落涙と非番 02


 今はもう日付が変わってしまっているから、昨日のことになるか。お前も知っての通り、俺は非番だった。だから、その前日に帰宅したのが明け方であったこともあって、目が覚めたのは夕刻も手前という頃だった。なんだその目は。休日に休んで何が悪い。掃除と洗濯が満足にできなかったことは残念だが、非番とは惰眠を貪るものだぞ。呼び出しもかからなかったしな。それで、どうしたかな。そうだそうだ。ひとまず腹に入れるものをとパンケーキを焼いたんだ。外がにぎやかだったから窓からのぞいてみて、初めて、祝祭の日だったということに気がついた。俺の家は、高台というわけではないが、中央広場が見下ろせるくらいのところにあってな。街の通りを埋め尽くしていたのは、金糸銀糸が煌く衣装を纏い、仮面で目元や顔を隠した人々だった。数百年前に描かれた肖像画から抜け出してきた奴らが踊り狂ってるみたいでな。聞こえてはこなかったが、楽隊の奏でている旋律は、さぞや異装をもって祝祭なるものを塗りたくった奴らを浮かれさせているに違いない。
 パンケーキを食べ終わり、食器を片付けることも忘れて、ぼんやりと窓の外を眺めていると、いつしか夜となっていた。
 ひしめく人々と壁の隙間から、中央広場が見えた。市庁舎の屋根から、巨大な男の頭半分が突き出ている。王侯貴族にように着飾った、男のかたちをした藁の人形だ。引き車に鎮座する男の王冠を飾る花は、松明の炎に照らされて艶を増し、白金にも黄金にもゆらめきながら、夜に浮かび上がっていた。
 花の王冠が動き出す。人々が車を曳き出したのだ。緩慢に優美に、愚鈍に粗野に、人形は街を廻り始めた。松明が人形を追いかける。人々は人形を追いかけながら、その周りで踊り続ける。子供たちの手にある花束が夜空に投げられ、茎に巻かれているリボンが鮮やかな色彩の軌跡を撒いた。
 そのとき、声がきこえたような気がしたんだ。振り返って、明かりのない部屋を眺めてみたけれど、俺の他に誰かがいるはずもないだろ。だから、気はすすまなかったが窓を開けてみた。予想どおり、吹きこんできたのは刺すような冷気でな。遮るものがなくなったからか、弦楽器や太鼓といった祝祭の音そのものが、冬の夜空に散らばりながら俺の耳を抜けていった。だが、俺が耳にしたのとは違う音だった。ん、俺が聞いたのはどんな音だったかって。そうだな。不安定で不調和で、心臓を鷲掴みにされるとも肋の間から肺に氷の針を刺しこまれるともつかないような、そんな――。なんだ、ずいぶんと面白いものを見るような目でこっちを見やがって。訊いてきたのはそっちだろうが。まったく、おもしろくないな。ほら、続きいくぞ、続き。
 俺は窓から身を乗り出して、周囲を見渡してみた。傾斜の途中にある我が家は、細い道がかたちづくる網目に建っていてな。網目のひとつひとつに、石造りの建物が詰まってるんだ。だから、建物と建物の間が狭いんだよ。よその家の窓に祝祭の行進を眺める家族がいたりするのは目に入るんだが、高い位置から道を覗きこんだところで、角の家の壁が視界を塞いでしまう。窓から探しものをするのには向いていないつくりをした街並みだ。それに加えて、夜は暗い。街灯があるのは大通りくらいだ。行進の松明から夜空に立ち昇る灯りの方がよっぽど明るい。
 収穫のないまま、幻聴だったかと俺は窓を閉めようとした。すると、あの音が聞こえてきたんだ。俺は閉めかけていた窓を開け放ち、夜の闇に目を凝らした。
 ああ、そうだよ。そうやって俺はあの子を見つけたんだ。路地裏から風に運ばれてくる泣き声を頼りに、黒の服と黒髪とを闇に蕩かした、肌の白だけが夜の闇にひどく浮いている、幼子を見つけた。

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