「跡部。ぼちぼちエキシビションマッチの準備に取り掛からへんと」
「ああ……」
「気になる?嬢ちゃんのこと」

学園祭も終盤を迎え、跡部と忍足は生徒会室に戻りティータイムを楽しんでいた。

「そやなあ、シンデレラタイムが終わる前に王子様の寝床に潜り込めてるとええなあ」
「……なんだそれは」
「だから、裸やったらドレスが消えようが関係あらへんやろ?」
「例えが下品過ぎて判らん」
「ウブやなあ景ちゃんは」

しかめっ面をする跡部に忍足はクククと笑った。

「告白出来てるとええな。自分が柳生やいうことも、仁王への恋心も」

その時、コンコン、と遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。

「嬢ちゃんかな?」
「時間的にそうかもな――入れ」

現れたのは果たして柳生だった。しかし。

「跡部君、忍足君――私、あと少し『跡部ヒロ』でいても宜しいですか?」

ぽろぽろと大粒の涙を零し、両手をギュッと握り締めていた。

「私……仁王くんと『お別れ』してきました」
「え、嬢ちゃん!どういう事や――」

柳生の言葉にギョッとする忍足の隣で、跡部は首を縦に振り両腕を広げた。

「来いよ、ヒロ」
「ごめんなさい……!」

柳生は躊躇することなくその腕に飛び込んだ。

「……あのあほ」

忍足は跡部に目配せした。そして跡部が頷くのを確認すると、音も立てずに生徒会室を後にした。

「人が折角忠告してやったのに何やってんねん――…」













「跡部を見なかったかの?」

仁王は再び走り去った柳生を追って生徒会室のある校舎へと辿り着いた。人混みの中、途中で見失ってしまったものの、彼女はこれからエキシビションマッチに向け氷帝の女子制服から立海の男子制服へと着替えなければならない。とすれば、彼女の制服を預っている跡部の下に向かっている可能性が高い。自分で制服を何処かに隠している事も考えられるが、それでも氷帝の制服を返しに行く筈だ――それでなくとも、仁王は跡部のいる場所へ先回りする必要があった。あれは他の男の胸で平気で泣くのだ。だから柳生がそうする前に捕まえたかった。

(残酷なのはどっちぜよ)

仁王がどれだけ嫉妬に焦がれているかも知らず。自分を好いてるのであれば、もっと自分に歩み寄ってくれたらいいのに――尤も、拗らせ更に遠ざけてしまったのは仁王自身で、多少なりとも責任があるのは自覚しているが。

校舎の前には氷帝の向日が居た。テニスウェアを着ているところを見ると相方の忍足を迎えに来たに違いない。当たりだ。忍足は跡部と共に行動していた。ならば、跡部はきっとこの中に――

「ああ、跡部なら……」
「教える必要はないで、岳人」

校舎の中から忍足が現れ、仁王はニヤリと笑った。

「隠すちいう事はやっぱりここに俺の姫さんがいるんじゃな。返してもらうぜよ」
「俺の?よういわんわ。お前、嬢ちゃんに見限られたんや。さっさとお帰り」

忍足はひらひらと手を振った。

「だから言ったやろ。お前では嬢ちゃんを幸せにする事は出来ひんと。可哀想に嬢ちゃん、お前に振り回されボロボロや」
「……」
「突き落としたかと思うと優しく扱ってみたり、蛇の生殺しや。気があるならある、ないならないではっきりしいや」
「――ならお前は好きな女が自分の知らないところで他の男といて平気でいられるんか?女の格好なぞして、アイツは……」

仁王はギュッと拳を握り締めた。

「……いや、いい。結局嫉妬した事も彼氏だとアピールした事も、それがどういう意味か柳生に届いていなかった、そういう事じゃ」

そして忍足の目を真っ直ぐ見つめて曰った。

「俺はどうしても柳生と会わなきゃならん。伝えたい言葉があるんじゃ」
「……さよか。でもお断り、と言いたいところなんやけど」

忍足はしゃあないわ、と溜め息をついた。

「嬢ちゃんは生徒会室に居る。この校舎の三階や」
「……」
「お前みたいな男に預けるのは心配なんやけど、嬢ちゃん……ホンマにお前が大好きなんやもん。あんなにええ娘なのに趣味悪」
「……何とでも言え」

仁王は忍足と、なあなあ何の話だよ!と騒ぐ向日の間を抜け校舎のガラス戸に手をかけた。

「そうそう。仁王、ええこと教えてやる――嬢ちゃんな、昨日青学の娘がお前と二人で出掛けるのを見て『いいなあ……』と呟いたんや。それを聞いて跡部が嬢ちゃんに女の格好をさせたっちゅー訳や」
「!!」

忍足の言葉に仁王は息を止めた。

「じゃあ何ぜよ!?最初っから――」
「眼に見えへんモノやし不安になるのも判るけどな。あの娘の想い、信じてやり」

『仁王くん。私、貴方の事が大好きです』

「――!」

仁王は扉を強引に開けると、あっという間に校舎の奥に消えていった。

「ええなあ、青春や。俺もああいう初々しいラブロマンスしたいわあ」
「あー侑士はおっさんだから無理」
「ヒドいわ岳人……」













「仁王くんはいつも傍にいて私を助けて下さいました」

一通り泣き終えた柳生は、跡部の胸の中でポツポツと話し始めた。

「段々身体が女らしくなって私自身すらそれを受け入れられなかった時も、仁王くんは男でも女でも俺の大好きな柳生に変わりなか、と言って下さいました。『柳生さんを好きな仁王くん』はいなくならんぜよ、と仰って下さったのに、私が仁王くんに恋心を抱いた所為で失くしてしまいました」

すん、と柳生は洟を啜る。

「これからも彼の良き親友であろうと思っていたんです。恋は諦めるつもりでした。仁王くんにとって私は恋愛対象でなく、恋心を打ち明けたら最後、仁王くんは私から遠のくでしょうから。けれど初めての感情で気持ちをコントロール出来なくて、気がついたら告白していました……もうお終いです」
「……」
「私、仁王くんが世界中の誰よりも好き、大好き、なのに、仁王くんの好きは私の好きとは別物で、想いが通じなくて切なくて悲しくて……!」

そして再び目から涙をボロボロ零し呟いた。

「私、もう恋なんてしません。こんな痛い思いは沢山」
「……ヒロ」

跡部はそれまで黙って柳生の話を聞いていたが、ふとその抱き締めていた腕を緩めた。

「跡部君?」

柳生は涙で濡れた瞳で跡部を見上げた。跡部は彼女の目尻に溜まった涙を掬い、その頬を撫でた。

「泣くな。綺麗な顔が台無しだぜ……」

そして柳生の身体を再び抱き締めた。

「跡部君、痛い――」
「俺様と付き合え、ヒロ」
「!!」

柳生は驚き身体を捩るが、男の力に敵う筈もなく身を凍らせた。

「貴方、御自身が何を言っているか判ってます!?」
「ああ」

跡部は柳生の顎を掴んだ。その表情は至極真面目で柳生は息を呑んだ。

「……離して下さい……」
「俺様だったらこんな風にお前を泣かせたりはしない」
「!!」

柳生は目を見開き、跡部は親指で彼女の乾いた唇をなぞった。

「幾らでも愛を囁いてやるし、望むもの全て与えてやる」

徐々に跡部の唇が柳生に近づく。

「仁王の事なんざ忘れさせてやるよ」
「仁王、くん……」

仁王の名に柳生の瞳から再び涙が零れた――彼のことを考えるとこんなにも痛くて、苦しい。

(私と仁王くんの間に未来がないのであれば……)

目の前の絶望から逃れるように柳生は瞳を閉じ跡部に身を委ねた。すると跡部の暖かい息が唇に触れた。

――……やっぱり、駄目です!!

柳生は開眼し、一番愛しい人の名を叫んだ。

「助けて仁王くん仁王くん仁王くん――!!」
「や――ぎゅ!!」

その瞬間、派手な音を立てドアを蹴破り、仁王が勢いよく室内に転がり込んできた。

「仁王くん!!」
「迎えにきたぜよ!!」

息を切らしながら仁王は柳生に手を伸ばした。突然の来訪者に跡部が気を取られた隙をついて柳生は腕を伸ばし、仁王はその腕を掴むと跡部から柳生の身体を引き剥がし己の腕の中に収めた。

「仁王くん……」
「スマン柳生。遅うなった――もう『大丈夫』じゃき」

仁王はガン!と音を立て跡部の額に己の額をぶつけた。その刺すような視線に跡部も真っ向から応え、二人はしばし至近距離で睨み合った。そして結局両者共一言も発することなく、仁王は柳生の手を引き生徒会室を後にした。




   



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