メガネ蛇と綿帽子03


 通っている大学が新幹線を駆使した挙句に在来線まで乗り継いでようやく到達できるくらいの他県になると、帰省はそれこそ盆正月くらいになる。大学生という肩書きの俺は、その時、お盆で実家に帰省していた。集まってくる親戚の分まで夕食を作る母から、田んぼの様子を見てこいと命じられる。素人が見たところで意味ないんじゃないのと反論すれば、畦が崩れるかどうかくらいなら判るだろといわれた。嫌なら布団の準備とかビールの仕込みとかを手伝えと追撃がくる。俺は仕方なく腰をあげ、サンダルをつっかけて、集落の周りに広がる水田へと歩き始めた。

「あれ、誰かな」

 見慣れない姿を農道に見つける。すらりとした長身で、赤みがかった黒の着流しの、眼鏡をかけた男が田んぼを眺めていた。穂の重さや葉の様子などを観察しているらしい。ゆっくりと丁寧にすべての田んぼに目を通すと、男は満足げに微笑んだ。
 いくら数年はなれていたとはいえ、集落の皆は顔見知りだ。だから、着流しの男は余所者なのだろう。その割には景色に馴染んでいる。まるで昔からこの里で稲穂の実りを見守ってきたかのようだ。
 あらかた水田を眺め終わったのか、男はすべるような足取りで農道を歩き始めた。どこに行くというのだろう。草履の向かう先には山があるようだった。蛇がとぐろを巻いて鎮座しているかのような姿の、緑豊かな山だ。だが、人が住むにはそれこそ適していない。まさか男はあの山にすんでいるとでもいうのか。
 それに、あの山は、妹が連れられていった山だった。
 好奇心に駆られてた俺は、男の背を追いかける。


 夏山は蝉がにぎやかだ。下草を踏みしめて空を見上げようとするも、おいしげる木々の葉は青を目にすることを許してはくれない。葉を透かして落ちてくる陽光はやわらかく、夏特有の鋭さを削がれていたけれど、葉と葉の隙間から時折瞬く閃光は容赦なく俺の目を刺した。
 蝉時雨に叩かれながら山を登る。男の姿などとうに見失っていた。いくら子供の頃から親しみのある山であるとはいえ、大した準備もなしに突入したらどうなるか、答えは明白だった。

「迷った」

 遭難と言い換えてもいい。とにかく、認めたくはないが、俺は迷った。雲行きもあやしいし、夕立にでも遭ってしまうのだろうか。
俺の予感は的中した。大粒の雨が一滴、下草を叩いたのを皮切りに、山は豪雨に見舞われた。すぐにずぶ濡れになってしまったが、雨脚が衰える気配はない。枝葉を避けながらがむしゃらに走り回っていると、雷鳴まで襲ってきた。

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