不埒な愛のソネット
夏めく若草の匂いを孕んだ風が、ふわりと頬を撫でていく夜だ。
空高くで白々輝く月をふと見上げると、目の端に映る影がある。
珍しい―――そう胸中呟きながら、先刻まで乱闘の舞台であった裏庭の、折れた花と欠けたタイルの修繕について算段をしていると、うう、と低く呻く声が足元から上がった。

「起こしてしまいましたか?坊っちゃん」

意識を向けることすらなく、足元に転がる侵入者の頭を踏み潰し、セバスチャンは微笑を貼り付けたまま主に声を掛けた。
三階の寝室、裏庭に面した窓の枠に、頬杖ついて胸から上だけを覗かせている主人は、どうやら月など眺めるようで。

「月をご所望ですか?」
「いや、お前は月さえ落とす獣だろう。可能と知れているお強請りなどしても、詰まらない」

月の灯に仄光る、繊細な美貌。
冷えた煌めきを宿した、月翠の瞳を僅かに笑ませて、シエルはそう答えて寄越した。

「ええ、宙の高みから落ちまいとする月を、ただ眺めて待つだけで腹が満ちるような性分では、ございませんので」

スイ、と誘うような蠱惑的な所作で、窓辺に寄り添うシエルへ掌を差し伸べて見せる。
穢れを覆い隠す純白の指先に、僅かばかりの紅。なんとも己に相応しい様だと、セバスチャンは笑みを深めた。

「お前のその不浄な手を、僕が取るとでも?」
「もしも私の卑しい掌が、聖者たる貴方を汚してしまったなら、その罰として、ここに控える二人の巡礼者、私の二枚の唇が、その汚れを優しく拭き取って差し上げます」

シエルはひょいと片眉を跳ね上げて、悪魔の仕掛けた戯れに乗るか否かを量る様子だ。
尚も掌を差し伸べ続けると、眠れぬ夜の退屈しのぎ程度には応じるつもりになったよう。

「巡礼の者達、それではあまりにお前の掌が報われまい。聖者は巡礼者の掌によって撫でられる。掌を握り合うことが口付けそのもの」
「聖者も巡礼も唇を持たないのでしょうか」
「巡礼たちの唇は祈りの言葉を捧げるためのもの」

セバスチャンは屍と血だまりを従えた獣が、夏夜に見せるに相応しい、熱く甘い艶めいた笑みを唇に乗せて、睦言めいた囁きを零す。

「では聖者よ、手がなすことを唇にもなさしめたまえ。信頼が絶望へと変わらぬよう、このように唇で祈りましょう」
「お前の祈りを許しても、聖者は動かない」
「そのまま静かに。いずれ祈りの効果が現れましょうから」

シエルは差し出された悪魔の掌、その指先を眺めつつ、ニィと強気な笑みだ。

「お前の祈りは世界の全てを落とすだろうが、聖者も月も落ちないからこそ美しい。落ちないからこそのそれだと、お前には教えておこう」

そうしてヒラリと踵を返し、幼い主は館の中へ。

「これは、手厳しい」

肩を竦めつつ、セバスチャンは微苦笑をひとつ。
まるで不可触のように振る舞う癖に、寝室の鍵を閉めはしない、気紛れな主。
地を裂き天を割り、群雲に姿をやつしても、引き摺り落としたいと希う。苛烈に過ぎる妄執に似た恋着が、夏の始めの生温さのなかにあっては、いっそ心地よい。

「まったく、何処までも私を愉しませる術をお持ちですね」

セバスチャンは血だまりの中、クツクツと笑って、涼やかな月を仰いだ。


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