青空を刷毛で塗り付けたような、美しい色の小鳥が、窓の棧をコツリコツリと可憐な嘴でノックするものだから、人のようにあはれを解する擬態を命じられている身としては、つい館の内へ招き入れてしまうというもの。
「こんにちは、小鳥さん。空の使者だと言うなら歓迎致しますよ。幸福の使者ならば猫の餌にしてしまいますがね」
冗談めかして囁きかけると、いとけない様子でピィ、と小首を傾げて鳴く鳥は、甘える仕草でセバスチャンの指先へ擦り寄った。
「…おや、あなたはBeryluneでは?」
なんとも英国らしいお客人だと、気紛れに人里へ姿を見せる古の妖精を、セバスチャンは指先でそっと撫でた――――つもりだった。
夜は 愛の 時節
コン、コン、扉を叩く音に誰何の声も上げず、シエルは「入れ」と短く応じた。
「失礼致します」
「ああ」
書類の海を泳ぐ眼差しはそのままに、執事が朝の郵便を執務机に積み重ねるのを、気配だけで追っていると、バサリ、と耳慣れない音が空気を震わせた。
「…鳥?」
「ええ、先程厨房へ迷い込んでいらっしゃいました」
シエルは鮮やかな空色の小鳥が、華奢な銀の籠の中で、行儀よく姿勢を正している様を眺めつつ首を傾げた。
なるほど、これほど美しい小鳥ならば、捕え籠に繋ぎ、手元に置きたいと思うのが当然やも知れぬ。
しかしシエルの執事は、見目ばかりが麗しい性悪な獣だ。
「……愛しの彼女への貢物か」
「猫の餌ではございません」
とてつもなく嫌な顔で即答され、シエルはますます首を傾げる。それ以外に、この正しく人でなしである男が、小鳥を飼うなどという気紛れを起こす理由に思い至れなかった。
「情け深い名家の執事と致しましては、矮小な鳥にも僅かばかり玩弄の情をかかけて差し上げようと思ったのですが―――」
執事はチラと籠の鳥を眺めつつ、悪どくも少年めいた笑みを浮かべた。
「愛らしい嘴で私の小指に喰らいついたものですから。同じ鳥類を仮衣とする身としまして、折檻の意を込め牢へ繋ぐことに致しました」
「………」
なんとも狭量な台詞に若干呆れつつ、シエルは思わずの溜息である。
「まぁいい。邪魔にならないところへ置いておけ」
「では温室にでも」
沈黙を了承として返しつつ、シエルはまた執務机に広げた書類へ視線を戻す。
いつもなら一礼の後に踵を返す執事が、何を思ったか、手にしていた鳥籠を執務机の隅に置き、何やら言いたげにこちらを見遣る気配。
「まだ何かあるのか」
「今夜は特に美しい青褪めの月が昇るようですよ、坊っちゃん」
シエルは、執事から寄越される言葉を、何気なく聞き流すことはしない。
この悪魔はいつだって、戯言と見せかけて何らかの意図を含んだ言葉しか投げて寄越さないからだ。
「月をもっと青褪めさせるには、哀しみの中へ沈めれば宜しいのです。その方法をご存知ですか?なに簡単です、ちょうど東に在る貴方の寝室、その窓から、月に姿を見せてやればいいのです」
シエルは手元の書類に、流れる様に署名を書き入れ、最後の文字を綴ろうとして―――
「東より姿を現した太陽の様な貴方が、月たる己よりも美しいのを妬んで、嫉妬の内に哀しみへ沈みます。その後は月の嘆きを伴奏に、私が貴方の純白の寝着を脱がせて差し上げましょう」
―――盛大に書き損じた。
その段になって本日初めて、シエルは己の執事をまじまじと見詰めた。
常と寸分違わぬ冷えた美貌、鴉の濡羽のように艶めく髪、すらりと伸びた肢体。乱れる様など少しも想像させぬ隙のない出で立ちに、変わった所は見受けられない。
と、なれば―――――。
「過労か?」
「おや、私の疲労を労わって、ご自分で服を脱ぎ捨てて下さるのですか」
「………」
シエルはペンを投げ捨て、思わず自分の腕を掴んだ。見事なまでの鳥肌である。
尋常ならざる寒気を感じ、シエルは再び細部に至るまで執事を観察した。
「おい…」
「はい」
「非常に遺憾だが……お前が悪趣味な戯れを仕掛けていると断じるには、その紅の瞳がいやに真摯に見えるぞ」
「ふざけてなどおりません。瞳の通り私は真剣です、坊っちゃん。嗚呼、この私の気持ちを分かって頂きたい。貴方は私の理…」
バァン!執事の言を遮って、シエルは執務机を思い切りブン殴った。怒りからではない。
ただ可及的速やかに執事の口を閉ざしたかったのだ。
「貴様…まさかとは思うが、私の理想、私の愛とでも言葉を繋げるつもりか…」
「さすが坊っちゃん。古典にもお詳しい」
がぁんと頭を殴られたような衝撃を受けつつ、シエルは何とか全身の鳥肌を宥めて、ぎこちない笑顔を顔に貼り付けた。
「そうか…。ではジュリエット、貴様は本日まる一日休息を取れ。そして今すぐこの部屋から出て、明日まで姿を見せるな」
「おや、先程の言葉はロミオの台詞を擬えたものですよ。ジュリエットは坊っちゃんでしょう」
「………僕は過労でトチ狂った執事を銃弾で穴だらけにする程、雅量に貧しい主人ではない。さぁロミオ、とっとと下がれ」
「つれない人ですね…、けれどそこがいい。愛しい私のジュリエット」
そして高らかに、初夏の兆しに色付く鮮やかな英国の空へ、連続した銃声が鳴り響いた。