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シエルはそっと己の右瞼を掌で覆って、長椅子の端に座るアンダーテイカーに視線を遣った。
上等の木で出来た飾り気のない長椅子に、異国の織り模様を贅沢に施した布を纏わせた、洒落た様子はなぜかこの男によく似合っている。

「…お前は優しいな、アンダーテイカー。この眼を抉り取れば契約を破棄できるなんて、そんな都合のいい話がお前の譲歩だと気づかないほど、僕はめでたくはできていない」
「聡明さは時として仇になるね、伯爵」

アンダーテイカーは蛍翠の瞳をゆるく眇めての微苦笑だ。
長く伸ばした銀灰の髪、顔に刻んだ過去の爪痕、穏やかにこちらを見詰めてくる眼差しに、心満たされぬとは言えない。
確かな情を、相手も、そして己も、互いに傾けていることは事実だ。
言うなれば、あたたかな愛情めいたものを、向き合って繋いだ両腕のなかに、大事に抱え合っていける相手なのかもしれない。

「瞳はただの目印だ。僕の中にある見えない何かと、お前の中にある見えない何かを、結び付けるこの得体の知れない鎖のような気持ちが、契約の本質じゃないかと僕は思っている。なぁ、アンダーテイカー」
「なんだい、ご主人様」
「契約とはいえ、礼を言う。お前に、感謝を」

アンダーテイカーは薄い唇を柔らかく綻ばせて、ただ一言、そうかい、とだけ答えて寄越した。
この男の傍で、あたたかい気持ちだけを掬い上げ、小さな喜びに肩を寄せ、生きていくことは難しくない。その先にあるのは、紛うことなき幸福だ。
けれど、胸のどこかで嵐を望む声がする。
緋色の荒風に焦がれてやまない。

「もし、もしも、印がなくとも何処かしらで繋がることができるなら、僕の声はあの悪魔に届くだろうか」
「ひとつ、言っておく」

アンダーテイカーは脇に放っていた死神の大鎌を、重さを感じさせぬ素早さで手にし、長い柄でシエルの胸をトン、と叩いた。
蛍翠の瞳は仄暗い翳りを帯びて、物騒な麗しさだ。

「あの悪魔が君を求めてこの場所に現れたら、小生は彼の首を刈り飛ばす」
「…ただ、会うだけだ。会いたいだけだ、…僕が」

シエルは苦しい胸を自らの手で鷲掴み、呻くように言葉を繋げる。
奥底に仕舞い込んでいたものを、晒け出して、形を確かめていくような、そんな心持ちだ。
きっと互いに、満たされぬ思いに苦しむことしかできないだろう。
向き合って手を繋ぐことすら、出来ないに違いない。
手荒に心臓を鷲掴むような、鬩ぎ合うような抱擁しかできないと分かっている。
けれど。けれどと、思うのだ。

「―――セバスチャン」

名を、呼ぶ。
この声は、お前に届くか?セバスチャン。



***



箱庭を眺めるシエルに、きちりと燕尾服を着込んだ執事が、皮肉気な笑みと共に声を掛けた。

「あなたはお優しい、坊っちゃん」
「何の話だ」

片側の柳眉をツイと上げた主人は、察しが付いているのか嫌そうな面持ちでこちらを見返してきた。
爪先がコツリコツリと、神経質に机をノックしている。

「諦めの良さ、それがあれば、私が今ここにいることもないでしょう。あなたは私を解放したいのですね。それも、あなたの命令ではなく、私の意志によって」
「…どうとでも、とるがいい」

シエルはまた視線を箱庭へ戻し、見るとはなしに駒達の狂騒を眺めながら、ぽつり、呟いた。

「…お前が偽物の僕に混ぜたものは何だ」
「本来は悪魔への嫌悪を取り除き、フラットな感情を混ぜ込みたかったのですが…、それは状況が叶えてくれそうでしたので」

セバスチャンは勿体ぶるように言葉を切って、眼差しを呉れない主人を見遣る。
蒼く艶めく細髪の、その合間から覗くオッドアイ。
人性を映しだすインディゴと、揃いの呪痕を刻んだヴァイオレット。
やはりシエルには、何色よりもこの二色が似つかわしい。私の、美しい主。

「私は、私と共にあることへの執着、言い換えれば諦めの悪さを、あなたに」

敏い主人は、その答えが同時に、先程暴いて見せたシエルの願望への答えでもあるのだと気付いて、容良い眉をギュウと寄せた。

「…ほんとうに、諦めの悪い」
「お褒めの言葉、恐縮でございます」

慇懃に一礼すると、シエルはチラとセバスチャンを見て、不機嫌な様子で手招いてきた。
素直に傍に寄って膝をつくと、細い腕が首に回される。
そうして寄越されたのは、はじめての口付けだった。


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