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08

おやすみ。いつもより少し低くて心地のいい声が何度も何度もリフレインする。声が聞きたいと思って掛けた電話なのに、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。
咄嗟の判断とはいえ、野球の話に持って行けたのは我ながら機転がきいたと思う。でも、その後にまさか名前で呼ばれる事になるなんて思わないじゃないか。一也が言う通り、今は一也の方が先輩だ。私も御幸先輩と揶揄い半分で呼んだ事だってあるし、別に名前で呼ばれるのが嫌なわけじゃない。けど・・・。


「あれは反則だよ・・・」


名前を呼ばれた瞬間心臓が大きく鳴って、通話が切れた今もまだ余韻を残すようにどくんどくんと力強く脈打っている。血液が巡っているせいなのか体温も上がっているようで、頬にぴとりと手をあててみるとびっくりするくらい熱を持っていた。


「うぅ・・・落ち着かない」


ごろんごろんと狭いベッドの上を転がりながらも、頭の中では勝手に一也の声を反芻してしまう。本人は揶揄うつもりで言ったのかもしれないけど、効果があまりにも絶大すぎた。
今日、ちゃんと寝れるかな。寝るときにまた思い出しそうなんだけど・・・。なんて、一抹の不安を抱えながら夜を過ごしたけれど、見事にその予感は的中してしまった。


「あっ!やばい」
「どうしたの?」
「体操服・・・上のジャージ忘れちゃった」


だからだろう。いつもよりも睡眠時間が短かったせいで朝の決まった時間に鳴り響いたアラームを無意識の内に止めてしまったらしく、そのまま二度寝。次に目が覚めた時には時計がいつも家を出る時間を差していて飛び起きた。慌てて準備を済ませて家を出たけれど、今日ほど学校が近い事に感謝をした日はない。
けれど、慌てていたせいで持ち物にまで気を配れなかった。


「え、ホントに?体育の先生厳しいし、誰かに借りに行った方がいいよ」
「だよね・・・」


友達の言葉にがっくりと肩を落とす。困った・・・どうしよう。体育教師が忘れ物に厳しいのは有名だ。でも、誰かに借りて授業に出る分には何も言われない。という事は友達の言う通り誰かに借りに行けばいいのだけれど、私にとってはそれが一番問題だった。
入学してまだ日も浅いし、部活に入っていないから他のクラスに知り合いもいない。同じ中学の子はいるけど気軽に借りれる程仲がいいわけじゃない。
つまりは、残念な事に借りる相手がいないんだ。


「あっ・・・ねえ、ジャージって学年関係ないっけ?」
「うん。皆一緒だよ」
「ちょっと借りに行ってくる!」


ふと思いついたのは一也の顔。昨日の一件があるから顔を合わせるのは少し気恥ずかしいけれど、躊躇っている時間はない。
確かB組だったよね、と過去のメールを思い出しながら階段を駆け上がっていく。どうか移動教室じゃありませんように。教室に居てくれますように。そう祈りながら上級生のフロアを恐る恐る進んでいき、B組の扉からひょいっと中を覗き込んだ。
教室の中にはたくさんの人。どうやら移動教室ではないらしく、ホッと息を吐く。あとは一也が居てくれれば。そう思いながら教室の端から端をぐるりと見渡せば、奥の窓際で男の人と話しているのを発見する。
けど、困った。どうしよう。あれだけ離れていると声を掛けようにも掛けられない。かといって上級生の教室へずかずかと入っていけない。でももう時間が迫っている。


「あの、すみません」
「はい?」
「御幸先輩、呼んでもらってもいいですか?」


切羽詰まった結果、近くにいた女の人にお願いしたんだけど、チョイスを間違えたかもしれない。だってこの先輩、席に座ったまま「御幸くーん」と声を張り上げたのだから。そうすると一也以外の人たちもこちらを見るのは必然で。この子が呼んでる、なんて一言を付け加えられれば、数えきれないほどの目が私に向けられる。
目立つのが得意でもない私はその視線に耐えられるはずもなくて、スッと二歩くらい扉から遠ざかった。


「楓、どうした?」


でも、その距離を埋めるように現れた一也に、どくん。と、まるで昨日の夜を思い出したかのように心臓が高鳴った。機械越しじゃない、すぐ近くで私の名前の音が直接私の鼓膜を震わせる。電話で聞くのとは全然違って、それが少し面映かった。背中が痒くなるような、思わず笑ってしまいそうな、そんな感じがする。
ていうか、本当に呼び捨てで呼ぶんだね。いいって言ったのは私だし、実際嬉しいからいいんだけど、心臓にはあまり良くないかもしれない。それに、女子の名前をなんの躊躇いなくサラッと口に出来る一也って、もしかして慣れているんだろうか。初めて会った時も最初から楓ちゃんって呼ばれたしなあ。……って、そんな事考えてる場合じゃなかった!


「あ、ごめんね。教室まで来ちゃって」
「それは別にいーけど」
「一也さ、体操服持ってる?上のジャージ」
「あるけど・・・もしかして」
「貸して!忘れちゃったの」
「そういう事ね」


はあ、と呆れたように溜息を吐きながらも「ちょっと待ってて」とロッカーへ向かう一也。その背中を、教室の扉からほんの少しだけ顔をだして眺める。クラスの人はもう興味が失せたのか私たちを見ている人は居なくて――いや、居た。さっきまで一也と喋っていた男の人が探るような視線を私へと向けている。
鋭さを持った瞳とばちりと合い、反射的にぺこっと軽く頭を下げるも、直ぐに視線を床へと逃がす。さすがに、ずっと目を合わせられるような度胸は持ち合わせていなかった。だから、戻ってきた一也が目の前に立ち視界が遮られた事にホッと胸をなでおろす。


「はい、これな。でも楓にはデカいと思うぜ?」
「大丈夫!袖捲ってもいい?」
「いいけど、他に借りるヤツいねーのかよ」


意外にもきちんと畳まれたジャージ。当たり前だけど私のよりも大きくて、少し草臥れていた。それを手に抱えながら、軽口を叩く一也をぎろりと睨む。
にやにやと笑う口元が、明らかに揶揄っていることを示していたから。


「だって、部活もやってないし他のクラスに仲いい子いないんだもん」
「友達少ねぇのな」
「これからですー!」


はっは、と笑い声を上げた一也の腕をポカッと軽く叩けば、「痛ぇ」なんて全く痛くなさそうに笑う。つられて自分も笑っている事に気付いて、慌てて口元に力をいれた。
電話もいいけど、やっぱりこうして顔を見て話した方が色々な表情が見れるからいいな。出来るならもっと話していたいけど、時間は有限。もうそろそろ戻らないといけない。


「ねえ。これ、いつまでに返せばいい?」
「あー・・・六限体育だから、それまでに返してくれればいーよ」


一也は寮生活だし、きっとこのジャージも自分で洗うはずだ。だったら洗ってから返したかったけど、今日使うならそういう訳にもいかないよね。六限というと、いつ返しに来るのがいいんだろうか。私のクラスの体育は三限だし、確実に移動教室のない時間だと・・・。と、そこまで考えたところである事を思いついた。


「ねぇ、昼休みでも大丈夫?」
「昼?」
「うん!ついでにお昼ご飯一緒に食べようよ!」


昼休みなら、さすがに野球部の練習もないだろうし。場所さえ選べば二人で居たって注目される事も無いはずだ。うん。我ながら中々良い考えだと思う。
期待に満ちた目を向けて返答を待っていると、あからさまに目を逸らされて、気まずそうに首の後ろ辺りへ手を置いた一也。ちょっと強引すぎたかな?それとも昼休みは何か用事でもあるんだろうか。と、不安な気持ちがぴょこりと芽を出す。一也が珍しく歯切れの悪そうな返事をするから、余計にだ。


「・・・まあ、いいけど」
「本当?用事があるなら・・・」
「いや、大丈夫」
「そう?じゃあ、またお昼に来るね!」


ありがとね。一也に軽く手を振って自分の教室へと早足で戻っていく。最後に見せたあの態度が少し気になるけれど、でも、ジャージも借りれてお昼の約束までしちゃった。
だらしなく緩んだ口元は、急かすように予鈴が鳴ってもゆるゆるに解けたままだった。


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