室内の空気に私は慌てた。
頭をよぎった案を咄嗟に口に出してしまった。

「そうだ!銀さん、漬物泥棒を捕まえる手伝いをして!」

***

その日の亥の刻(二十二時)、私たちは漬物泥棒を待ち伏せることになった。
妖が犯人の可能性がある漬物泥棒に対抗して、九尾の狐である銀さんに泥棒退治をしてもらう。
咄嗟に浮かんだ提案だったが我ながら名案だと思う。
案の定、銀さんはぶーぶーと文句ばかり言い首を縦に振ろうとしなかったが。
しかし、お妙さんの「働かざる者食うべからず。体で菓子代稼いでこいや。」という鶴の一声によって、銀さんもようやく重い腰をあげた。
『体で稼いでこい』の言葉の裏に”労働か毛皮か”の二択が浮かんだのは、気のせいだと思う。
私一人では何かにつけてサボりたがる銀さんを制御するのは難しいだろう、ということで新八くんも同行してくれることになった。
こうして、私たちは三人で漬物泥棒の捕獲にあたることになったのである。

私たちは人家が並ぶ地帯からは外れた、山に近い廃屋を借りた。
そして、これ見よがしに漬物樽を並べ干物を軒下に干した。
あまりに露骨な囮であったが、狸や猪が犯人ならこれで十分である。
噂されるように妖の類が犯人であるならば、人間に被害が及ばぬよう、そしてこれ以上人間と妖の間に軋轢を生まぬよう人里から離れた場所で解決したいという思惑もある。
できることならば、妖も人間も傷付け合わない方法を模索したかった。
私たちは、身を低くして廃屋の様子を窺える草陰に隠れた。

「寒っ!もうすぐ冬になろうってのに何でこんなとこで張り込みなんだよ。アンパンとあったかいカフェオレはねーのかよ。」
「そこはアンパンと牛乳じゃないんですか?」
「このクソ寒い中冷たい牛乳なんて飲めるかよ。お腹ピーピーになっちゃうでしょーが。つーか俺、コーヒー牛乳といちご牛乳しか飲めねーし。」
「威張って言うことじゃないですよね、それ。あ、●●さん、温かいお茶持ってきてますけど飲みます?」
「なんでそこでココアとか持ってこないかねェ、ぱっつぁんよォ。だからお前はメガネなんだよ、のび太なんだよ、クラーク・ケントになれねーんだよ。」
「眼鏡外してもキャラ変わらなくて悪かったですね!つーか言っときますけど別に眼鏡外しても目が3になったりしませんから!あからさまなひ弱キャラにもなりませんから!」
「それはそれでどーなのよ。アイデンティティーのくせにキャラ付けのアイテムにもならないってヤバくない?」

わーわー騒いでいる二人に私はため息をついてみせたが、気付かれることはなかった。
これだけ大騒ぎしていれば、漬け物泥棒が人間であろうと妖であろうと現れないかもしれない。
今夜は無駄足に終わるのか。
なぜこの二人を一緒に連れてきてしまったのか、と私は自分の軽率な判断を悔やんだ。
この二人が、いや、銀さんが新八くんに絡まずに大人しく待機するなどできるわけがなかった。
明日からはたまさんに頼もう。
そう思い、今夜中の解決をあきらめた時だった。

「うっひょーい!漬物いっぱいアル!」

可愛らしい女の子の声が響いた。
私は慌てて廃屋の方へ視線を投げた。
小さな人影が軒下に並べられた漬物樽へ近づいていく。

「二人共静かにして!」

小声で注意を促すと、二人共大人しく口を閉じ廃屋へ視線をやった。
私はごくりと唾を飲みながら目を凝らした。

「干物もいっぱいアル!これでしばらく食い繋げるネ!」

嬉しそうに独り言を言う小柄な人影は、干物を吊るす縄を引きちぎっていた。
やはり人間ではない。
私たちは顔を見合わせ頷き合った。

「見つけたぞ!漬物泥棒!」

新八くんが真っ先に飛び出した。
両手に干物を抱える泥棒に飛び掛かる。
しかし。

「お前なにネ!これは神楽様の獲物ヨ!」

人影の動きは早かった。
私の目では捉えられない速度で動き、飛び掛かった新八くんを弾き飛ばした。
新八くんの身体が私たちの後方まで吹っ飛ばされる。

「新八くん!」
「やっぱのび太じゃねーか。」

焦る私とは対照的にのんびりした口調で呟いた銀さんは、ゆったりと人影に近づいていった。
私は新八くんの元へ駆け寄りながら、視線を銀さんたちへ向ける。

「おい。テメーが最近ここらで出るっつー漬物泥棒か。」
「狐が何の用ネ?これはもう私の物ヨ。」

ぽりぽりと頭を掻きながら、銀さんは面倒くさそうな態度を隠しもせず泥棒に対峙した。

「なんだ猫又かよ。テメーのせいでこのクソ寒い中刑事ごっこする羽目になったじゃねーか。とっとと山に帰れ、オラ。」
「あーん?何が山に帰れネ。この神楽様に命令できると思うなヨ。テメーこそとっとと消えるヨロシ。」

ゆらりと妖気が立ち上った。
辺りから聞こえていた虫の音が一斉に止む。
小柄な人影―――銀さん曰く猫又―――から、不穏な力を感じた。

「大丈夫…でしょうか。」

打ちつけたらしい肩を押さえながら、新八くんが起き上がった。
痛みに顔をしかめてはいるが、受け身は取れたようで頭をぶつけた様子はない。
新八くんの怪我が大したものではないことを確認し、私も二柱の妖の様子を窺う。

「銀さんも相当な妖力を持っているけど…あの猫又もかなりの力を持っているみたい。」

初めて銀さんに会った時に感じた妖気を思い出す。
山を揺らす強大な力。
しかし、猫又が発している妖力も地を揺らすような迫力がある。

「ほー。この銀さんとやろうっての?ガキ猫。」
「舐めた口を利いたこと後悔させてやるネ。」

一瞬、無音になった。

「ホワチャー!」

甲高い雄叫びと共に猫又が先に動いた。
矢のように突っ込んできた影を銀さんはひらりと躱した。
身体全体で体当たりを繰り出した猫又は、そのまま廃屋に突っ込む。
派手な音を立てて家屋が傾いていく。
長年風雨に晒され老朽化していたとはいえ、こんなにあっさりと崩れるほど脆い作りはしていないはずだ。
それをいとも容易く破壊してしまうとは、あの小さな体にどれだけの力を秘めているのか。
間近で感じた膨大な力に思わず冷や汗が噴き出る。

「おーい。生きてるー?」

崩れ落ちた廃屋へ向けて、銀さんはのんびりと声をかけた。
はらはらと見守るこちらに比べて、緊張感の欠片もない。

「当たり前ネ!」

木材が舞い上がった。
崩れる廃屋から飛び出してきた猫又は、進路を邪魔する木材やら藁やらを弾き飛ばしながら再び突進する。
それを銀さんは、またしても軽やかに躱した。
横に滑るように身を低くして躱した銀さんは、同時に猫又に足払いをかけたようだった。
地を這うように突進していた猫又がひらりと宙を舞った。

「やっべ!」

銀さんの焦ったような声が響いた。
それを疑問に思った時、突然私達の頭上に影ができた。
銀さんに飛ばされた猫又が私たちの元へ落下してきたのだ。

「●●さん!」

新八くんが私の手を引く。
私たちは頭を下げて、身を守るしかなかった。

「そのまま動くな!」

身を固くして衝撃を待つ私たちの身体がふわりと浮いた。
視界で勾玉の首飾りが踊る。
続いて、どしん、という衝撃音が地に響いた。

「間一髪だったな。」

面を上げると、ふー、とため息を吐く銀さんの顔があった。
猫又が落下してくる直前に、銀さんが私と新八くんを抱えて移動したようだ。
私たちが先ほどまでいた草むらに、猫又がめり込んでいる。
私たちが目を瞑るだけで精一杯だったわずかな間に、私たちの元まで駆けつけ、抱え、跳躍する。
改めて銀さんの妖としての身体能力を見せつけられた私は、状況を把握しようとするだけで精一杯だった。

「間一髪って、銀さんが変な方向にあの子をブッ飛ばしたんでしょうが!」
「しゃーねーだろ!俺だってまさかテメーらの方に飛んでいくなんて思わなかったんだからよ!つーかぱっつぁんが呆気なくやられて伸びてっからわりーんだろーが!」

肩の痛みも忘れたかのように怒鳴る新八くんといらいらと尻尾を振りながら怒鳴る銀さんをぼんやりと眺めていると、かすかにうめき声が聞こえた。
地面にめり込んでいる猫又の声だ。

「痛いアル…。」

悲痛なその声は、人間でいうと十歳かそこらの少女のものと変わりない。
しかし、地面から引き抜かれた面には軽い擦り傷しか見当たらなかった。
皮膚の頑丈さもやはり人間とは異なるのか。

「あの…」

起き上がった猫又に気付かず怒鳴り合いを続ける二人から離れ、私は恐る恐る猫又の少女に声をかけた。
空色の澄んだ瞳と視線が合わさる。

「あなたが漬物泥棒?なんでこんなことを…」
「お腹減ったアル。」
「へ?」

少女は、銀さんと対峙した時に感じた強大な妖気は発していなかった。
柔らかそうな髪の毛から覗く獣耳をぺたりと折り、二本の尻尾も地面に投げ出している。
ぼんやりとした表情にはまるで覇気がない。

「お腹が減ってるの?」
「うん。お腹減って力でないアル。」

切なそうに視線を落とす少女からは、ひどく儚い印象を受けた。
ふわふわとした猫耳は怯えたように震え、手足は泥だらけだ。
深いため息を吐きながら絞り出された声は、舌足らずで幼い。
子供と言っていい年頃の、猫又の少女。
…こんな子供が盗みをしなければ生きていけないだなんて。
現時点で彼女の動機は不明瞭だったが、それでもこの猫又が悪人だとはとても思えなかった。
彼女を保護する必要がある。
私は決意した。

「おいで。私の家でご飯食べよう?」
「ホントアルか!」

ぴょこんと立ち上がった猫耳のなんと愛らしいことか。
私は一種の感動を覚えながら彼女の手を取った。


家一軒ぶっ壊しといて何が力が出ないだ!ふざけんな!という銀さんの声はまるで耳に入らなかった。






back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -