夜は愛の時節03
連れだって小庭から執務室に渡る間に、今日はどこぞの執事のせいで気分が乗らないと宣った主人は行き先を変え、いまは寝室へと場所を移している。
人目を意識しなくなった途端、シエルの表情は幾分か和み、少年らしさが垣間見える様になった。
物珍しい気分でそれを眺めていると、視線に気付いたシエルがこちらを振り返った。

「なぁ、先程の小庭で見た薔薇は美しかっただろう」

僅かに小首を傾げて話しの先を促すと、その反応を気に入ったのか、シエルはこちらに手を差し伸べて寄越した。
ぽつり、呟くように零した言葉は、相手に訊かせるというより独り言のようだ。

「薔薇の花はたとえ薔薇という名前でなくても、美しく薫り高いに違いない。……僕も、そうありたいと、そうでなければならないと、思う」

たとえ家名に縛られようと、シエルという正統なる後継の血筋を冠しようと、自分自身の誇りを、孤高を、譲れない決意を、固く握りしめていたいと思うのだ。
どのような名で呼ばれようとも、変わらずに。

「だから…、シエル、シエル、なぜお前はシエル・ファントムハイヴなのだと問われたなら、手段であり誇りであり、……何と呼ばれても僕が僕自身であることを貫く決意があるからだと、答える。僕の執事は、何よりそれを理解していると思っていた」

それが少しだけ悔しいと、唇を噛みながら、差し伸べた手でシエルが銀籠の扉を開けた。
この指に止まれと誘うように、シエルがそっと指先を近付ける。
応じて小枝のような指先に飛び移ると、シエルは僅かに顔を綻ばせた。

「そうでなければ、あの悪魔が己のものとする価値が、僕に在るとは想えないしな。あいつには死んでも言いたくないが。だからお前と僕だけの秘め事にしておいてくれ。なぁ、―――――蒼い鳥」

いまこの時、人の容を取っていたなら、己は間違いなくこの少年に口付けをしていた。
だから、これはある意味幸運だったのかも知れない。

「重ねて問うが、蒼い鳥よ、僕の執事に厄介な呪いでも掛けたか?」

Berylune。
蒼い鳥に姿を変え悪戯に人里に現れては、人の心の奥底を暴く古の妖精。
しあわせの使者とも呼ばれる。しかしそれは、手に入らずに逃げてしまう。
こうして蒼い鳥の姿に封じた挙句、よくも己の姿―――執事セバスチャンとしての姿を真似て化け、悪魔自身も知らぬ心裡を勝手にベラベラ喋ってくれたものだ。
蒼い羽をバサリとはためかせつつ、鳥の容をした悪魔は胸中チッと舌打ちをした。
その様を眺めていたシエルが、ふと顔を寄せてくる。

「…お前、まさか」

じっ、と見詰めてくる空よりも深い蒼瞳。
しあわせで輝くことのない、昏い煌めきを宿したうつくしい瞳だ。
何よりも気高く、誇り高く、そして愚かしいからこそ、魅入られる。

「セバスチャンなのか」

瞬間、身体が容を取り戻す。
汚れのない革靴で床に立ち、燕尾服の裾を閃かせて、セバスチャンはシエルの前に立っていた。
そして何処からか、Beryluneが飛び立つ気配。

「なぜ分かったのですか」

主従は驚きのまま暫し見詰め合い、そしてセバスチャンが先に口を開いた。
なんとなく、そう答えようとしたシエルが、なぜか思い留まったよう。
くすりと悪戯な笑みを浮かべ、肩を竦めて言って寄越す。

「愛だ。愛に導かれて」

ロミオとジュリエットに擬えて散々口説いたからか、シエルもそれに倣った台詞を口にした。
なんともシエルらしい意趣返しだと、セバスチャンは思わずの微苦笑だ。

「僕をお前の肩で囀る小鳥にしたいなら、いっそお前の魔力でそうしたらいい」
「そうですね…」

セバスチャンは僅かに思案して、いいえ、と答えた。
唇を妖しく撓ませつつ、腰を屈めてシエルの耳朶へと唇を寄せる。

「きっと、抱きしめて殺してしまいます」
「はっ、お前らしい」
「貴方に愛おしく想われて、同じように想い返さないではいられませんから」

そう囁くと、シエルは嫌そうに顔を歪めて、先程の言葉は忘れろとぶっきら棒に言って寄越した。
一生の不覚だとでも言いたげな面持ちで、しかし頬は赤く染まっている。

「貴方がロミオと呼ばれても、ジュリエットと呼ばれても、最期までずっと共におりますよ。死が二人を別つまで、貴方と。貴方が貴方である限り、ね」
「……僕はセバスチャンと呼ばれるお前しか、いらない。それでも?」
「勿論」

見詰めあう。
間近で交わる三つの瞳。蒼と、紅。
そっと眼帯を指で擡げると、覗く異相の瞳は、紫だ。
ふたりを離れ難く結ぶ罪の色をしている。
そうすることが当たり前であるように、双つの唇を触れ合わせた。

「…執事のくせに」
「貴方は鳥に啄まれただけ、ですよ」

それは羽のように軽い、口付けだった。


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