08
「で?」
「ここが君の新しい職場。もしくは贄の屠り場だよ...」


 腰まで優に届きそうな白色の長い髪。
 そして長い前髪で隠されてはいるものの、
 すっと通った鼻筋には大きな古傷が残されていて、
 男が尋常ならぬ経歴の持ち主だという事を窺わせる。

 その風変わりな黒一色の身なりをした長身の男は、
 半壊した屋敷の前で不気味な声を立てて笑っていた。
 

「ところで何故、わたくしにこのような格好を?
 そして何故私が、働かなければならないのでしょうか?」

 
 背後から黒い燕尾服姿の男が静かに歩み寄り、
 夜闇の中にうち捨てられた瓦礫まみれの屋敷を見渡す。

 そんな廃墟のような場所でも、中に誰かが棲んでいるのだろう。
 屋敷の一角から蝋燭の灯りが漏れ出ている。
 かつて美しく整備されていたのであろう庭園も、
 既に見る影もなく荒らされ踏みにじられていた。

 焼け爛れた低木からも屋敷からも、未だ血と硝煙の微かな香りが漂ってくる。
 無論、それを嗅ぎつけられるのは、
 異常なまでの嗅覚を有するこの燕尾服姿の男のみだ。


「とても良く似合ってるよ、君に」
「お褒め頂きありがとうございます。ですが質問の答えを」


 烏の羽の如き漆黒の髪は闇に溶け混じり、
 淡い月光が青白く蝋細工のように完璧な美貌を持った顔を照らし出す。


「腹を空かせてるんだろう?」
「私は――」

「言わなくてもいい。君が人間じゃないという事くらい判ってるさ...
 本来なら魂の契約を結んでいなければ実態化しない君のような悪魔が、
 どうして契約もなくここに存在しているか...」

「ああ、成る程。では貴方が私の契約希望者なのですね?」
「違うよ...
 悪魔くんの生態には、ほんの少し興味があるし、
 居れば便利かもしれないけどねぇ...」


 漆黒の燕尾服姿の男は白い首を傾げて、目の前の男を品定めするように、
 暗赤色の瞳で眺めた。


「小生の魂の味を測っているのかい?
 年輪を重ねた大樹のような香りがするかもしれないねぇ」

「どちらかと言えば、飲み頃をとうに越してしまって、
 酢になってしまった葡萄酒のような香りがします」

「それは生憎だったねぇ...
 小生は単なるしがない葬儀屋。
 まあ、それはこの際、君にはどうでも良い事かもしれないが。
 君には他でもない、
 このファントムハイヴ伯爵家の執事として、働いてもらいたいんだ」


 葬儀屋は朽ちた館を指差して、
 口を三角に開けてにへらと笑った。


「その申し出を受ける事で何か私にメリットでも?」
「小生特製の『これだけは見逃せない――スペシャル厳選死体100選』
 を後で贈呈させてもらうよ?」

「それはいいですね!……って言うわけがないでしょう?」
「ヒヒヒ...小生も乗りつっこみは好きさ。
 あ、まだ帰らないでおくれよ。話は終わっていない」


 葬儀屋は、踵を返し帰ろうとする燕尾服姿の男に呼びかける。


「まだお話が?」
「君たち悪魔という種族が、いつも見返りを求めてくるのは知ってるよ。
 ちゃんと用意させてもらうし、それはきっと君の満足のいくモノな筈」


 葬儀屋は何センチも伸ばした黒く細長い爪を、
 男の燕尾服の襟に添って這わせた。


「後のお楽しみ……というわけですか。
 宜しいでしょう。焦らされるのも悪くはありません」


 葬儀屋はくくくと低く笑いながら、
 袖から家紋のついた銀色の執事証章を出して、
 燕尾服の襟につける。


「それでこの家の主は?
 廃墟に住むご趣味がお有りになるのですか?」

「これは止む無く、そうなってしまっただけさ。
 伯爵は館の中で君を待っているよ、執事君。
 さあ会わせてあげよう」


 葬儀屋はファントムハイブの屋敷に向かって歩き始め、
 その後を執事姿の男がついていく。
 玄関正面にあった筈の大きな扉は破壊され、
 誰でも出入り自由のまま放置されていた。


***

 精巧な箱庭を見つめていたセバスチャンは顔を上げて、
 シエルを見つめ眉根を微かに寄せる。


「貴方から見る私はこんな――ですか?」
「ここまでなら、大して今のお前と差はないように思えるが?」


 シエルも箱庭から視線を上げて、
 大きな紫水晶と蒼玉のオッドアイをセバスチャンに向けた。


「こんなに恍けてはいないと思いますが。
 これがいわゆる主観と客観の違いなのでしょうか」

「自分の声を録音すれば、
 体内を隔てた時と外に聞こえる声の違いにうんざりするものだ」

「残念ながら、私は人間だった事がないもので、
 そのたとえは分かりかねます」


 シエルは溜息をついて、手を軽く振り、
 また箱庭に目を落として言う。


「もういい。次は僕の番だ」


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