ふ、と蝋燭の灯が絶える。
暗闇の中、靡いて燻る白煙を見るとはなしに眺めつつ、シエルは豪奢な椅子に背を預けた。
執務机には書きかけの書類が数枚放られている。机を前に、椅子に腰かけたシエルは、煙の行方を追って破れた窓を見遣った。
煌々とさかけき星を浮かべた夜空は美しい。
けれど、それが何やら造りものめいて見えて、シエルは不快さに眉を顰めた。
星の光で透かして見ることも出来ぬ純黒の空の向こうに、神と呼ばれる人為らざる者がいるのだろうか。
彼らは自らが誂えた箱庭を、どのような顔で見下ろしているのか。嗤っているのか、哀しんでいるのか、怒っているのか、泣いているのか。いずれにしても幸福ではあるまい、とシエルは思う。
神もまた何らかの箱庭の住人に違いない。世界は入れ子のように、螺旋を描いてどこまでも続く。
「…埒もない」
浅い溜息を吐いて徒然な思索を打ち切ると、シエルは窓硝子に映した己の双眸をじっと見つめた。
翳蒼の左と、翡翠の右。後付けのオッドアイ。
あの夜、狂気のサバトに突如現れた既知の男は、シエルだけを生かし全ての命を大鎌で刈り取った。
凡庸とした風変わりなだけの男とばかり思っていたが、晒された蛍碧の瞳は、断罪の輝きを持って鋭く研ぎ澄まされていた。
(契約しよう、弟君。小生が君の役に立つ)
返り血など僅かもない真っ白な掌を差し出して、死神だと明かした男は親愛すら籠った微笑みを見せ、こう言った。
(その代わり、笑ってしまうぐらい君が幸せになる未来を…、小生に見せておくれ)
神秘を宿すこの翡翠の瞳は、その契約の証しだ。
憎しみを呼気とし、復讐を糧として生きることを望む己には、なんと皮肉で叶え難い取り引きだろう。
もしもアンダーテイカーが、シエルの望み通り人為らざる者を従僕として寄越したとしても、シエルは契約を交わしてそれを縛ることはできない。人の身に二つの契約は重すぎると、アンダーテイカーから聞いていた。
対価として何かを要求される場合も、同じ。
アンダーテイカーにくれてやると約した、それ以外の物から選ばせなければならない。
もしアンダーテイカーとの約束がなければ、セオリー通り命や魂を差し出せと請われても、迷いなく応じることができたのだけれど。
これはなかなかの難事だと―――、シエルは先程とは異なる、重く長い溜息をついた。
そこへ、コツコツと扉を叩く音が。
誰何の声もかけずに入室を許可すると、扉の向こうから件の契約主と、一人の男が現れた。
アンダーテイカーの陰に隠れて、その顔は見えない。
「やぁ、シエル君。調べものかい」
「この家について、僕は知らない事が多すぎるからな」
椅子に深く掛けたまま、チラとアンダーテイカーの背後へ視線を遣ると、背後の男はそれに気が付いたのか自ら一歩前へ出た。
「おやおや、これは小さな御主人様だ」
艶やかに謎めいた低い声が、容良い唇からするりと零れ落ちる。
罪と咎、そして憂いを煮詰めた緋紅の瞳。
息が、止まる。瞬きすら、忘れた。
眼差しが交錯する。
相手も、僅かに目を瞠ったよう。
「―――…どうぞ、私に名前を。マイ・ロード」
心底から、この男に見惚れた。