第一章-狐のお守り-其の四

真冬に冷たい床の上で長時間正座を続けるという行為は、なかなかの苦行である。
硬い床板の上で圧迫され続けた脚は徐々に感覚がなくなっていくし、ひんやりとした冷気が這うように私の下半身を撫でてくる。
反省を示す姿勢としては十分だろう。

「聞いてんのか!●●!」
「あ、うん。聞いてます。」

正座する私の目の前には、仁王立ちした銀さんと呆れた表情のお登勢さんがいる。
二人とも腕組みをした姿勢で私を見下ろしていた。

「あちこちでなんでもかんでも拾ってくるのはやめなさいって言ったでしょーが!お前はカラスか!銀さんはお前を褒め称えたことなんてねーぞ!」
「アンタだって●●に拾われた身分の癖に偉そうに言ってるんじゃないよ。ニート狐。」
「俺は拾われたんじゃありませんー。●●に招かれてやったゲストですぅ。」
「何がゲストだ。この穀潰し。」

黙って嵐が通り過ぎるのを待っていると、銀さんとお登勢さんの間で言い争いが始まった。
このまま私のことは有耶無耶にならないかと密かに期待していたが、もちろんそうはいかなかった。
一通り銀さんを罵った後、お登勢さんは大きなため息を吐いて私と目を合わせる。

「●●。アンタが巫女として頑張ってるのはよく知ってる。人間と妖、両者を平等に扱おうとするその心根も間違っちゃいない。だけどね、」

お登勢さんはくい、と背後を顎でしゃくって見せた。
持ち上げられた御簾の向こうには、南庭が広がっている。
そこから聞こえてくるのは、楽しそうな神楽ちゃんの笑い声と犬の鳴き声。

「糖尿狐、大食い猫。それだけでも十分厄介だってのに、今度は馬鹿デカい狛犬。なんでこう食費の掛かるモンばっかり拾ってくるんだい。」

どしんどしんと地鳴りのような足音が響き、私たちがいる部屋をわずかに揺らした。
その揺れを冷たい床越しに感じながら、仰る通りです、と私は首を垂れるしかなかった。

***

神楽ちゃんが狛犬を拾ってきた。
成人男性の身長と同等の座高があるその狛犬は、ここからほど近い山中で彷徨っていたらしい。
独りぼっちは可哀想アル。飼ってもいい?と上目遣いで尋ねてきた神楽ちゃんに、私は二つ返事で頷いた。
すでに”定春”という名を付け、頭を齧られるくらいに仲良くなっている様子を見てしまうと、ダメだとはとても言えなかったのだ。
しかし、定春を迎え入れることに賛同してくれる人は私の他に誰もいなかった。

「ここは迷子センターでも保健所でもないんだよ。引き取り手のない妖を次から次へと引っ張り込んでどうするんだい。」
「えっと…でも、人家に近い山にあんなに大きな妖がうろうろしていれば、そのうち騒ぎにもなりますし…。いずれは対処に当たらなくてはならなかったでしょうし、だから…。」
「それならもっと山奥に誘導してやるとか、神域に連れていくとか他に手立てがあるだろ。ここで飼う必要はないね。」

滾々と降ってくるお登勢さんの説教を受け止めながら、私は控えめに反論を試みた。
しかし、私の細やかな反抗などお登勢さんの正論の前では何の効力も持たない。

「でも、神楽ちゃんがあんなに仲良くなっちゃってるし…。引き離すのも可哀想かなって…。」
「甘ェんだよ、オメーは。ただでさえフードファイターな猫又が居付いてるってのに、これ以上居候増やしてどうすんだよ。俺のおやつ代に響いたらどうすんだよ。」
「アンタが気にしてるのはそこだけだろ。」

おまけに銀さんが時折口を挟んでくるため、話が一向に進まない。
かれこれ1時間は正座した状態を保ち続けることになってしまったのは、銀さんのよくわからない茶々のせいでもある。

「狐と犬は相性悪ィんだよ。ちゃんと先住民の銀さんに配慮しろって言っただろーが。俺を優先しろ。俺を。」
「…狛犬は犬じゃなくて獅子の神獣だけど。」
「細けェこと気にしてんじゃねーよ。あれだけワンワン鳴いてんだからありゃあ犬だ。天敵だ。」
「…狐も狛犬も稲荷神の眷属じゃない。」

厳密に言えばそもそも狐は稲荷神ではなく、稲荷神と呼ばれる五穀豊穣の神の御使いだ。
狐単体を『お稲荷様』と呼び稲荷神と同一視する傾向は確かにあるが、元を正せば狛犬も狐も稲荷神の眷属である。
狐と狛犬が相性が悪いということはルーツを考えれば決してないと思うのだが、それを指摘してやると『お狐様本人が駄目だって言ってんだから駄目なの!』という理不尽な言葉が返ってきた。

「まあ、確かに犬は狐を狩るしねェ…。」
「ほら。ババアも言ってんじゃねーか。どうすんの銀さんがあの犬に喰われちまったら。朝起きたら尻尾が減ってるとか笑えねーだろ。アイデンティティの喪失だよ?」
「その鬱陶しいモップが減るのはどうでもいいけどねェ。むしろ穀潰し同士で潰し合いする分には構わないよ。」
「んだと?おいババア!この尻尾がなくなったら俺は何キャラかわかんなくなるだろーが!」

再び始まった争いを聞き流しながら、私は頭を抱えた。
お登勢さんの言葉は素直に受け入れるべきだと思うが、それでも私はあの狛犬を屋敷に滞在させる以外の選択肢を持っていない。
力技で調伏させるだとか別の土地に追いやるだとかそういった実力行使で事に当たりたくないと思ってしまう私は、領主としては甘すぎるのだろう。
お登勢さんの言葉は、そんな覚悟のない私への忠告だということはよくわかっている。

「大体よォ。あの馬鹿デケェ犬が人間を喰うかもとか思わないわけ?犬は序列を付ける生き物だぞ。」

神楽はアレでも結構な妖力を持ってるから歯向かわないだけで、人間相手だと態度が変わるかもしれねーぞ。
銀さんの言葉に私は唇を噛んだ。
いたいけな少女にしか見えないが、実年齢は二百歳を超え家一軒を簡単に潰せる力を持つ神楽ちゃん。
毎日だらだらと過ごし糖分にばかり執着しているが、山を揺らすほどの強大な力を持つ銀さん。
妖の持つ力は、その外見からは推し量れない。
身体の大きさこそ規格外の定春も、その鳴き声や振る舞いは通常の犬と変わりはないように見える。
それでも彼にだって妖としての力があり、そして人間に害を為す”本能”が備わっているのかもしれない。
それさえも織り込み済みで巨大な狛犬を受け入れようとしているのか。
銀さんは私にそう問い掛けていた。

「…あの狛犬と…定春と言葉を交わすことができない以上、私たちに敵対心を持っているかどうかは判断できないじゃない。」
「そんな不確定なモンと同居する気かオメーは。ギャンブラーなんてもんじゃねーぞ。耳と指を賭ける覚悟はあんのかよ。」

私は銀さんの眼を真っ直ぐに見返した。
根拠のない信頼とは、ただの直観でしかない。
しかし、それこそが人と人を繋ぐ寄る辺だ。

「信じたい。定春と神楽ちゃんを。私も定春を信じてるから。」
「…理想論を掲げるのは結構だけどな。それでアイツがオメーを喰い殺そうとしたらどうすんの?」
「止める。」

それが巫女としての私の役割だ。
共存する意思が定春にないのならば、私は領主として、この土地を護る巫女として定春と戦い人間の側に立たなければならない。
それが私の本来あるべき立場だ。
神楽ちゃんに恨まれることになっても、彼女の信用をなくしてしまったとしても、そうすべきなのだ。
その覚悟はできている、と私は宣言した。

「もし定春が人間に害を与える存在だとわかったら戦う。だから、それまでは…」

どうか見守っていて欲しい。
そう訴えると、銀さんはすっと目を細めた。
私の覚悟を透かし見るような鋭い眼差しだった。

「…本っ当に馬鹿な巫女殿だな。」

銀さんは、大きなため息を吐くと私に背を向けた。
先ほどまでイライラと毛を逆立たせていた九本の尾が、だらりと床に垂れている。
脱力したような尻尾の動きには、説教を始めたときに見えた苛立ちの色はなかった。

「銀さん、」
「オメーが喰われることはありえねーよ。」

説得しようとした私の言葉を遮り、銀さんはそれだけ言った。
そのまま静かに部屋を出ていく。
格別怒っているようにも見えなかったが、快く許したという風にも見えない。
私は首を傾げた。

「…どういうこと…?」

正座した姿勢のまま呟くと、お登勢さんも大きなため息を吐いた。
私はお登勢さんに意見を聞こうと視線を向ける。
諦めたかのような苦笑いが返ってきた。

「ようやくあのニート狐が役に立つ日が来たようだね。」
「え?」

お登勢さんは、にやりと口端だけを持ち上げて微笑んで見せた。
私に立ち上がるように促す。

「アンタと銀時であの狛犬を見張るってんならもう何も言わないよ。妖力だけは馬鹿にできない狐だ。これ以上の保証はないしね。」
「え…?私と銀さんで見張るって…」
「あの狛犬がアンタを喰おうとするようなことがあれば、銀時が身体を張って守ってくれるってことさ。」

アイツは狛犬に簡単に喰われるようなやわな妖じゃない。
だから、”アンタが喰われるのはありえない”ってことだろ。
そう言うと、お登勢さんは定春をここに置く許可をくれた。
私はじんじんと痺れる脚を気遣うことも忘れ、呆然とお登勢さんの言葉を反芻した。

***

定春は確かによく食べた。
食費はそこらの犬の数倍は掛かり、銀さんの甘味代が可愛らしく思える程度にエンゲル係数が上がった。
しかし定春が人間に危害を加えることはなく、むしろ巨大な狛犬を恐れたのか近隣の畑の獣害がなくなった。
元々は拒魔犬と呼ばれていた神使だ。
土地の神霊を奉る巫女や社とは相性が良いのだろう。
定春は屋敷の人間と徐々に打ち解け、生活に馴染んでいった。
特に銀さんは、定春に頭からぱっくりと噛み付かれるほどに仲良くなっていた。

「本当に巫女殿は博愛精神に溢れておられますなあ。妖と争わずして騒動を収めてしまわれるのですから。」

それでも、定春に不信感を抱く人をゼロにすることは難しかった。
都では人間と派手な戦を繰り広げているという妖の眷属が、人間と生活を共にしている。
その事実について、妖魔を調伏すべき巫女の職務放棄と考える人は少なからずいた。

「むやみやたらに暴れるような方々ではありませんから。私からの提案を飲んでくださる器量が彼らにあっただけのことです。」
「ご謙遜を。妖が巫女殿の下でおとなしくしているのなら、それはやはり巫女殿のご人徳でしょう。」

私の目前で満面の笑みを浮かべている男は、父の代から仕えてくれている判官(じょう)だった。
都からの文やこの地の報告書類の審査を行う彼は、誰よりもこの地と外界の関係に気を遣う立場だ。
だからこそ、都で脅威とされる妖が国造(くにのみやつこ)の邸宅に三柱も集っている事態が気掛かりなのかもしれない。

「…彼らが、人間に危害を加えることはないと思います。」

私は、口元が引き攣らないように意識しながら笑顔を浮かべて見せた。
銀さんたちが人間に危害を加えるとは微塵も思っていない。
しかし、それは私の人徳や神通力のおかげなどでは決してないのだ。
パフェが食べたいだとか、白米をお腹いっぱい食べたいだとか、そういった彼らの欲求をなんとか満たしてやっているだけであって、私の手柄などでは決してない。
ニート状態の狐や一升炊きの炊飯器を一食で空にする猫又を税金でぎりぎり養っているという、領主としてかなり問題のある対処方法で凌いでいるのである。
新八くんと額を突き合わせ、日々の食費に頭を抱えているということは、決して他の役人に悟られるわけにはいかなかった。

「都では今も妖とは派手にやりあっていると聞きます。巫女殿のお力があれば、この地は安泰ですな。」
「い、いえ…私一人の力などでは決してなく…」

主に新八くんの作る節約料理のおかげである。
私は視線をあらぬ方向へ投げ、誤魔化すような笑みを浮かべておいた。

「いやはや巫女殿は奥ゆかしい。もっと胸を張ってよろしいでしょうに。」
「は、はあ…。」
「しかし、もし妖たちが問題を起こすようなことがあるのならば、」

なんとか取り繕おうとしどろもどろになる私に、判官は急に表情を硬くした。

「巫女としてのお役目を果たして頂かねばなりませんからな。」

自分の立場について改めて釘を刺されたようだった。
私は、神妙な顔で頷くしかなかった。

***

翌日。
私と銀さん、神楽ちゃん、新八くんの四人は、お妙さんよって召集された。

「第一回居候対策会議を行います。」

お妙さんは凛とした声で宣言した。

「…なにそれ?」

お妙さんの真面目な面持ちとは対照的に、気怠げな表情で銀さんが尋ねた。
ごろりと横向きに寝転び、右肘を床に立て拳の上に頭を置くというだらけきった姿勢の銀さんに対して、お妙さんは背筋をぴしりと伸ばした正座の姿勢を崩していない。
ゆらゆらと尻尾を振るだけで全く動こうとしない銀さんの不真面目な態度は、当然お妙さんの怒りを買った。

「ニート狐を飼っているおかげで●●ちゃんの心労が絶えないんです。新ちゃんなんて節約おやつレシピの研究を毎日しているんですよ。2人のストレスの大本がこのままプラプラ遊んでいていいわけがないでしょう。」
「おいコラ。銀さんを”飼っている”とは何事だよ。俺は守り神なの。オメーらに飼われた覚えなんてねーの。」
「テメーのつまんねープライドなんてどうでもいいんだよ。この毛皮。」

狩るぞこの野郎、というお妙さんの言葉に、銀さんの尻尾の毛が逆立った。
寝転んだ姿勢のままずりずりと這うように私の膝元に近寄る。

「…お妙の奴なんであんなにキレてんの?生理2日目?ホルモンバランス偏ってんの?アイツ、男のホルモンの方が多そうだしな。」
「…銀さんのそういうデリカシーのないところに怒っているんだよ。」

こそこそと失礼極まりないことを言ってのける銀さんに、私はため息を返した。
しかし、銀さんの暴言はお妙さんにもしっかり聞こえていたらしい。
お妙さんから殺気の籠った視線を向けられると、銀さんは慌てて私の背後に隠れる。

「…しかし、姉上。現実問題として銀さんたちが”働く”というのは難しいと思いますよ。」

鬼のような表情となってしまったお妙さんに、新八くんが恐る恐る意見を出した。

「この辺りで妖と接触を持ったことがある人間はほとんどいません。妖がどういうものか噂でしか知らない人たちに、いきなり『妖を雇ってくれ』と言ったところで簡単には承知してくれないでしょう。」
「…わかっています。もちろん銀さんがお金を稼いでくるだなんてこれっぽちも期待してないわ。」
「ハァ?働いてほしいの?違うの?どっちなわけ?そもそも俺は敬われる立場だから働く必要なんてねーけど。」

銀さんがまたお妙さんに噛み付いた。
しかし、私の身体を盾にした状態でこそこそ文句を言っても、迫力は全くない。

「今更ハロワに通おうがなんとかナビに登録しようが就職出来るだなんて全く期待してないわ。この屋敷内で労働をしてもらいます。」
「労働って…」

新八くんが首を傾げた。
この屋敷内では、大きく分けて3種類の人間が働いている。
役人、神官、家事を行う奉公人。
役人、神官の仕事は当然銀さんたちにはできない。
人間社会で生きたことがない妖が人間の政に関するデスクワークなんてできるわけがないし、どちらかというと祀られる側に属する彼らに神々を敬うことを強制する意味はない。
そうなれば、この屋敷内で銀さんたちができる労働は家事のみになる。
しかし…。

「定春はすでに番犬として務めを果たしているからいいとして…銀さんと神楽ちゃんは?」

“身体を使って働くこと”から最も遠い生活態度の銀さんと、幼子の容姿をした神楽ちゃんにできる仕事が、私にはなかなか想像できなかった。

「神楽ちゃんは腕力を活かして荷物持ちをしてもらうなんてどうかしら。新ちゃんの買い出しに付き合ってもらうとか。」
「毎日買い物行っていいアルか?ヒャッホー!私やるヨ!」

毎日何かしら買ってもらえると勘違いしているのか、神楽ちゃんは飛び跳ねて荷物持ちを承諾した。
しかし、お妙さんはニコニコ笑ったまま、神楽ちゃんの勘違いを否定しない。
神楽ちゃんがねだるものは酢昆布やらの安い駄菓子の類いばかりで、大きな出費にはならないからだろう。
そもそも米や味噌などの重い食料を頻繁に買い足す必要が出たのは、神楽ちゃんの胃袋に因るところが大きい。
消費する者が自ら調達してこい、というお妙さんの意志が何となく透かし見え、私と新八くんは無言で視線を合わせて頷いた。
神楽ちゃんの勘違いは訂正せずこのまま乗せておいた方がいい、適材適所だ、と。

「…で、銀さんはどうするんです?」
「だからァ、銀さんはいてくれるだけでありがたーい存在だって言ってんだろ。」
「このまま栄養のあるものを食べさせておいて、毛艶が良くなったタイミングで毛皮を剥ぐこともできるんですよ。銀さん。」

いつの間にか狩猟刀を片手に持ったお妙さんが、笑顔で言った。
ナガサだ。
主に熊の毛皮を剥ぐための道具をわざわざこの場に持ってきたところに、お妙さんの本気が窺える。

「ちょ…!待て待て待て!何のために毛が生えてんのかわかってんの!?今、毛皮剥がされちゃったら冬越せなくなるだろ!寒々しいことになっちゃうだろ!!」
「どうせすぐ生えてくるでしょう?それとも根元から切り落として襟巻にした方が高く売れるかしら。」

部屋の灯りを反射したナガサがきらりと光った。
銀さんは、背後から私の両肩を掴みぐらぐらと揺らした。

「おい!●●!黙ってないであのハンターを止めろ!銀さんの萌えポイントの危機だぞ!!」
「次に生える毛を期待してるってことは、お妙さんも命までは取らないってことだよ。そんなに心配しなくても大丈夫。」
「何が大丈夫!?なんで毛皮を刈られる前提で話進めちゃってんの!?つーか皮ごと剥がされたらもう生えてこねェから!」

襟巻にするにしても銀さんの尻尾は9本もある。
1本くらい尻尾がなくなったところで狐の妖だということがわからなくなることはないだろうし、アイデンティティも失われない。
普通の狐と違って衣類を身に着ける銀さんは、毛皮がなくとも体温調節は可能だろう。
命に関わるほどではない。
そう言って大袈裟に騒ぐ銀さんを宥めたが、あまり効果はなかったようだ。
銀さんは尻尾で私の身体をぱたぱたと叩きながら、私の背にへばり付いてくる。

「ほ、ほーら!●●ちゃーん?銀さんの可愛い尻尾ですよー。ふわふわですねー。これが剥がされちゃったら可哀想なことになるでしょ?もうモフモフできなくなっちゃうよ?困っちゃうでしょ!?」
「モフモフさせてくれたことなんてないじゃないの。」
「よし!これからこの尻尾は●●ちゃん専用にしてやっから!これから無制限フリータイムでモフモフさせてやっから!だから銀さんの尻尾を守れ!な!?」
「●●―。私の尻尾と耳モフモフさせてやってもいいアルヨー。」
「神楽ァ!オメーは黙ってろ!銀さんの希少価値が下がるだろうが!」

猫耳をぴょこぴょこと動かし尻尾を愛らしく揺らす神楽ちゃんの仕草を思わず目で追っていると、銀さんがばしんばしんと尻尾を私に打ち付けてきた。
痛いんだけど、と言うと、毛皮を剥がされる方が痛ェんだぞ!と必死に訴えられた。
…剥がされたことがあるのだろうか。
毛を剥がされて震える銀さんは少し可愛いかもしれない、と思った。

「いつまで●●ちゃんに抱き着いてんだテメーは!」

禿げた尻尾を抱きしめカタカタと震える銀さんを想像して和んでいると、痺れを切らしたお妙さんの蹴りが私から銀さんを引き離した。

「大の男が女の子の背に隠れるなんて姑息な真似をしないでください。」
「凶暴なゴリラに襲われかけたら女の背でも何でも隠れたくなるっての!」
「誰が何ですって?」

お妙さんは眉を吊り上げてナガサを構える。
余計なことを言って事態を悪化させる銀さんに助け舟を出す気にはなれず、私は再びため息を吐いた。
ふと新八くんと神楽ちゃんの方を見やると、2人で仲良く買い物メモを作っていた。
私は毛皮問題のことはひとまず捨て置き、新八くんたちの会話に加わることにした。

「早速買い出しの相談?」
「あ、はい。…メモを作っておかないと余計なものまで買っちゃいそうですし。」

苦笑しながらそう言う新八くんは、すっかり神楽ちゃんのお兄ちゃん役が板に付いているようだ。
私は微笑ましい気持ちになって神楽ちゃんの頭を撫でた。

「じゃあ神楽ちゃん。新八くんのお手伝いお願いね。」
「仕方がないから任されてやるネ。だから酢昆布買ってヨ。」
「1箱だけだよ。」
「ケチケチしてんじゃねーよ。小姑眼鏡。」
「誰が小姑だ!眼鏡関係ねーよ!」
「関係大アリネ。眼鏡なくなったらお前の個性なくなるからナ。銀ちゃんの尻尾より重大ヨ。」

銀さんとお妙さんに比べたら、遥かに可愛らしい喧嘩を始めた神楽ちゃんと新八くんに私は思わず笑ってしまった。
しかし、●●さんからもちゃんと言ってください、と眉を下げた新八くんの言葉に、咳ばらいをして慌てて取り繕う。

「神楽ちゃん。1つお手伝いをするごとに酢昆布1箱にしようね。いっぱいお手伝いしてくれたらまた買ってあげるから。」
「マジでか!●●は太っ腹アル!」

銀さんとは比べ物にならないくらいに素直な神楽ちゃんの態度に胸をときめかせる。
新八くんが、僕の時と態度違い過ぎるだろ、とぼやいていたがそれもまた彼女の魅力だろう。

「…それで●●さん。結局銀さんはどうするんですか?このままじゃ銀さんの仕事は”できるだけ早く毛を伸ばすこと”になっちゃいますけど。」
「大丈夫アル。銀ちゃんはむっつり狐だからすぐ毛も伸びるアル。」
「…どこでそんな俗説を覚えたの、神楽ちゃん…。」
「エロい奴ほど早く毛が伸びるって銀ちゃん本人が言ってたヨ。だから銀ちゃんの毛はふわふわだって自慢してたアル。」

やっぱり適材適所か、とお妙さんに追われる銀さんを新八くんは白い目で見つめた。

「うーん…銀さんにできる仕事…かぁ。」

私は部屋中を駆け回る銀さんに視線をやる。
真っ青な顔で尻尾を抱きしめながら走り回る様子を見ると、どうやら本気で毛皮を剥がされるのが嫌なようだ。
さすがに少し気の毒になってくる。

「●●。よく考えてみるネ。銀ちゃんみたいなおっさん狐が神楽様の猫耳と尻尾に勝てるわけないし、モフモフ成分では定春に負けてるアル。あのマダオ狐を追い出しておやつ代を私たちに回す方が絶対お得ネ。」
「え…えーっと…。」

笑顔で提案する神楽ちゃんの言葉に私は口ごもった。
必死に頭を働かせ、銀さんの長所を上げようと試みる。
銀さんの普段の生活を思い起こしてみた。
誰よりも遅くに起き出して、おやつをねだり、気が付くとそこらで昼寝をしている。
外出は月曜日にコンビニへジャンプを買いに行くだけ。
甘味に対するジャッジはやたら厳しいから舌が肥えているのかと思いきや、時々砂糖壺に手を突っ込んで糖分を摂取している。
時々どこかでくすねてきた酒を飲み散らかし、二日酔いで唸っている。
…残念ながら、まともな光景は浮かんでこなかった。
そんな銀さんにできそうな仕事はなんだろうか。

「さ、定春の散歩とか…?ご飯の配膳とか…?あ!近所のコンビニにお使いとか!」

思い付いたことを口にしてみる。
すると、新八くんと神楽ちゃんが白けたような遠い目をした。

「…ある意味●●さんが1番辛辣に銀さんの能力を評価していたんですね…。」
「え?だって銀さんが1番定春とじゃれてるし…定春の散歩役に適任じゃない?食事の時間は守ってるから、どこかで昼寝して行方不明になることもないし。それに毎週ジャンプを買いに行くんだからコンビニに買い物もできるよ。」
「…まずは外に出してみる。無理にコミュニケ―ションを強要しない。…引きこもりの社会復帰プログラムみたいですね…。」
「小学生のお手伝いレベルアル。」

新八くんと神楽ちゃんの言葉に同意するように、庭から定春の遠吠えが聞こえた。

***

「よし!●●!散歩行くぞ!散歩!」

驚くことに銀さんは、お妙さんと追いかけっこをしながらも私たちの話をしっかり聞いていたらしい。
私の手を掴むと素足のまま庭へ飛び出す。

「え…!?」
「待たんかい!尻尾は置いてけ!」
「取り外しできるか!」

お妙さんの大声を背中に受けると、走りながら銀さんは怒鳴り返した。
落ち着いてください姉上、とお妙さんを宥める新八くんの声と、買い物いつ行くアルか?と可愛らしく尋ねる神楽ちゃんの声がすぐに遠ざかっていく。

「…ったく…銀さんの尻尾の愛らしさと尊さがわかんねーなんて女子力皆無だな。やっぱりアイツ、男の成分の方が多いんじゃね?銀さんのぷりちーさをわけてやりたいわ。」

お妙さんたちの声が完全に聞こえなくなった頃、ようやく銀さんは歩みを緩めた。
ぶつぶつと文句を言いながら尻尾の無事を確認していく。
ふわふわと風に靡く銀色の毛を見ていると、やはり禿げあがった尻尾よりフサフサの尻尾の方が可愛いかもしれないと思い直した。
次に毛皮の話が出た時は、それとなくお妙さんに進言してみようと思う。

「…しょうがねーな、定春の散歩行くぞ。」

毛皮の無事を確認した銀さんは満足そうに頷くと、定春の元へ向かおうとした。
しかし、なぜか私の手を引いたままだ。

「なんで私も定春の散歩に行くの?銀さんの仕事だって言ったじゃない。」

“ニート狐”を脱却するために割り振った仕事なのに、なぜすでにお役目のある私を一緒に散歩に連れていくのか。
まさか途中で定春を私に押し付けて逃げ出すつもりなのだろうか、と少し疑いながら私は銀さんに尋ねた。
しかし、私の問いかけを聞いた銀さんは不思議そうにぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「なんでって…決まってんだろ。」

銀さんは呆れたようなため息を吐くと、じとりとした目で私を見下ろす。
おかしなことを言っているのはお前の方だ、とでも言いたそうな怪訝な顔をしていた。

「俺の仕事は●●が喰われないようにすることだっての。だから、オメーは俺と一緒にいなきゃなんないでしょーが。」

さも当然といった風に銀さんは言った。
定春が人間との生活に馴染み始めていることを皆で確認したばかりだというのに、まだ銀さんは定春が私を襲うかもしれないと危惧しているのだろうか。
しかし、慣れたように定春の首輪にリードを付ける姿からは警戒心の欠片も見えない。
散歩の気配を悟り飛び跳ねて喜ぶ定春も同様だ。

では一体、私は何から喰われる危険があるというのだろう。
銀さんは私を何から守ろうとしているのか。
楽しそうに尻尾を振り散歩に出る二柱の妖を見ながら、私は首を傾げるばかりだった。






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