原は隣に座ると、柳生の眼鏡を外し目尻に溜まった涙を指ですくった。

「誰かに、何かされたんですか!?」

肩をワナワナと震わせながら焦り迫る原に、柳生は何もされていませんよ、ご心配をお掛けして申し訳ありません、と微笑んだ。

「レディに涙を見せてしまうとは。ジェントルマン失格ですね」
「柳生……先輩」

原は唇をギュッと噛み締めると柳生の両肩に手を置いた。

「教えて下さい、涙の訳を。貴女が泣いていると、こう……胸を抉られるような気がするんです。自分のことじゃないのに、とても痛い」
「原さん……」

柳生は原の顔をじっと見つめた。その真剣な瞳に柳生の胸がドクンと鳴る。――この瞳、

「原さん、仁王くんに似てますね」
「えっ……」

一瞬言葉を詰まらせた原に、柳生はクスリと笑った。

「仁王くんも私に人一倍気を配って下さいます。男のフリをするのは骨が折れるだろう、そう思われてるのでしょうね」

すると原は顔を曇らせた。

「……なんですか、その余所余所しい言い方。仁王先輩の行動の大本は柳生先輩への恋慕です。気を配るとか、そういうのじゃなくて、大好きな柳生先輩に悲しい思いをさせたくないのは勿論、そこには自分に振り向いて欲しいとか、自分をもっと好きになって欲しいっていう欲が含まれています。誰より柳生先輩がご存知でしょう?」
「好き?本当に?」

原の言葉に柳生は顔をくしゃりと歪ませた。原は一瞬だけ泣きそうな表情を見せ、そして何故、どうして、と声を荒げ柳生に迫った。

「貴女は仁王先輩の何を疑っておいでですか?仁王先輩の貴女への想いは本物です。彼は貴女に愛を誓い常に貴女への愛を謳っている。なのに、どうして、貴女は、何故、」
「……貴女は言いましたね。好きだと意思表示されないと不安になる、と」
「だから、いつも」
「猫のように警戒心が強く、飄々として時に他人に冷たくもあるあの仁王くんが――例えば、私たちが神奈川を発った際に恥も外聞もなく喚き動揺したように、私に懐きあたかも母親であるかのように甘える。それで私は仁王くんにとって特別な人間だと、彼の愛を確信していたのでしょう。……無意識下で」
「あっ……」

原の顔からさっと血の気が引く。柳生はニコリと悲しく微笑んだ。

「さっき仁王くんから電話を頂いたんです。今朝の切羽詰まった様子と打って変わって落ち着いていました。時間が経って冷静になったのかもしれません、でも……」

そこで言葉を区切ると、柳生は再びその瞳からポロポロと大粒の涙を零した。

「もしかしたらいなくても平気だと、心変わりし私を不要だと判断したのかもしれません」
「そんな!あまりに短絡的ではありませんか?」
「そうですね。しかし彼は気紛れですから。ないとも言い切れないでしょう?」

俯く柳生を原はじっと見ていたが、唇をギュッと噛み締めると静かに口を開いた。

「柳生先輩。貴女は仁王先輩の気持ちを信じられないのですか?」
「……いつもの私なら信じていたでしょうが」
「いつもの……?」

怪訝な顔をする原に、柳生は寂しそうに笑った。

「今此処にいる私はいつもの私ではないんですよ。だって、隣に彼がいない」
「!」
「彼の方が私に対する依存が強いと思っていましたが、それはどうやら間違いのようです。彼が傍にいないとこんなに不安で……」

そして彼女は消え入りそうな声で呟いた。

「仁王くんに会いたいです。あの強い光を宿した眼差しで私の憂いを吹き飛ばして欲しい……」
「――柳生先輩!!」

柳生の視界が突如ブレた。眼鏡が宙を舞い、カランと音を立て地面に落ちる。

「原さん!?」
「ゴメンなさい、ゴメン――!!」

気が付くと柳生は原の腕の中にいた。痛いくらい自分を抱き締める原に柳生は困惑した。

「あの、原さん。そもそも新幹線に私を放り込んだのは幸村君ですし、女子テニス部のお手伝いをすることを決めたのは私ですから。貴女が責任を感じることは何一つないのですよ」
「……」
「寧ろ貴女にはどんなに感謝してもし足りないくらいです。今日一日、貴女は本当に私に良くして下さいました。その優しさに甘えて、ついこんな話まで……すみません、私の配慮不足でした。貴女を、傷つけてしまったでしょうか」

すると原は頭を左右に振り、尚いっそう強く柳生を抱き締めた。

「ちがう、違うんです……!」











(彼女に罪悪感を与えてしまったでしょうか……彼女の所為ではないのに)

衝立で仕切られた布団に潜り、柳生は申し訳ないことをしてしまいました、と溜め息をついた。

あの後、喉が渇きませんか、と原が何処からかお茶を持って来た。二人は若干気まずい空気の中暫く当たり障りのない話をし、そして部屋へ戻ると少女たちは案の定起きていた。おしゃべりに花を咲かせていた彼女らを原は一喝し、早く床に就くよう促すと、彼女らは軽く文句を言いながらもそれに従い、それぞれの布団に戻り横になった。そして全員部屋にいることを確認すると、原は蛍光灯を消した。はしゃぎ過ぎて疲れたのか、程なくして少女たちの寝息が聞こえ、柳生も暫くは緊張に目が冴えていたが、徐々に瞼が重くなる。

(眠れないものと覚悟していましたが……思ったより神経が磨り減っているのかも知れません)

柳生は眠気に促されるまま霞む世界に身を委ねた。

(仁王くんと離れることが、こんなに心細いものだとは思いませんでした。私は今まで彼の存在にどれだけ勇気付けられ助けられてきたことでしょう。仁王くん……私は、貴方に……)

その瞬間、

(白銀の、髪!?)

閉じかけた瞳に見慣れたシルバーブロンドが映った。柳生は驚いて目を開けようとしたが睡魔に侵され開かない。気配を殺し柳生に近づいたその影は、するりと彼女の布団に潜り込むとその頬に手を伸ばし、額に口付けすると彼女の身体を抱き込んだ。

(この匂い……間違いない、)

「やーぎゅ……」

――仁王、くんだ……!

耳元で名前を囁かれ、柳生は仁王だと確信した。しかし。

(何故仁王くんが此処に?彼は神奈川にいる筈。――嗚呼、頭がぼんやりして思考がまとまらない……)

「スマン、柳生。普段見れないお前さんの姿に浮かれて、お前さんがどんな気持ちでいるか考えていなかったぜよ。俺は俺のことを想ってくれるお前さんが見れて嬉しかったけど、それはお前さんが不安で心細くて、辛くて悲しいことを嬉しいと受け取っていたって事じゃ。お前さんをもう泣かさないと、そう誓ったのに……考えが浅いちいうか、自分本位でスマンかった」

(そうか、これは夢ですね。だって貴方が私の様子を知る手段などない)

「俺が落ち着いていたのはな、ずっとお前さんの傍にいたからじゃ。あのままお前さんと別れていたら、俺は気が触れていたかも知れん。お前さんのいない生活とか、考えただけで身が竦む――好いとうの、お前さんを。だからずっと傍に居って?」

柳生を包む身体が震える。柳生はその頭を撫でようとしたが身体がいうことを利かない。

「仁王、くん……」

声になっているか判らない。

(でも、どうしても、この仁王くんに、)

「……私も、貴方が、大好きです……こちらこそ、どうか……どうか、貴方のお傍に、」

(私のことが大好きな、夢の中の仁王くん。貴方のお陰で心が軽くなりました。有難う―――)




   



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