『仁王くん、』 夢を見た。嬉しそうにラケットを抱え、テニスしましょう?と満面の笑みを浮かべながら手を差し伸べる柳生。俺はその手を取り、それからそれから。 (目ェ覚めなければ良かったのにのう) 未練がましい己に自然と笑いがこみ上げてくる。 (現実は酷じゃあ) 「雅治!いつまで寝てるつもりなの!?遅刻するわよ!!」 突然部屋のドアが開き、姉貴が顔を出した。 「よかよ。俺、今日遅刻する」 「はあ!?アンタ、何言って――」 「じゃあ姉ちゃん。このベトベトに汚れたパンツ、洗ってくれるの?」 「――馬鹿!!」 セクハラ!エロガキ!!と姉貴は顔を真っ赤にして乱暴にドアを閉めると、バタバタと階段を駆け下りていった。 (柳生……) 空しさを感じながら、俺は怠い身体を引きずりベッドを降りた。 「仁王!どうしたんだよ、昨日は突然帰りやがって」 教室に入るとブン太が声をかけてきた。口を開くのもおっくうで、俺は無言で席についた。 「無視かよこの野郎……」 そう言って、ブン太は俺の髪を引っ張った。 「痛いナリよ……」 「髪、バッサバサだぜ。いつものゴムはどうしたよ?」 「あ」 「忘れたのか。しっかりしろよ、全く」 そしてブン太は俺の頭をバシッと叩いた。 「朝練サボったの、幸村クンには昨日具合悪そうだったから体調崩して来れないんじゃね?って言っといたぜ」 「……ありがとさん」 キーンコーンカーンコーン 俺の言葉に被るようにチャイムが鳴った。ブン太はまだ何か言いたそうだったが、教壇に教師の姿を認めると渋々席についた。 (――避けられたのは、そういう事だったんじゃな) あれは近所のお嬢様学校の制服だった。育ちの良さそうな愛らしい少女。紳士と謳われる柳生の事だ、彼女がある程度、それこそ成人するまでプラトニックな付き合いを続けるに違いない。ロマンティストだからのう……ファースト・キスももう少し大人になってから、ドラマティックな演出で、と思っていたのかも知れない。まあそれは粉々に打ち砕かれた訳じゃが。 (一回目は戯れのキス。だけど二回目は……) あの会話の流れでのキスであれば。 (端から見れば、愛の、) そして柳生は俺を避け、彼女の元に走った。 (つまり) 柳生は俺に愛の告白をされたと思った上で、俺をフッたんじゃ…… 「――仁王!?」 教室が突然ざわめく。黒板に数式を書いていた教師が何事かと振り向き、俺の顔を見てギョッとした。 「仁王!おい、仁王ってば!!」 ブン太が席を立ち、俺に駆け寄り両肩を掴んだ。揺さぶられた拍子に水滴が頬を伝い、机の上に滴り落ちた。 「どうしたんだよお前!!いきなり泣き出すなんて、一体何が」 「――俺、失恋した」 「え?」 驚くブン太の手を振り払い、俺は席を立った。 「仁王、おい、何処に行くんだよ、仁王!!」 ブン太、そして俺を引き止める教師の声がした気もするが、俺の頭の中は柳の言葉でいっぱいだった。 『お前のはつ恋、心から応援するぞ』 (参謀……) 廊下に出ると、揺れる視界の奥に2-Aの文字が見えた。俺は無我夢中でその教室の扉を開いた。 (お前さんの言う事、正解じゃった。俺は、俺は柳生の事が――) 教室中の視線が俺に注がれる。その中に柳生がいた。他の奴等と同様、目を見開き唖然としてこちらを見ている。 「仁王、くん……?」 久々に彼を見た気がした。キスをした日からそんなに時間は経っていない筈なのに、ひどく懐かしかった。 (心が暖こうなって来おる……やっぱり、俺、) 「泣いて、いるんですか……?」 (柳生を好いとう……!!) 尚もこちらを凝視する柳生から視線を逸らし、俺は未練を断ち切るようにピシャリと扉を閉めた。 (さよなら、初めて好きになったひと) |