落涙と非番 03
あの時は迷子だと思ったんだよ。親とはぐれたのか、親を見失ったのか。どちらにせよ祝祭の夜だ。街はいつもより人が多いだろ。しかも普段とは違う。街を挙げて夢に浮かされてるようなもんだ。つまりは別世界だな。そういうわけだから、迷子といったって、普段よりも一層、自力でどうこうできるような状況じゃない。場合によっては署で保護した方が親御さんも見つけやすいだろ。だから、非番の日に職場なんぞ目にしたくはないが、俺は窓を閉め、外套を鷲掴み、夜の街へと駆け出していったわけさ。
裏路地に辿りついた俺は、窓から見かけたのと寸分違わぬ様子で泣いている幼子を目の当たりにした。怖気のはしるほどにうつくしい子供だった。幼さゆえの愛らしさなどどこにもない、ただただうつくしい子供だった。真珠の粒ともつかない涙が、あどけない頬を転がり落ちる。
「どうしたんだ?」
そう声をかければ、幼子は涙に濡れた星空みたいな目でこちらを見てきた。物怖じしないのは幼さゆえか。俺はこのとおり強面だろう。だから、まっすぐにこっちを見つめてきて鼻をすりよせてくるような、好奇心を抑えきれない兎のようなその様は、俺にちょっとした驚きをもたらした。
やわらかくちいさな唇が、鈴をばら撒いたような、涼やかで雑然とした、澄んだ音を奏でた。
「かあさんを、さがしているの。一緒にいなきゃいけないのに、まもってあげなきゃいけないのに。また、うれしそうに歌いながら家からいなくなっちゃった」
甘さと冷ややかさの境界にたゆたう声音は、表層の穏やかさに聡明さをちらつかせながら、夜に響く。ひとまずその子の名前と住所を聞き出そうとしたが、どうにも要領を得ない。その間にも、大きな黒の目からは涙がとめどなく溢れ、石膏の白に透明の滴が伝い続ける。にもかかわらず、泣き腫らした瞼の下から私を見上げるその目は、どこまでも静謐で、底が知れなかった。
幼子の目に呑まれかけた俺は、視界の隅にちらついた華奢な白によって我に返る。幼子の剥き出しの細い手足は冷気に強張っていて、飴細工のように繊細で脆そうな肩は赤みを帯びていた。俺は着ていた外套を脱ぎ、子供の肩に掛けてやる。すると、私を見つめていた子供の目が、蕩けるように、わずかに揺れた。これはよい兆候かと母親の容姿の特徴や年の頃を聞いてみる。だが、こちらも要領を得なかった。だから、俺は質問を変えることにした。
「お母さんの行きそうな場所、わかるか?」
「たぶん、わかる。炎を見つければいいよ。きっと、そこにいる」
俺は眉根を寄せた。この子は何を言っている?
涙に艶めく目を期待で輝かせ、幼子は俺を見上げた。
「一緒にさがしてくれるの?」
夜に抗って燃え盛る炎の明るさを目印に、明るさの源に向かえばよいと、無邪気に告げてくる幼子が俺の袖を引く。そこで、あることが俺の脳裏をよぎった。現在、署が全力で追っている事件は、俺がこんな祝祭の夜に非番を取るはめになっている多忙さの原因は、連続放火事件ではなかったか。
「さがしてやるよ」
笑顔のようなものをつくって、俺は幼子に頷きかける。
「街は祝祭で浮かれきってるしな。あんたみたいな子、ほっとけないさ」
幼子はきょとんとして、ちいさな手で、肩から掛けられていた俺の外套を握り締めた。くびれていても白い外套は、夜を透かすほどに白い幼い手に握られて、皺をつくる。たまにはクリーニングにでも出すかと思案していると、じゃあこれを貸してくれたお礼にかあさんのところに案内してあげるねと、花びらのように涙を舞い落としながら、ふっくらとした紅の唇で、幼子は俺にそう告げた。
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