鏃 03


 晴れ渡った空がどこまでも広がっていた。地には緑に覆われた山々がいくつも重なっていた。
 水気を帯びた風が、僕の頬を撫でた。
 山頂まではまだ登らなければならない。見晴らしのいいこのあたりで、僕は小休止することにした。
 眼下に山だけを見渡せるだけの場所を見つけた僕は、樹の根に腰掛けて、水筒の蓋を開けた。樹の先にあるのは急な斜面だった。
冷たさを口にふくみながら、夏山の群れを眺める。濃緑の起伏に眼を這わせていると、遠くで閃いた光がある。通りすぎた輝きに目線を戻し、目を凝らしてみると、その源は谷を塞ぐ平面であるらしい。

「水面? いや、氷か」

 陽を弾いて白く輝いているそこは、もしかすると川面であるのかもしれないが、濃緑に浮いた雲海でもあるようでもあった。このあたりに遠目にもとらえられるような湖沼などあっただろうか。陽を弾く平面は、ゆらめくこともさざめくこともない。氷面のようだった。
最初、その平面には色とりどりの石が散らばっているように見えた。凝視していると、石ころであるように見えたのは、咲き乱れる花だった。四季の華やかさを掻き集めたかのような氷上の庭が、そこにはあった。
葉の茂った低木を燃やすように、広がりゆく端を波立せる筒の花弁が、長い蕊を揺らしながら、赤に白にと咲き誇っていた。細枝に降り積もる雪のように連なった五重咲きの可憐な花は、滝の白糸に灯った黄金の綿毛のようで、その重みで茎はしな垂れていた。それらの根元で咲き誇っている、淡紅や紫の、瀟洒な千重咲きの花は、両手で包みきれないほどの大輪だ。
 黄金の蕊と、それを包みこむように幾重にも重なった艶やかな花。層をもって球を成す、あの大輪の花が石であるのなら、それを見つけたことで、僕の目的は達成されたといってもいい。
鮮やかな彩りに、くすんだ点を見つける。咲き乱れる花に埋もれるように、白を纏う人影が、灰色の日傘の下にある。
 そんなはずはない。
幼い頃に出会ってから今まで、僕から会おうとして彼女に会えたことはないのだ。こんなところに、彼女がいるはずはない。
白魚のような指先が、活き葉のついた小枝をつまんでいる。日傘の軸を肩に預けて、少女はしゃがみこみ、小枝を氷面に突き刺した。僕の目線の先で、小枝は伸びやかに天を目指し始め、小枝と幹へと変じながら、背を伸ばしていく。方々に分かれていく枝には艶やかな濃緑の葉が生い茂り、蕾がつき、花開く。そこに咲いた鮮紅は、かつて、彼女と出会った海辺に灯っていたそれと同じ花だ。
こんなことがあるはずはない。あるはずはないのに、あることにすることができれば、そこには彼女いる。
気がつけば、僕は身を乗り出して、腕を伸ばしていた。これは戯れだ。戯れだとわかっている。それでも、極彩に湧いた灰色へと手を伸ばせば、彼女をとらえられるかもしれない。踏み出していた足の靴裏から、小石の擦れる音があがる。重心のずれた身体は根を滑り、踏み締めるものを持たない足裏は立っていることなどできるはずがない。
 見間違いであるかもしれないものをもとめて手を伸ばした格好のまま、僕は斜面を転げ落ちていった。

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