チチチ……と鳥のさえずる声が聞こえる。瞼を透かして柔らかな光が瞳に入り、柳生はゆっくりと意識を浮上させた。

(ん……朝、ですか。すっかり寝入ってしまったようです。今日はいよいよ試合ですね、気合い入れて行きましょう。……しかし、)

身体が思うように動かない。金縛り――否、どうやら柔らかい何かが絡まっているようだ。首の辺りに暖かな息を感じ、時折もぞもぞと動くところをみると無機物ではない。

「あっ」

首をちろりと舐められ、軽く吸われる。同時に下腹部を撫でられ、柳生は身体をピクリと震わせた。

(くすぐったいです……一体何が、)

柳生はその正体を確かめようとうっすら目を開いた。

(黒い……髪……?)

「……貴様、人の姿で何をやっとるか――ッッ!!」
「!?」

その瞬間、柳生にへばり付いていた物体が第三者の力により布団ごと強引に剥がされ、衝立を巻き込み遠くに投げ飛ばされた。

「え……」

何事かと慌てて身を起こすと、部屋の角で布団と衝立に埋もれる原と、その原を枕でバンバン叩く少女の姿が視界に飛び込んできた。

(どちら様でしょうか……部員ではないようですが)

黒く長い髪をおさげにし、赤く縁取られた分厚い眼鏡をかけている、おそらく同年代であろうその少女は、長身でどことなく原に似ているが、しかし校内で見かけた記憶はない。他の部員たちも同様に首を捻っている。

「この変態!!何と破廉恥な!」
「ちょ!待ちんしゃい!!ただ添い寝してただけじゃろうが!やましいことはなーんもしとらん!!つまみ食いしただけじゃ!」
「男女が同じ布団で寝ること自体問題……って、つまみ食いってどういうことですか!!?」

(……視界がぼんやりしている上に、起きたばかりで頭が働かない……何を言い争っているのか判りませんが、喧嘩はいけません。止めなくては……)

少女の剣幕に恐れ戦いた部員たちが遠巻きに見守る中、柳生はふらふらと二人に近づき、そして原を庇うように二人の間に入り両腕を広げた。

「何があったのか判りませんが、レディが争う姿は胸が痛みます。どうか私に免じて彼女を許して頂けませんか?」

すると後ろからガバッと勢いよく抱き付かれ、柳生は小さく悲鳴を上げた。

「きゃっ!?」
「ちょ!にお……涼香!!」
「ほら、柳生先輩も良いって言ってるじゃない」
「馬鹿!離れなさい、不埒者めが!!」

少女は原の腕の中から柳生を引き剥がし、ふーっと溜め息をついた。

「あの……」
「柳生先輩、大丈夫ですか?この頭沸いてるおと……女に何もされませんでしたか?」
「えっ」

何のことでしょう?と首を傾ける柳生に、少女は再び溜め息をついた。

「柳生先輩。貴方は周囲に対してもう少し警戒すべきです」
「……あの。そもそも貴女はどちら様でしょうか?女子テニス部の関係者には見えないのですが」

柳生がちらりと後方に視線を送ると、部員たちは首をこくこくと縦に振る。少女はこれは失礼しました、と深々と頭を下げた。

「私、原涼香の従姉妹で友香と申します。此処大阪に住んでいるのですが、涼香が遠征でこちらに来ると聞いて様子を見に来たのです。しかし……」

友香は手に持っていた枕を再び原の顔面目掛けて投げる。

「痛ァ!何をするのよ!!ヒドいわ!」
「煩い!しなを作るな気持ち悪い!!……まさか涼香が貴方の布団に潜り込むとは……」
「えっ」

柳生が驚きに目を見開き原の顔を見ると、彼女はにこやかに笑みを返した。

(では昨夜、仁王くんに抱き締められたと思ったあれは、原さんだったのでしょうか)

「思春期の男女が同衾するなど以ての外!この涼香、女性たるもの貞淑であれと育てられ、殿方に迫ることなぞ断じて!断じてなかったのですが……!!」
「ムッツリじゃからのう」

すると友香は突然原の頭を掴み、床へと叩きつけた。

「ギャ!!」
「原さん!?」
「それ以上素っ頓狂な発言と行動をなさるようでしたらその髪引き千切りますよ」

そして原の頭を押さえつけたまま、目を白黒させている柳生の前で土下座した。

「すみません、柳生先輩!今後このような事がないよう、よく言い聞かせますので……!!」
「そんな……頭を上げて下さい」

柳生は慌てて二人の前に屈み込み、顔を覗き込んだ。

「原さんは、その……昨日、私が取り乱していましたので、落ち着かせる為に添い寝して下さったんだと思います。ですから、そんなに責めないで下さい」

そして原の手を取り、彼女にニコリと微笑みかけた。

「気を配って頂き有難うございます。貴女の優しさのお陰で朝までぐっすり眠ることが出来ました」
「でも柳生先輩。布団に潜り込むなんて、公序良俗に反します!」
「いえ、同性ですから……」

柳生はそう言いかけ、しまった、と慌てて口を噤んだ。そして友香の様子を伺おうとするが、原が柳生の前に身をずいっと乗り出し視界が塞がれてしまう。

「……原さん?どうされましたか、顔がほんのり赤いようですが……」
「柳生……挿れていい?」

その瞬間、友香は真っ青になり原の頭に手刀を落とした。

「お前、さっきから何さらすんじゃ!!」
「貴方がとんでもないことを言うからでしょう!?」
「だってこんなに可愛いんじゃよ!?我慢出来る訳なかろ!ベットに押し倒してアンアン鳴かせてみたいと思うじゃろ!!イった顔もさぞかし可愛い……」
「黙れ!!」

そう一喝すると同時に友香は原の首根っこを掴み、そして部屋の外に放り出すと扉を閉め鍵をかけた。

「あ、あの、友香さん……」
「柳生先輩。不肖の従姉妹が御迷惑をお掛けして申し訳ありません。時々寝惚ける事があるんですよ、彼女。だから忘れて下さい」
「え……」
「夢!幻!です。宜しいですね!!」
「は、はい」

友香の有無を言わさぬ迫力に、柳生はブンブンと首を縦に振った。

(原さん……)

扉の向こうから原が何かしら叫んでいる声と、バンバン、ガリガリと何とか扉を開けようと奮闘する音が聞こえるが、友香が扉の前に座り込みそれを許さない。

「どうして貴方の事となると彼はこう――さ、柳生先輩、今のうちに着替えて下さい。申し訳ありませんが、衝立は元に戻して頂けませんか」
「……」
「柳生先輩?」
「あっ、はい、何でしょう?」

ビクンと肩を震わせ反応する柳生に、友香は首を捻る。

「大丈夫ですか?疲れました?」
「いえ……そんなことは。只、お二人は、」
「?」
「……何でもありません。ごめんなさい」

そう言うと、柳生はくるりと踵を返した。

――何でしょう、これは。原さんと友香さんが仲良くしてるのを見ると……胸が、もやもやするのです。




   



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