夜は愛の時節02
シエルは昼下がりの庭をゆったりとした歩調で散策しながら、朝から寄りっぱなしの眉間を揉みほぐしていた。
噴水の脇を抜け、広々とした道を通り、花のアーチを潜る。奥まった狭道を少し進むと、迎賓のためでなく、館主が楽しむために設えられた小園がある。
小造なテーブルと二脚の椅子、白薔薇の垣根、そしてささやかな温室だけが備えられたこの場所は、シエルの気に入りだ。
執事の意向で、温室では様々なハーブが栽培されている。カモミール、ローズマリー、ターム、ミント、緑ばかりの絨毯が濃淡の模様を描き、淑やかに美しい。
その温室の入口辺り、吊り下げられた銀の籠に、空色の小鳥が一羽。
シエルは籠の側まで歩みより、密談でもするように執事が捕らえた小鳥に顔を寄せた。

「…お前、まさかとは思うが僕の執事に何かしたか?」

可憐な瞳で見上げてくる小鳥と暫し見詰め合い、シエルは深い溜め息だ。
セバスチャンがおかしい。
戯れに人の心を乱して微笑む、そんな性悪な男だ。チェーンソーで美形を刈るのが赤い死神の趣味ならば、チェーンソーでシエルの心を伐採するのがあの悪魔の趣味である。
だが、求愛じみた類いの戯言を寄越してきたことは、今までなかった。

「それともやはり過労か…。セバスチャンと言えど、労働法を少しばかり超過した勤務では、疲労するものなのかも知れない。主人たるもの、あの手の冗談でも寛容に受け止めてやるべきだろうか」
「冗談ではございません、と申し上げているでしょう」
「――――!!セ、バスチャン!気配を消して近付くな!びっくりするだろう!」
「おや、申し訳ございません。小鳥と囀ずり合うお姿が余りに可憐で、つい」

いかなシエルといえども、執事に多大な労働を課している覚えは僅かばかりあるので、主としての精一杯寛容な態度として――――無視をした。

「嗚呼、いっそ貴方が小鳥だったなら、いつでも私の肩で可愛らしく囀ずって頂けたでしょうに」

妖しげな笑みを唇に湛えて、執事はスイとシエルの顎を指先で掬い上げた。
腰を屈めて、小鳥の羽が舞い落ちるようにそっと、うつくしい顔を寄せてくる。

「人である貴方を肩に留めて、いとけない唄囀ずりを一日中楽しむことはできません。ですからせめて、夜の帳に月が抱かれる僅かな間、私の腕の中で愛らしい声を聴かせて」

シエルは米神を引き吊らせつつも、寛容な主人として無視を決め――――込もうとして、悪魔の麗しい顔面を握り拳でブン殴った。
とんでもない超規労働を強いている覚えは確かにあるが、この程度で疲れたりトチ狂ったりする、そんな子は家の子じゃありません!とシエルは心中盛大に叫んだ。

「我がファントムハイヴ家の執事とは思えない台詞だな、セバスチャン。執事の分際で、戯れだとしても主人に愛を囁くなど、分不相応も甚だしい」
「ファントムハイヴ家…、なんて忌々しい名でしょう」
「……何を、言う」

執事の言とは思えぬ言い様だと、シエルは驚愕に目を見開いた。
シエルが当代当主として立つ真の意味を、たったひとり知っているはずの、悪魔、お前が、それを言うのか。そう驚きのなかに問うて、シエルは間近に顔を寄せる執事をじっと仰ぎ見た。
手段であり、縛めであり、誇りであり、災厄を招く忌名を、棄ててしまいたいと呻きながら、それでも後生大事に抱えて生きて行くことをシエルは選んだ。矛盾を胸に、茨を冠し、家名という十字架を背負い、悪魔だけを供として、丘を登ると決めている。

「何故ぼくに、そんなことを……言う」
「嗚呼、申し訳ございません。坊っちゃんのお心を揺らめかせる為に申し上げたのではありません。ただ…、貴方は貴方です。ファントムハイヴの当主でなくとも、シエルでなくとも、貴方は私の主人です」
「………」

やはり、可憐な小鳥が戯れに悪魔を惑わしたか。
チラ、と疑いの眼差しを向けると、青色の鳥は応えるように、一度羽を震わせた。

「ねぇ、坊っちゃん。家名は貴方の手でもない。足でもない。腕でもない。顔でもない。切り離せない体の一部ではないのですから、棄ててしまえばいいとは思いませんか?」

胸のなかが、焦げ付くように焔立つ。けれど同時に、心底から冷えていくような心持ちだ。
青褪めた煉灼の炎は、蒼天貫く雷のように、シエルの左眸を仄揮させた。

「確かに、生きていくために家名は必須じゃない。けれど、僕は僕として生きたい訳でも、シエルとして生きたい訳でもない。家名も、爵位も、シエルという名前も、復讐を成すための道具でしかないが、それが僕の選んだ物で、僕が選ばなかった物以外のすべてだ。僕は、人は、生きていくだけでは駄目なんだと、お前はよく知っているだろう?体だけでは駄目だ、魂が、――――心が、なければ」

悪魔の美貌を見据えたまま、シエルは顎を掬う長い指を払い除け、鳥を捕らえた銀の籠を見遣った。

「英国には様々な妖精譚が語り継がれているが、そのなかに青色の鳥に姿を変え悪戯を仕掛けるという妖精がいる。まさかこの鳥が、お前をトチ狂わせているのか?」
「いいえ、その生意気な小鳥は妖精ではございません」
「…そうか。なら、この鳥は僕の部屋へ運ぶ」
「まさかお飼いに?」

意外そうに眼をしばたかせる執事には答えず、シエルは自ら鳥籠を手にとって、小庭を後にした。


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