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ペテンの鱗を絵空事にしないで 10

一体何が起こっていたのか。
それを理解する頃にはすべてが終わっていたというのに、私の心臓は尋常じゃない速度で全身に血液を送り呼吸を荒くしたままだ。


「大丈夫ですか?」


しゃがみ込む私の目線に合わせるようにかがんだ安室さんの瞳が心配そうに揺れた。

ほんの少し前には、私の目の前には狂気に満ちた男性の顔と血に染まった刃物しか映っていなかった。周りの悲鳴もどこか遠くに感じるほどで、刃物が振り上げられる様子がまるでスローモーションのようにゆっくりに感じた。
あぁ、刺される。
確かにそう思ったはず。だけど恐怖から眼を閉じようとして狭くなった視界の端で、何かが動いたのがみえた気がした瞬間、スローモーションだった世界が今度は早送りでもしているかのように慌ただしく過ぎていく。もう何が何だか分からないまま、私が恐怖から止めていた呼吸を再開する頃には、刃物を持っていたはずの男は地に伏していた。


「山崎さん?どこか痛みますか?」
「あ、いえ。・・・・痛くはない、ですが、何がなんだか…」


心配そうに私を見つめているのは安室さんだけじゃない。犯人を抑え込んでいる昴さんと思わしき人や、凶器の刃物の近くに立つコナン君。警察や救急に連絡をした後だろうスマホを握ったままの蘭ちゃんや園子ちゃん。みんなこの状況でも人の心配しながら動けているのに・・・私は何をしているのだろうか。
避ける事も出来ず、犯人が取り押さえられた今でも立ち上がれないまま心配をかけ続けているなんて。早く立ち上がって大丈夫って笑って、そしてみんなにお礼を言わなくちゃいけないのに。
勝手に震える体のせいで上手く力を入れる事が出来ない。刃物を持った男に向かって行ってくれた安室さんは気丈に振舞っているというのに・・・刺されたわけでもない私がこの有様なんて、情けない。


「もう大丈夫ですよ」


そう言いながら震える手を握りしめてくれた安室さんは、その直前、どこか降谷くんの時の様に険しい顔をしていたような気がする。
今は安室さんとして優しい顔をしてくれているけど、本当はいつまでも動けないままでいる私にイラついているのかもしれない。そんな事を考えてしまったから、好きな人にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと、いまだ震える体に無理やり力を入れ立ち上がった。
ふらつく私を支えようとして差し出された手をやんわりと断り、駆け寄って来てくれていた蘭ちゃんたちに無理矢理笑顔を向ける。心配してくれていると分かっているのに、怖くて安室さんを直視する事は出来なかった。

程なくして警察が駆け付け、みんな揃って聴取を受けていれば時間はだいぶ過ぎ去っていて、太陽が傾きかけている。流石にこの時間から出かけたのでは帰りが遅くなってしまうし、何より皆に心配されてしまうほど私の顔色がよくなかった様で、今日はその場で解散する事となった。
正直言ってまだ動揺しているから遊ぶ気持ちにはなれないし、解散はありがたい。だが、一人になると思うと何とも言えない恐怖心が生まれてくるのが事実。そんな私の表情を読み取ったのかコナン君が心配そうに眉を寄せた。


「山崎さん一人で大丈夫?昴さん車だし、送ってもらおうよ」
「いえ、僕が送って行きましょう。いくら君たちの知り合いとはいえ、この状況で初対面の男に送ってもらうより気が楽だと思いますし」


私が返事をする前に話に割って入った安室さんが「それでいいですか?」と聞いてはくれるものの、その顔は有無を言わせないいつぞやの笑顔で、私は頷く以外の選択肢はなかった。
確かに一人になりたくなかったし、初対面の人よりも安室さんの方が嬉しいに決まっている。なのに素直に喜べないのは先程から彼が内心イラついているように感じてしまうから。
イラつかせているのは自分だと思っていた私は、安室さんが睨んでいる先が違う人物だという事にも気付かずに帰り道が平穏であることを願った。


みんなと別れ安室さんと二人きりで並んで歩く帰り道は、帰り際に含みを持たせたニヤリ顔の園子ちゃんの期待とは異なり、無言の時間が続いていた。
この妙な空気も二回目ともなれば態勢が付いているものの、今回は自分に非があると思っているので気軽に声を掛ける事も憚られる。なんて言おうかとか、安室さんから話を振ってくれないかなとか考えている間に家へとたどり着いてしまった。

「あ、あの・・すみません、ありがとうございました」

部屋の前まで送ってくれた安室さんに頭を下げ、急ぎ気味で鍵を開けようと試みるが何故かうまくいかない。手間取りながらも解錠し、ドアを開けながら再度安室さんへお礼を言おうと顔を上げた時、部屋の中からカタンっと小さな音が響き、目に見えて怯えてしまった。
ドアを開けた拍子に入った風のせいだと思うのに、乱れた心拍は中々正常に戻らない様で恐怖心を煽ってくる。


「大丈夫ですか?・・・僕が確かめましょうか?」
「あ、、す、すみません。お願い、出来ますか?」


ドアの前で怯える私を心配し、大丈夫ですよと優しく肩に振れた手からじんわりと熱が伝わってくる。
先に入ってくれた安室さんに続く様に室内へ踏み入れれば、少し開いた窓の側でカーテンが大きく揺れていた。その下には揺れたカーテンで落ちただろう、出窓に置いていた小物が落下しているのが見える。
なんだ、やっぱり風のせいか。
安心した瞬間、力が抜けたようにその場にしゃがみ込む私を心配そうに支える安室さん。彼からはもう怒りは感じられなかった。


「怖い思いをさせてしまってすみません」
「・・・なんで安室さんが謝るんですか。お礼を言わなくちゃいけないくらいなのに」


安室さんが居なかったら、あの男に切られていたかもしれない。初対面の人に怯えながら帰ってきたかもしれない。物音がする部屋を一人で確かめなくちゃいけなかったかもしれない。
こんな状態で、一人で過ごさなくてはいけなかったかもしれない。
だから安室さんが謝ることなんて一つもないのに。それなのに安室さんは、私の問いかけに答えることなく、困ったような笑みを浮かべてまた「すみません」と謝罪を口にした。


「台所をお借りしても?温かいものを飲むと落ち着きますし、僕が淹れますね」


了承を待たずにキッチンに立った安室さんを何も言えずに見つめてしまう。
安室さん、何の謝罪ですか?なんで悲しそうな顔をするんですか?さっきまで怒っていたのではないのですか?
どうしてそんなにも私に優しくしてくれるんですか??
聞きたくても聞けない言葉たちが喉元まで来ては、腹の奥へと戻っていく。

さっきまでの恐怖や不安に加え、現状が理解できない混乱と、安室さんがいる安心感。そんなぐちゃぐちゃの感情たちが溢れ出るかのように、涙が一滴零れ落ちる。
暖かい緑茶を淹れ終えた安室さんが、そんな私を見てまた、困ったように眉を寄せた。


「あなたは本当に・・・何も知らずに生きてきたんですね」


その台詞が何の事をさしているのかは分からない。
だけど、それについて問う事も、淹れてくれたお茶へと口を付ける事もできないまま安室さんを見つめ返すしかなかった。

優しく涙を拭ってくれた安室さんの手が、そのまま頬に添えられ、私の頬を熱くしていくのだから。


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