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ペテンの鱗を絵空事にしないで 08


いつもなら定時頃にさっさと帰宅準備にかかる金曜日。
それなのにまったくエンジンのかからない脳は残業という時間になっても速度を上げることなく、淡々と業務をこなす。


「山崎先輩、金曜日に残業ですか?まだその量の書類があるの珍しいですね」
「ん〜ちょっとね。お疲れ〜」


後輩から珍しいと言われるほど、早く帰るのが当たり前だった金曜日なのに。何をやっているのだろうか。
見込み残業が付いているから残業代泥棒になる事はないだろうが、印象の良いものではない。そんなことわかっているのに。まるで帰らなくていい言い訳を自分で作っている様だ。
いや、作っている様ではない。作っているのだ。

毎週、必ず金曜日か土曜日にはポアロに顔を出していた。
だからいつもならさっさと切り上げてポアロへと足を急がせるところなのに、今日は椅子に貼り付いてしまったかのように腰が重い。
別に今日どれだけ残業しようが明日は休みだし、なんなら日曜日に行ったって問題ない。そんなこともわかっている。


「山崎ー。キリがいいところで上がれよー」
「・・・はーい。お疲れ様でしたー」


次々に帰って行く人たちを見送りながら、順調に片付いてしまった書類たちをファイリングしていく。
いくらこの会社の定時が早いとはいえ、少しでも残業すれば喫茶店の営業時間など簡単に越えてしまうから、今日はもう、ポアロへ行けなくなってしまったな。
誰も何も言っていないのに自分で言い訳を作り、明日に延ばしてしまった憂鬱を抱えながら会社を出た。
ポアロへ行けない金曜日は缶酎ハイ片手にDVD鑑賞をするのがお決まりのパターン。いつもなら近所のコンビニに行くのだが、今日はそんな気分になれず少し遠回りしてスーパーへと立ち寄った。
だけど夕方のスーパーはご家庭を持っていらっしゃる主婦が多く、一人分のお惣菜を買っている自分が何だか虚しく感じてしまう。それに加え、金髪の子を見るだけでいちいちあの夜の降谷くんを思い出してしまい痛む胸が、重症度を表しているようだ。

もともと見込み無いってわかっていたはずなのに。
再びポアロへ顔を出す事になって、安室さんに笑顔で接客してもらえて、もしかしたらなんて淡い期待を抱いていたのかもしれない。
なんて愚かなのだろうか。

せっかくのコンビニじゃない温かみのあるお惣菜も、以前美味しいと思ってリピートした缶酎ハイも、今日はどこか味気ない。いつも見ている大好きなクリス・ヴィンヤードの出ている映画さえも、金髪の女性を見たくなくて今日は邦画にしてしまった。
そんな自分が嫌になるけれど、きっと直ぐには割り切れないのだろう。
安室さんを見るたびに期待をしてしまうなら、いっそ会う回数を減らしてしまおうか。なにも週に1回必ずしも顔を出さなくてはいけないなんて約束はしていない。安室さんの笑顔の圧力で私がそう感じているだけの事だ。


「・・・仕事が忙しくなるとか、言っちゃおうかな」


ただ逃げてるだけだってわかってる。でも逃げないと、少しでも離れないと。安室さんと降谷くんを完全に分けることのできない私は、いつまで経っても降谷くんへの想いが治まる事はないだろうから。
全く頭に入ってこない映画を途中で消して、味の感じられない缶酎ハイを一気に飲み干した。
今日はさっさと寝てしまって、明日ポアロへ顔を出したら長居はしないでなるべく早くに帰ろう。



◇ ◇ ◇



「えー?山崎さん、あまり来れなくなるの?」
「そうなの。寂しいんだけどね」


憂鬱を引きずったまま訪れたポアロ。そこに安室さんの姿はなくて、代わりに仲良くなった常連客の一人、小学生のコナン君と話に花を咲かせていた。
いくら家の下の喫茶店とはいえ、小学校の1年生で一人で来てオレンジジュースを飲むなんて事、私の時にはありえなかったけど。コナン君がしっかりしているせいか、一人でいることに違和感を感じないことが不思議でしょうがない。
蘭ちゃんの所で預かっている子だと聞いたし、親元を離れて暮らすくらいだから色々事情があるのだろう。相変わらずそんな個人の問題に深入りするつもりはないので聞く気はないけれど。


「蘭ちゃんたちにも言っておいてくれるかな?会えた時はお話ししましょーって」
「うん!ボクとも話そうね!」


山崎さんちょっと変わってて楽しいし、なんて声が聞こえた気がするがそこは子供の屈託のない笑顔の前なので問い詰めないでおこう。
私からしたら大人と推理小説の話で盛り上がれるコナン君の方がよっぽど変わっていると思うけどね。
今日も今日とて工藤優作先生の本やらシャーロックホームズの事やらを熱弁され、おすすめの本を教えてもらう。時折梓さんが話に加わろうとするが、コナン君の遠慮のないマニアックなトークに苦笑いを浮かべることもよくあることだ。
早く帰る予定だったが、安室さんが居ないなら関係ないか。


「安室さんだったらもう少しお話にも付いて行けたんでしょうが・・」
「そーいえば山崎さん、安室さんには来れなくなるって言ってあるの?」
「え??いや、今日言おうと思ってたから伝えてないよ」


昨日思いついた事だし、何より仕事が忙しくなるってこと自体が嘘なのだから前もって言えるわけがない。なんてことはコナン君は知るよしもない。


「梓さんに伝えただけじゃダメかな?」
「だって安室さん、山崎さんの事よく見てたしきっと寂しがるよ!」


それは監視も兼ねているからです、とも言えないか。私がうっかり昔話とかしちゃって降谷くんにつながるようなことを言わないかハラハラしてるんだろうなぁ。前回片想いの話もしてしまっているし、また園子ちゃんあたりに詰め寄られる可能性だって無いとは言えない。
でもそんなこと他人が見てわかるはずないし、まして何故コナン君がそんなにも気にしてみていたのだろうか。


「見られていたかな?安室さんは女性に対してはいつもあんな感じじゃない?」
「ううん!山崎さんは他の人とはちょっと違う気がする。だから仲良いのかな〜って思ってたんだけど」


違った?そういって可愛らしく首をかしげるコナン君を、なんでか少し怖いと思ってしまった。
なんでだろうか。幼いはずなのに子供を感じさせない視線に、何かを含んでいるような物言い。いったい私は今、誰と話しているのだろうか。


「・・・コナン君、安室さんの事よく見てるんだね。何で?」
「た、たまたまだよ!ほら、安室さんってカッコいいからボクもあんな大人になりたいなーって参考に!」


わかりやすい動揺。安室さんとコナン君の間で何かあったのかな。小学生と店員の間で何かある方がおかしいはずなのに、この二人なら何かあったかもと思えてしまう。そのくらい、コナン君から小学生らしからぬ雰囲気が出ていた。
本当に、なんで私の周りにはナニカを抱えている人が多いんだろう。


「そっか、だから一人でもくるんだね。お手本になる人が近くにいてよかったね」


私の返事にほっと溜息をつくコナン君に気付いていないふりをしてコーヒーに口を付ける。今日はいつもより酸味が強いかな。
またいつもの様な推理話に花を咲かせつつも、時折ふられる安室さんの話題に過剰に反応しない様に努めた。
子供相手に気にしすぎかもしれないけど、コナン君とのおしゃべりが大人の会話過ぎるから用心するに越したことはないだろう。

自分の心の整理の為の逃避だったけど、少し距離を取るのは正解だったかもしれないかな。
私のせいで降谷くんに迷惑をかけるわけにはいかない。

でも本当は、ただ変な事になって『降谷くんに嫌われたくない』ってだけ。
好きになってもらえる可能性すら無いに等しい、恋する乙女の不毛な感情なのはわかっている。
好きだから辛くて離れるくせに、完全に離れてしまうのは嫌なんて矛盾してるのは重々承知の上。


「それじゃ、次いつ来れるか分からないけど・・・またね」


私はただ、環境も、自分の感情も、平穏で穏やかであって欲しいだけ。
このぬるま湯みたいな心地よさがいつまでも続けばいいのに。


そんな私の些細な願いは、しばらくしたら願う暇すらなくなってしまうのだけど。
この時の私はまだ何も知らなくて、米花町の夕暮れをただ綺麗だと眺めているだけだった。


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