12
 セバスチャンは賦に落ちぬ顔をして、漫然と箱庭を眺めている。


「どうしたんだ?お前が動かす番だぞ?」
「この箱庭の坊っちゃんの方が――」
「こっちの方が何だと言うんだ?」
「いえ――」

 
 シエルは苛立ちを隠さず、机を人差し指で軽く叩きながら、
 端麗な眉を上げて語調を強めた。


「言い出したモノは最後まで言え。気持ちが悪い」
「では――」


(結局聞いて欲しいなら、早く言え)
 
 
 シエルは上唇を僅かに尖らせて、セバスチャンを見上げる。


「比べれば、格段にお優しいような」
「そうか?」
「私が初めて貴方にお会いした時は、こんなものでは済まされなかったかと」


 今度はシエルが怪訝そうな顔をして、細い首を傾げた。

(一体何が言いたい?)


「そんな皮肉が僕に言いたくて、ゲームを中断してるのか? さっさと進めろ」
「いえ、貴方はもっと悪魔を毛嫌いしていらっしゃった――」
「当たり前だ」


(お前は僕から、最も大切なものを奪ったんだ)


 セバスチャンは深く溜息をついて、
 シエルから視線を逸らして沈んだ声で言う。


「渡り賃の事を恨んでおいでなのですね。今でも」
「もう忘れた」
「いいえ、それは坊っちゃんの心の奥深くに刻み込まれ、今でも燻っているはず」


 突然シエルは気色ばみ、目尻を吊り上げ、
 食って掛からんばかりの勢いで問いかけた。


「だから?そうだと認めれば、兄は生き返るとでも言うのか?」
「いいえ。貴方は彼の復活を望んでらっしゃるのですか?」

「まさか。
 僕はただ……普通に人として、人間として葬ってあげたかっただけだ」
「葬られたではないですか。坊っちゃんの身代わりとして」
「そしてその魂は、お前の腹の中だ」


 シエルは晴らせぬ旧怨に、
 セバスチャンを酷く険しい表情で睨みつける。

(無論、その魂を使って悪魔なぞを召還しようとしたのは、
 あの狂宴に参加した人間だ。
 それはわかってる。だけど……)


「それが、貴方が茨で刺し殺せと私に願う理由ですか?
 浅ましい悪魔に、ご自分も成り果てた事が」


 シエルが答えずに顔を背けると、
 セバスチャンが顎を掴み無理に向かせた。
 

「やめろっ。セバスチャン」


 漆黒の執事の貴柘榴石のような瞳は、
 暗欝な翳が差している。

 
 ――どんなに躯を繋げても、その唇を許さないのは、
 貴方の半身の味がするのを怖れていらっしゃるのでしょう?――


 シエルはセバスチャンの手を強く叩いて、
 もう一度顔を背けた。


***
 もう一度、セバスチャンは血の滴る傷に口をつける。
 吸われる痛みに、どこか淫らな快楽が混じって、
 シエルは目を細め顎を上げた。

 尖った獣の牙があたり、
 躊躇いがちに小さな声がシエルの口から漏れ出す。


「もう……味見は十分だろう?」


 漆黒の髪がシエルの胸を撫で、セバスチャンは漸く胸から口を離し、
 顔を上げた。


「ええ――」

「おやおや。これはとんだ時にお邪魔してしまったかい?」


 葬儀屋は音も無くダイニングルームに現れると、
 身体をゆらゆら揺らしながら食卓に近づいて、
 銀の皿に乗せられた果実を手にする。


「ああ、アンダーテイカー。もう来る頃だろうと思っていた」


 シエルの傷をさっとセバスチャンが撫でると、
 何の痕も残さず白い肌に戻る。


「執事君……摘み食いかい?お行儀が悪いねぇ」

 
 シエルのシャツのボタンを止めながら、
 セバスチャンは葬儀屋の様子を横目で窺いながら答えた。


「貴方の契約主は、実に見事な味わいで」
「欲しくなったかい?」


 葬儀屋はひひひと笑って、シエルの脇に立ち、 
 黒く長い爪でシエルの丸みのある頬を撫でる。


「血くらいなら良いけどね。
 魂は小生のモノさ。手を出してはいけないよ?」

 
 葬儀屋はセバスチャンから隠すかのように、
 黒いローブでシエルを覆う。


「やめろっ。暑苦しい」
「君に良いモノをプレゼントしてあげよう」


 ローブの中で、葬儀屋はシエルの手をつかみ、
 指に指輪を嵌めた。
 その指輪を見て、シエルは息を呑む。

 深い蒼色の、大粒の宝石の指輪。


「これは……ファントムハイヴ家の当主の。一体どこに?」
「それは君は、聞かない方が良いと思うよ...で、どうだったこの執事君の働きは?」
「ああ、気に入った」

 
 シエルは答えながら、セバスチャンが食卓から皿を下げている様子を見つめた。
 その整いすぎた顔からは、血を吸っていた時のような陶酔した表情は消えうせ、
 今は黙々と無表情に仕事をこなしている。

 
「執務室に戻る。
 セバスチャン、今度はまともな紅茶を持ってこい」


 シエルは席を立ち、
 そう言い残してダイニングルームを出て行った。


「あの子も満更ではなかったようだねぇ。一体君はいつ彼の躯に手をつけるつもりだい?
 その時は是非、小生が居る間にしてもらいたいねぇ」

 
 葬儀屋はシエルの後ろ姿を見送ってから、
 果実を齧り、笑って言う。


「貴方がいらっしゃる時とは、それはどういった理由で?」
「ギャラリーは多ければ多い方が、燃え上がるってものだろう?...」
「それはいささか変わった性の嗜好かと」
「彼の魂の味は極上だっただろう?」

 
 葬儀屋は前髪をかき上げ、翡翠色の瞳を煌かせて尋ねた。
 セバスチャンは皿を片付ける手を止めて、
 一瞬味を思い出したかのように瞳を朱く染める。


「ええ。
 貴方が私に、執事の仕事をしろと言ってきた時、
 てっきり私は、ここの当主の魂を頂けるとばっかり思っていましたが、
 あの方の魂は既に、貴方と契約していらっしゃる」

「そうさ……手出しは無用だよ?
 あの子は人間。
 人ならぬ小生や君のような存在、両方を心にかけてしまっては、
 負担が高すぎる。
 小生と君、両方に心を許せば、あの子は死ぬ」


 葬儀屋は笑い止め、
 セバスチャンを見据えた。


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