落涙と非番 04


 それから俺は幼子を追いかけることになるわけだが、それはとても難儀だった。母親の行き先に心当たりがあるというのは本当だったらしい。手でもつないで案内してくれるのかと思いきや、ひとりで先に駆け出すときたもんだ。それがもうすばしっこくてな。 
幼子の羽おった外套の白が、入り組んだ石畳の隘路に翻る。残像でしかない白を頼りに、俺は幼子を追いかける。夜であるためか、見慣れているはずの街は迷路のようだった。
 時折、幼子は立ち止まり、艶やかな黒の髪を靡かせて、こちらを伺ってきた。私は肩で息をしていたが、幼子は平静そのものだった。平静そのものであるのに、幼子の目から落ちる涙が尽きることはなかった。離れていた俺たちの距離が縮まっていく。ここまで近づけば、追う者である俺の声が、前を漂う幼子の耳に届くだろう。俺は声を張り上げた。

「どうして泣いてるんだ?」

 幼子が足を停めることはなかったし、こちらを振り返ることもなかった。だが、幼子の進む先から吹いてくる風が、くすぐるような声を俺に運んできた。

「今日は祝祭だから。祝祭は溢れることを許してくれるから」

 何を言っているのか、意味がわからないだろう。俺にだってわからなかったさ。ただ、その時、突然、俺は不安になったんだ。俺が追っているこの子供は、ほんとうに子供であるのだろうか、ってな。はは、それこそ意味がわからないか。それもそうだ。言い出しているはずの俺だってよくわかってはいない。
 とにかく、その頃の俺たちは随分と高いところにいて、街を一望することができた。街を廻っていた人形は、行進の起点である広場に戻ってきていてな。人々が人形に群がって、豪奢な衣装を剥ぎ取って、王冠を毟り取っているところだった。毎年のお決まりだな。だから、松脂に浸された木材と藁とで人を模している人形は、これから街を囲むように流れている河へと運ばれていくということも、俺は知っていた。

「かあさんだ」

 幼子が声をあげた。俺は傍らの幼子に眼を落とした。幼子はせいいっぱいに腕を伸ばして、街の下方を――川沿いの倉庫街を――指さしていた。そこは不自然に明るかった。そこには炎があったんだ。そして、燃え盛っている建物に向かって幼子は坂をくだっっていった。嬉しそうに笑いながら走っていったんだ。嬉しそうにしているくせに、泣きやんではいなかった。
 そのあとはお前も知ってのとおりだよ、後輩。消防団と、念のため署に連絡を入れた。一連の放火事件のひとつかもしれなかったからな。倉庫街のあの区画、例の貿易王のものだっただろう。土地であれ建物であれ、今まで出火したもののほとんどが貿易王の持ち物であったことは、突き止めていたからな。この街の頂に館をかまえている、一代で巨万の富を築いた男だ。本人にその気がなくとも、自覚があろうと、恨み事のひとつやふたつ、廻り廻って買っているだろうよ。
 それはそうと、祝祭にかかりきりになっていた消防団が駆けつけるまで、燃え盛る倉庫街で俺が立ち尽くしていた理由にはならないって?
 そんなことはないだろう。母親の徴を見つけて駆け出した幼子を、俺も追っていったわけだ。見知っているはずの迷路みたいな街を、石畳の下り坂を、柄にもなく全力で駆けおりていった。俺の追いかける相手は鳥が飛ぶように街を降りていってな。追いつけるようなもんじゃない。行進の松明が揺れて、乾いた夜気に炎が逆巻いて、祝祭の熱と横溢が湧き踊る夜に翻る白は、外套だとわかっていても鳥の翼みたいだった。滑空する鳥に導かれた先があの倉庫街で、骨組みを残して燃え崩れる倉庫の前に、女がいたんだ。若い女で、幼子と同じ艶やかな黒髪を、夜を照らす熱が生んだ透明な流れにたゆたわせていた。幼子をそのまま大きくしたかのようなその女は、黎明とも斜陽ともつかない黄金を湧き立たせる炎を、天高く昇っていく煙を満足そうに眺めていた。陶然と炎を仰ぐ女に、止まり木に留まる鳥のように、幼子が吸い寄せられていく。
幼子の印象が白と黒の明滅であるとするのなら、女のそれは赤と黒が明滅していた。
 白を翻して、幼子は女に寄り添う。侍っているようにも甘えているようにも見える幼子の頬を、女の左手が撫でた。
 熱の生み出す奔流に耳を塞がれる。新たな炎が視界の隅にちらつく。遠く、川の上流に燈ったそれを見遣ると、全身に炎を纏った巨大な男の、黒々とした影が屹立した。
炎のうねりと燃え融ける建材の軋み、煙の渦と煤の舞いを貫いて、豊饒そのものであるような、慈雨に潤んだ音が俺の耳に刺さる。

「わたしの声は、あのひとに届いたかしら。いいえ、届かなくてもいいの。届かないのは寂しいけれど、多くを望んじゃいけないわね。だけど、せめて、あのひとはわたしに眼をむけてくれたかしら」

 燃え上がる人形が川に棄てられた。祝祭を屠る葬送曲が、途切れ途切れに、風に乗ってきた。街は、廻りをひとつ、新たにした。騒がしい夜は次の祝祭までおあずけだ。白昼を是と掲げるいきものは、夜には眠るべきなのだから。


<落涙と非番/了>

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