11
上品な造りの長々とした食卓に、ただひとり腰掛けている少年がいる。
執事と見える燕尾服姿の長身の男が、優美な挙措で淹れたての紅茶をサーブしているところだ。
すでに置かれた大皿には、色鮮やかな果物と柔らかなパン、それらを切り分ける為の小振りなナイフが添えてある。
幼いばかりのいとけない容貌をした、痩躯の少年は、シエル・ファントムハイヴという。
見る者を、は、と惹きつけるような美貌ではあるが、その瞳は昏い翳りを帯びており、迂闊に人を寄せ付けない棘がある。
その少年が、小造りな唇にティーカップの淵を押し付けながら、セバスチャンに声を掛けて寄越した。

「お前も飲むか?」
「いいえ、人間の餌は悪魔の味覚に合いませんので」
「奇遇だな。人間の舌にも、お前の淹れた紅茶は合わない」

儚い花のように可憐な顔をしておいて、その実なかなかの毒花だ。セバスチャンは従順な謝罪を口にしながら、胸中ひそりと笑みを零す。
ティーカップをソーサーに戻して、シエルはそれを顎でしゃくった。

「こんなものは犬でも飲まない。お前は犬以下だな、セバスチャン。名前負けだ」
「精進致します」

犬の名前にすら劣る悪魔など、呆れを通り越して失笑だ。そのぐらいは言いそうだと思いシエルを眺めていたが、予想に反して、シエルはそうしてくれ、と一言だけ返してきた。
魂喰いの契約を交わしていないために、悪魔に対する嫌悪や侮蔑の感情が薄いのかもしれない。
だが悪魔に犬の名前を与えようという発想自体、相当いい性格をしているとセバスチャンは思う。
犬の名前だと明かされた時は、思わず「クソガキ」と胸中罵りの声を上げたものだ。

「もうすぐアンダーテイカーが来る、…と思う」
「思う?」

不確定な言い様に首を傾げて見せると、シエルは説明し難いといった表情をして、なんとなくそういう気がする、と答えた。
余人の目がない屋敷内のため、晒したままでいる右目をシエルはそっと撫でる。

「なんと言えばいいか分からないが…、姿が見えなかったとしても、気配というか、息遣いというか、アンダーテイカーの存在そのものを、いつでもぼんやりと感じるんだ」
「嗚呼、そういうことですか。あなたは心魂で彼と契ったようなもの。距離を越えたシンパシィを感じてもおかしくはありません」
「もしお前と契約したら、お前のこともこんな風に…、常に寄り添う影のようだと感じるのか?」
「私があなたを気に入り、あなたが私に僅かでも心の一部を明け渡すことが、悪魔と契約を結ぶ為の前提条件です。ですから、そういったことも起こり得るかと」

誘うように笑んで見せると、少年は見上げる視線を寄越しながら、何事か考える素振りだ。
頬杖をついて、掌の中に円い頬を収める。

「悪魔が要求するのは、命だけじゃないのか」
「時によりけり、とお答えしておきましょう」
「命を奪うよりも罪深いことは何か知っているか、セバスチャン」

翡翠と翳蒼のオッドアイをひたと向け、シエルは悪魔の答えを待つ構えだ。
体を無理に暴くことでしょうか、淫靡な笑みを刻んでそう言い遣ると、シエルは即座に否定を返してきた。

「命を奪うよりも罪深く、体を暴くよりも困難なのは、心を奪うことだ」
「…なるほど、興味深いご意見です」

セバスチャンは食卓の椅子に座ったシエルの足元へ跪き、瞳を見交わしながら口を開く。
吐く息のひとつ、瞬きのひとつから、二度と巡り合えないであろう高貴な魂の気配を、惜しげもなく零す人器。
それは思い違いでないと、証明したくなる程には、この幼い少年に心惹かれた。

「血を、戴けませんか」
「血?」
「ええ、血には魂の精気が僅かばかり宿っております。その味を、確かめたいのです」
「仕えるに相応しい主かどうか試したいということだな」

うっそりと唇端を擡げることで肯定すると、シエルは何の気負いもなく、ついと腕を伸ばした。

「な、……!」

セバスチャンは絶句して目を瞠る。
唖然と目前のシエルを眺めていると、少年は訝しげな表情で、グイと胸を押し付けてきた。

「お前が血を寄越せと言ったんだろう、何を驚いているんだ」

シエルは大皿から取り上げた、血で濡れたナイフをぽいと床に放る。血が溢れ出た傷は胸の真中、少し左、ちょうど心臓のある辺り。
無造作に切り裂かれたその傷に、セバスチャンは束の間本心から見惚れた。

「大胆で、無謀で、愚か。―――嫌いでは、ありません」

そっと唇を寄せる。
恍惚と酩酊するような、甘くて、熱くて、不埒で、凛々とした、蜜のふりをした毒。

「嗚呼、…美味しい。あなたは悪魔を殺せる唯一の人間、ですね」
「なにを、言って」

血を啜られる痛みに眉を顰めながら、シエルが問うてくる。それには応えず、セバスチャンは汚れた唇で囁いた。

「あなたに仕えましょう、マイ・ロード。だから私を退屈させないで」


***


星よりも遠い宙の向こうで、悪戯な神の片割がくすりと笑ったようだった。
緋臙と艶藍のオッドアイを楽しげに眇めて、差し向いに立つ相手に、卓上の箱の中身を指して見せる。

「お前の手番だぞ、セバスチャン」

シエルは頬杖をついて、掌の中に円い頬を収める。わざとらしいまでに、先程とそっくり同じ動作だった。

「僕を退屈させるなよ」

セバスチャンは従順の下に牙を隠した、品の良い声音で。

「イエス・マイロード」

そう、応じた。


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