The tale of a Leanan-Sidhe 08
男が寝室に姿を消すと、女はふたたび糸を紡ぎ始めた。
女がしばらく錘を回していると、女のものでも男のものでもない、声がした。
「ねぇ」
少年のような、やや高い、純朴な声だ。
「ここから出してよ」
女の手が停まった。その指先から垂れた錘は、回転の残滓に踊っている。
「蓋をあけてくれるだけでいいんだ。簡単なことだろう?」
女の眼が、一点に定まる。声は、小箱の中から聞こえてきていた。
「ぼくのことが好きだといってくれたじゃないか」
懇願を、哀願を、愚直なまでの素直さをもって、声は言い募る。小刻みに、女の歯の根が鳴った。
なんてきらびやかな小箱なのか。灰色の世界において、唯一、鮮やかに輝いている。それが、こんなにちいさな箱であるとは。
私の感嘆をよそに、女は髪を振り乱し、両手で耳を塞いだ。
明らかに取り乱している。女が撒き散らしているのは、怖れと、罪悪感と、後悔、だろうか。この声の持ち主を、女は知っているのか?
「わたし、は」
「何がいけないんだい? 応えてくれたじゃないか。ぼくのことを、好きだと、いってくれたじゃないか」
「そんなはずないわ、そんなはずないの」
「だって、あの子は。あの子は、司祭さまが遠くへ追い払ってしまったはずじゃない!」
女の手から錘が滑り落ち、床を転がる。転がっていた錘は、女の傍に歩み寄っていた男の足に当たり、停まった。
「どうした?」
その佇まいから察することは困難だったが、気遣いが、男の声には滲んでいた。
「なんでもないわ」
両腕で己を抱きすくめ、無理に息を整えながら、女は床を見つめる。
「なんでもないの」
緩慢に面を上げた女は、己を見つめている夫に、ぎこちなく笑ってみせた。
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