セバスチャンは賦に落ちぬ顔をして、漫然と箱庭を眺めている。
「どうしたんだ?お前が動かす番だぞ?」
「この箱庭の坊っちゃんの方が――」
「こっちの方が何だと言うんだ?」
「いえ――」
シエルは苛立ちを隠さず、机を人差し指で軽く叩きながら、
端麗な眉を上げて語調を強めた。
「言い出したモノは最後まで言え。気持ちが悪い」
「では――」
(結局聞いて欲しいなら、早く言え)
シエルは上唇を僅かに尖らせて、セバスチャンを見上げる。
「比べれば、格段にお優しいような」
「そうか?」
「私が初めて貴方にお会いした時は、こんなものでは済まされなかったかと」
今度はシエルが怪訝そうな顔をして、細い首を傾げた。
(一体何が言いたい?)
「そんな皮肉が僕に言いたくて、ゲームを中断してるのか? さっさと進めろ」
「いえ、貴方はもっと悪魔を毛嫌いしていらっしゃった――」
「当たり前だ」
(お前は僕から、最も大切なものを奪ったんだ)
セバスチャンは深く溜息をついて、
シエルから視線を逸らして沈んだ声で言う。
「渡り賃の事を恨んでおいでなのですね。今でも」
「もう忘れた」
「いいえ、それは坊っちゃんの心の奥深くに刻み込まれ、今でも燻っているはず」
突然シエルは気色ばみ、目尻を吊り上げ、
食って掛からんばかりの勢いで問いかけた。
「だから?そうだと認めれば、兄は生き返るとでも言うのか?」
「いいえ。貴方は彼の復活を望んでらっしゃるのですか?」
「まさか。
僕はただ……普通に人として、人間として葬ってあげたかっただけだ」
「葬られたではないですか。坊っちゃんの身代わりとして」
「そしてその魂は、お前の腹の中だ」
シエルは晴らせぬ旧怨に、
セバスチャンを酷く険しい表情で睨みつける。
(無論、その魂を使って悪魔なぞを召還しようとしたのは、
あの狂宴に参加した人間だ。
それはわかってる。だけど……)
「それが、貴方が茨で刺し殺せと私に願う理由ですか?
浅ましい悪魔に、ご自分も成り果てた事が」
シエルが答えずに顔を背けると、
セバスチャンが顎を掴み無理に向かせた。
「やめろっ。セバスチャン」
漆黒の執事の貴柘榴石のような瞳は、
暗欝な翳が差している。
――どんなに躯を繋げても、その唇を許さないのは、
貴方の半身の味がするのを怖れていらっしゃるのでしょう?――
シエルはセバスチャンの手を強く叩いて、
もう一度顔を背けた。
***
もう一度、セバスチャンは血の滴る傷に口をつける。
吸われる痛みに、どこか淫らな快楽が混じって、
シエルは目を細め顎を上げた。
尖った獣の牙があたり、
躊躇いがちに小さな声がシエルの口から漏れ出す。
「もう……味見は十分だろう?」
漆黒の髪がシエルの胸を撫で、セバスチャンは漸く胸から口を離し、
顔を上げた。
「ええ――」
「おやおや。これはとんだ時にお邪魔してしまったかい?」
葬儀屋は音も無くダイニングルームに現れると、
身体をゆらゆら揺らしながら食卓に近づいて、
銀の皿に乗せられた果実を手にする。
「ああ、アンダーテイカー。もう来る頃だろうと思っていた」
シエルの傷をさっとセバスチャンが撫でると、
何の痕も残さず白い肌に戻る。
「執事君……摘み食いかい?お行儀が悪いねぇ」
シエルのシャツのボタンを止めながら、
セバスチャンは葬儀屋の様子を横目で窺いながら答えた。
「貴方の契約主は、実に見事な味わいで」
「欲しくなったかい?」
葬儀屋はひひひと笑って、シエルの脇に立ち、
黒く長い爪でシエルの丸みのある頬を撫でる。
「血くらいなら良いけどね。
魂は小生のモノさ。手を出してはいけないよ?」
葬儀屋はセバスチャンから隠すかのように、
黒いローブでシエルを覆う。
「やめろっ。暑苦しい」
「君に良いモノをプレゼントしてあげよう」
ローブの中で、葬儀屋はシエルの手をつかみ、
指に指輪を嵌めた。
その指輪を見て、シエルは息を呑む。
深い蒼色の、大粒の宝石の指輪。
「これは……ファントムハイヴ家の当主の。一体どこに?」
「それは君は、聞かない方が良いと思うよ...で、どうだったこの執事君の働きは?」
「ああ、気に入った」
シエルは答えながら、セバスチャンが食卓から皿を下げている様子を見つめた。
その整いすぎた顔からは、血を吸っていた時のような陶酔した表情は消えうせ、
今は黙々と無表情に仕事をこなしている。
「執務室に戻る。
セバスチャン、今度はまともな紅茶を持ってこい」
シエルは席を立ち、
そう言い残してダイニングルームを出て行った。
「あの子も満更ではなかったようだねぇ。一体君はいつ彼の躯に手をつけるつもりだい?
その時は是非、小生が居る間にしてもらいたいねぇ」
葬儀屋はシエルの後ろ姿を見送ってから、
果実を齧り、笑って言う。
「貴方がいらっしゃる時とは、それはどういった理由で?」
「ギャラリーは多ければ多い方が、燃え上がるってものだろう?...」
「それはいささか変わった性の嗜好かと」
「彼の魂の味は極上だっただろう?」
葬儀屋は前髪をかき上げ、翡翠色の瞳を煌かせて尋ねた。
セバスチャンは皿を片付ける手を止めて、
一瞬味を思い出したかのように瞳を朱く染める。
「ええ。
貴方が私に、執事の仕事をしろと言ってきた時、
てっきり私は、ここの当主の魂を頂けるとばっかり思っていましたが、
あの方の魂は既に、貴方と契約していらっしゃる」
「そうさ……手出しは無用だよ?
あの子は人間。
人ならぬ小生や君のような存在、両方を心にかけてしまっては、
負担が高すぎる。
小生と君、両方に心を許せば、あの子は死ぬ」
葬儀屋は笑い止め、
セバスチャンを見据えた。