「お待たせしてしまってすみません」
そう言って何やらお高そうな車から下りて来た降谷くんに、「いえ・・」っと他人行儀な返事を返す。待たせて悪いと思うのなら是非このまま帰して頂きたい。
だけど実際には悪いなんてこれっぽっちも思っていなさそうな笑顔のまま助手席のドアを開けられ、反抗なんて許されない雰囲気をヒシヒシと感じながらシートへと座る。
何でこんな事になったんだろうと思い返しても、元はといえば私が名前を呼び間違えたのがいけないのだが。
それでも呼ぶなと言われていたわけでもないし、むしろ気を遣って今まで何も言わないでいたことに感謝してほしいくらいなのだが、そんなことをこの雰囲気の降谷くんに言えるわけがない。
「山崎さん、今日はこの後ご予定は有りますか?」
私の名前についての質問には全く触れず、サラリとそんなことを聞いてくる降谷くん。これが爽やかな雰囲気のままだったならキュンとしたかもしれないが、そんな甘めの空気は微塵も感じられない。
「実はご協力願いたい事があって・・」なんて勿体ぶって言われたのは、女性に人気の夜カフェへのお誘い。男一人では入りづらいので是非ご一緒に、なんてもっともらしい口実。だがその眼はもはや脅しの域だ。
別に脅されるネタなんてないはずなのに首を横に振れないのはなぜなのだろうか。
お客さんからの視線は痛いし、梓さんの視線はなにやら輝いてるし、目の前の降谷くんは相変わらず冷気を漂わせてくるし・・・居たたまれなさが半端ない。
無駄にごねてこの視線を浴び続けるよりはと、「私なんかで良ければ・・」と何とか言葉を絞り出し、買い物もしたいのでと嘘を言って早々にポアロを出た。その際に待ち合わせの時間と場所を伝え忘れない降谷くんに引きつった笑顔で会釈して。
あの時に断っておけば今のこの状況にはならなかったのだろうか。
街中を颯爽と走っていたはずのこの高級車は、次第に周りに何もない山道へと入っていく。もちろんその間、会話は一切ない。なんならポアロにいる時の様な笑顔すらない。まさに生き地獄だ。
暗い山道もスピードを緩めることなくスイスイと走らせる降谷くんのドライビングテクに感動したい所なのに、そんなことで気分を上げられる余裕なんてなかった。
問い詰めるなら今すぐにでも聞いてくれ。そしてさっさと解放してほしい。しかし彼は言葉を発する気が全く感じられないし、ここは私から切り出せばよいのだろうか・・。
チラリと彼の顔を伺ってみても何も情報を得ることはできなくて、こっそりとため息をついた。
「・・・・・安室さん?こんなところにカフェはなさそうですが?」
本当にカフェに行くつもりなんてないことくらいわかっているけど。長い沈黙の後だったからか、かすかに声がかすれてしまった。
それなりの勇気をもって発した言葉は、やはり返事が来ることは無くて。かわりに山道の路肩、真っ暗な駐車スペースへと車体を滑り込ませ、ピタリとその動きを止めた。
出来ればもう少し穏やかに止まってほしかったです。打ち付けた肘から痺れたような痛みが走る。
「あの街に同級生は居ないはずだ。・・・なぜあの店に?」
「え?あ、いや。急な転勤で近くに越してきたから・・」
街に同級生が居ないなんて、どうやったらわかる事なんだろうか。お役所の人間?だったら昼間にポアロで安室さんとしてバイトしながら探偵なんてやっていられないはずだ。
謎が深まるばかりの降谷くんに、何で、という質問は許されるのだろうか。
目の前で眉を寄せクシャリと頭をかく姿はポアロの安室さんとは違い、昔の面影を感じられ、開きかけた唇をそのままキュッと結んだ。
「山崎、俺のこと誰かに話した?」
「ううん、、、なんか訳ありそうだったし」
基本的に面倒ごとや厄介ごとは避け、穏便に平和に生きていたい性分の私としては、ナニカがありそうなことには触れないでいたかったくらいだ。
まぁ世間話をしようにも、転勤してたばかりでまださほど仲の良い同僚などもいないし、わざわざ友人にメールする内容でもないからってのもあったが。
私の返事を聞いてまた悩み出して無言になった降谷くんに、もう威圧感は感じられなかった。
それどころか安室さんとは違う、敬語じゃない懐かしい彼に親近感まで湧いてくるのだから私は単純明解にできているものだと少し笑ってしまう。
「降谷くん、私のこと覚えてたの?気付いてないから忘れてると思ってたのに」
「初日にあれだけ分かりやすい態度されたら嫌でも思い出す」
「嫌でもって・・。初日に気付いたのにアノ態度だったんだ」
「こっちも色々あるんだよ。安室とお前が初対面なのは事実だしな」
まるで他人の様に話すけど、安室さんはあなたですよね?そうツッコんでもいいけど、なんとなく。これ以上そのことについて聞くのは踏み込みすぎな気がしてやめた。
「悪いけど、もうあの店に来ないでくれ」
とても強い音色で発せられた言葉。だけど、確かにその言葉の中に降谷くんの優しさを感じたような気がした。
きっと安室さんとして生きている降谷くんにとって、私はとても心配の種なのだろうな。
何をしているのかは知らないけれど、もし本当に悪い人なら私はきっとこの山の中で消されていたんだろう。だから彼は昔と同じように正義の為に動いているんじゃないかな、なんて勝手に想像した。
だからこそ、これ以上の私の介入は困るのだろう。
「わかった。店にもいかないし、降谷くんの事も誰にも言わない」
せっかく会えた降谷くんのに会えなくなるのはとても寂しい。仲良くなれた梓さんとのおしゃべりもできなくなってしまうし、常連さんとも馴染んできた所だったんだけどな。
「話が早くて助かる」と安堵のため息を漏らすほど、彼は気に病んでいたのか。本来ならそれじゃ、といって帰るのがベストなのだろう。今までの私ならそうした。
だけど、やっぱり好きだった彼、まして今でもカッコいい彼とこれでサヨナラになるのが惜しい、なんて思ってしまった。
「ふふ、じゃあ一つだけ、お願いきいてもらえるかな?」
取引ともいえる、私に分がある要求に、チッという舌打ちも嫌そうな顔も隠さずに「なんだ」と視線だけこちらに向ける降谷くん。本当に安室さんの時とは大違いだな。
でも、私はこちらの降谷くんの方が、降谷くんっぽくて好きだ。まぁ、あれは安室さんと言う別人を装っているのだから当たり前かもしれないしが。
「降谷くんのせいでこんな時間になっちゃったし、この後夕飯だけ一緒にしてくれる?」
これで会うのは最後にするから。そう告げれば、もっとすごい要求をされるとでも思っていたのか、意表を突かれたような顔をした直後、ハハッっと笑われてしまった。
笑われるなんて不本意だが、降谷くんのこんな笑顔が見れたならいいか。
「ご飯だけって、安い女だな。いいよ、何が食べたい?」
「空腹だったからね。ん〜、中華かな!麻婆豆腐が食べたい」
「色気もないんだな」
「失礼だな」
そんな冗談交じりで言葉を交わし、車を華麗にUターンさせる降谷くん。来た時とは違い、気軽な雰囲気があったからか、今度は素直にすごいと称賛を送れた。
お互いに自分の情報などは話さず、取り留めのない雑談に花を咲かせるドライブはこんなにも楽しいものだろうか。
これが最後じゃなければ良かったのに。
そんな未練がましい思いを振り払いながらも、だんだんと近づく街並みに少しの寂しさを覚える。
せめて、ご飯を食べ終えるまでは心から楽しもう。
そう決めていたのに、降谷くんが車を停めた場所があまりにも意外過ぎて。
呆然と彼を見つめてしまった。
え、だって。ここ、スーパーなんだけど。
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