15
さや、と頬を撫でていく風には雪の気配。
騎乗のまま籠めるように抱き込まれ、シエルは美貌の執事を見上げて眼を細めた。
見目麗しくとも所詮は獣、飼い馴らされ四足で這う姿が似合いというもの。
不埒な指先がそこここを撫でていく合間に、シエルはするりとセバスチャンの腰を抱いた。

「言葉など紛い物と、承服して頂けたようで」

ぴたり、と。
佞悪な笑みを浮かべた悪魔の尖った顎先に、掠め取った馬鞭を突き付けるシエルだ。

「耐えられない肉の痛みはないが、耐えられない心の痛みはこの世に在る。それと同じことだ、セバスチャン。肉ばかりの交わりは享楽でしかない。交歓には、なり得ない」
「愛の告白は交歓への道標、ですか?」

冷たい瞳でこちらを眺めつつ、悪魔はチロと浅く舌舐めずりをして見せる。
挑発と誘惑、そして僅かな高揚を滲ませる仕草だ。

「伝えたいこと、伝えなければならないことは、言葉にしろ。それがどんなに困難であろうと、それ以外に方法はない。心触れ合い思い通ずるなど、ただの甘えに過ぎないと僕は思う。言葉こそが、欺きであり、救いであり、咎だ」
「真意は言葉の中にこそ、あるものだと?」

シエルは鞭先で執事の顎を撫でつつ、首を左右する。
悪魔に対して真意や愛の講釈など、無為にも程があるぞと胸中で苦笑いだ。

「真意という言葉には、内に向かうイメージがあるだろう?内へ内へ、中心に向かって、最も奥めいたところに帰結するような。真意や真理が、よく深遠なと形容されるのは、多くの者がそう感じるからだ。そう、真意も真理も、遠く沈みこむような深きに、ある。表層にあるようなものじゃない。それでも」

それでも、とシエルは言い募った。
踏み込みたい。こんなにも強く思ったことは、今までに一度もなかった。
この姿ばかり美しい男に、意志を知らしめたい。誰よりも、目の前で皮肉気に笑む、この男に。
まるで掻き口説くようなこの熱い心の裡には、一体どんな訳があるのだろう。

「それでも、言葉にしか真意は宿らない」

ぶる、と二人を乗せていた馬が体を震わせた。
揺れた視界の端に、冬枯れの森にはあるはずのない、緑の色がふいに横切ったよう。
緑は妖精の、そして死者の衣の色だ。
死を司るあの男には何とも相応しい色だと、思って。シエルはそっと己の右眼を撫でた。
途端に、身の内を責め苛んでいた焔を、清水が消し去っていく。

「…御主人様?」

それを目敏く察した悪魔が、シエルの双眸を見定める様に覗き込んでくる。
薔薇色がかった紅茶色の瞳だ。先程まであんなにも心煽り立ててきたはずなのに、今は錆びた鉄のように観える。
ビッ、手加減なく右頬を鞭打って、シエルは冷然と凍える眼差しを向けた。
頬から顎へ伝う細い血を拭うこともせず、美しい無表情でこちらを眺めてくるセバスチャンに、王者然として薄く笑って見せる。

「右を打たれたなら一拍も置かず左も差し出せ。お前は出来の悪い家畜か?」
「無抵抗に屈せよと仰るなら、私は家畜そのものですね」
「悪魔め」

シエルはふいと顔を反らして、帰路に着けと無言の指示だ。

「右利きの多い中で、最初に右の頬を叩かれるというのは、暴力でなく侮辱だ。体と心に侮辱を受けても、頭を垂れることなく、背を向けて逃げ出すことなく、踏みとどまって、毅然と真っすぐ顔を上げろと言っているんだ。僕の執事を自負するならば、僕はお前に多くを求める。…完璧にこなせ、お前は僕の執事だろう」
「―――…イエス・マイロード」

応、と答えた執事の声を訊きながら、シエルはもう一度右の目蓋をゆるく撫でた。
溜息を、ひとつ。そして前を見る。なぜだか、あの妖しげな男に会いたいと思った。


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