梟谷と書かれたジャージを着た人が、兄の名を呼んだ。
ただ、それだけ。そう思おうとしているのに私の意識はすべて兄へとモッテイカレタ。
『なんで俺がっ!!』 『クソ、、っ!動けよ・・動いてくれよ!!』
『また見捨てられた・・』 『走れなきゃ意味ないってか・・っ』
走馬灯のように流れる兄の姿。その姿は私が信じ切っていたキラキラしていた優しい兄ではなかった。
あぁ、そうだった。兄はあんなにも苦しんでいたじゃないか。
それなのに幼いころの私は、荒れている兄が怖くて目を背け続け見ようとしていなかった。本当はいつもと違うと思っていたはずなのに。
勝手に兄は強くて優しいと思い込もうとしていただけだった。
『・・・ごめんな葵』
冷たくなった兄。足だけじゃなく、全身が動かなくなった兄。
最後の最後の顔まで苦しそうで。それが自分のせいなんだって、誰も口にしないだけで目で訴えられている様だった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
私だけ生きていてごめんなさい
「高宮!!!」
あぁ、まただ。
こんな時でさえ、また、あの優しい声が響く。
なんで。なんで西谷は私を甘やかすの。
こんな私に関わっちゃダメだよ。優しくしちゃダメだよ。抱きしめたりしちゃダメだよ。
貴方に頼ってしまうから。
「・・離して」
優しさに溺れさせないで。私は、私にはそんな資格なんてないのだから。
太陽がキラキラと輝く大空をはばたくような西谷の隣に、私は相応しくない。
そう、必死に言い聞かせているというのに、西谷の腕の力は弱まるどころか強く苦しいほど私を抱きしめる。
「嫌だ。離したくねぇ」
「な、んで・・待つって、言ったのに」
「おう。だから言いたくねぇならそんでいい。でも離さねぇからな」
どうして西谷はそんなに強いんだろうか。どうしてそんな彼が私の側にいてくれるのだろうか。どうしてその温かな手を私に伸ばしてくれるのだろうか。
どうして彼の前だと、私は弱くなるのだろうか。
「ごめん、西谷。ちょっと、だけ・・・胸、かして」
何が哀しいのか。なんで涙が出るのか。
ハッキリした理由は自分でも分からない。兄の事で泣いているのか。自分の事で泣いているのか。西谷が優しすぎるから泣いているのか。
何もわからないまま、子供の様に泣きじゃくった。
いったい声を出して泣いたのはいつぶりだろうか。
体育館に響き渡る自分の声なんて気にすることなく、西谷の胸に顔を埋めて泣き続けた。もう恥ずかしいとか情けないなんて感情はない。ただ、心が苦しいと叫ぶままに泣き続ける。
その間西谷は、ただ黙って私を抱きしめ続けてくれた。
「・・・ごめん。もう大丈夫だから」
どれくらいの時間泣いていたのかはわからない。だけど、声を出して泣いたからなのか今は兄の声は聞こえなかった。
その代わりに聞こえてきたのは大丈夫かと心配する西谷の声と、今更ながらになって距離の近さに狼狽える私の心臓の音。
顔が熱いのは泣いたせいだと思いたいけど、恋心は自覚しているので言い聞かせは無理みたいだ。
「本当に大丈夫か?顔ひでぇことになってんぞ?」
「ウルサイ西谷。泣いたんだからしょうがないでしょ!もう・・・相変わらずデリカシーないな〜」
この胸が、この腕があるから縋るのだろうか。それとも、ずっと誰かに縋りたかったのだろうか。合宿に来て以来、息苦しいとまで感じるほど落ち着きのなかった気持ちが、今は穏やかでいられる。
西谷とも普通に話せるし、いつもの様に悪態も付けることに感謝しながらも、その腕をそっと振り払った。
「・・・今なら言える‥気がするから、聞いてくれる?」
本当なら、この優しく逞しい腕にいつまでも縋りついていたかった。
好きだと言って、その懐に躊躇いなく飛び込みたかった。
貴方の隣にずっといたかった。
だけど、やっぱり私には許されないから。許されないと分かっているのに、差し伸べられると甘えてしまうみたいだから。
だから、私は西谷と離れる為にも、全てを話そうと思った。
ドカッと腰を据えて真正面から話を聞きいる体勢を作った西谷に、私も真剣に向き合う。力強過ぎる目で見つめられると逸らしてしまいたくなる視線を必死に耐え、途中で止めてしまわない様にゆっくりと、一つ一つ語っていった。
尊敬する、大好きな兄がいた事
その兄を自分が追いつめてしまった事
そのせいで兄が自らの命を絶ってしまった事
だから私はみんなの側に、西谷の側にいない方がいい事
幸せになる資格なんてない事
自分の口からこの事を話すのは、結衣以外では初めてだな。結衣に話す時は半分パニックになりながら叫ぶように話していたが、その時よりは大人になれたみたいだ。
微かに震える声はきちんと西谷まで届いているだろうか。
話し終わった後でも、しばらくじっと考える様にしていた西谷が口を開くまでは永遠の様に長く感じた。
「・・・わりぃ、俺にはよくわかんねぇんだけど。なんで高宮が幸せになっちゃダメなんだ?」
「っ、だって!私のせいで・・私がお兄ちゃんを殺した様なものなのに!それなのに私だけがなんて・・・」
法的には私は罪人として裁かれない。裁いてもらえない。なら私はどうやって罪を償えばいいというのだ。
みんな私を冷たい目で見るだけで責めてくれなかった。親族も誰も私のせいだと罵ってくなかった。それでも陰で無邪気なのも罪だと言っているのは知っていた。
「お前のせいじゃないだろ」
「みんな直接言わないだけで私が悪いと思ってる。私も、私のせいだと思ってる」
「違うだろ」
「違わない!!私のせいなの!!私が、っ」
声を荒げて乱れる私の目に、最初から変わらず真っ直ぐにこちらを見つめる西谷の姿が映る。その揺らぐことのない瞳が怖くて、次の言葉が喉につかえた。
そんな目で見ないで。これ以上私を弱くしないで。
「わかった。高宮が自分のせいだって言うならそれでいい。だけど、幸せになっちゃダメなんて言うな」
「でも・・・っ!」
「犯罪者だって許されて出所すんだ。お前が許される日だってくるだろ」
なんならもう許されてるんじゃないかと言う西谷に、静かに首を振った。
確かに犯罪者だろうが懲役を受ければ許されて人生をやり直すことができる。それは知っている。でも私は懲役を受けていないし、何も償っていないから。
「私はずっと罪は背負わなくちゃダメなの。だから、もう私に関わっちゃダメだよ」
お願いだから私から離れて。私は、西谷が好きだからこそ、これ以上迷惑も負担もかけたくない。
この合宿で、まだ全然気持ちの整理も落ち着きも取り戻せていない事は自覚できた。これは私がやらなくちゃいけない事だから。
そうじゃなきゃいけないのに
「俺はそれでもお前が好きだ。罪だろうが何だろうがまとめて受け止めてやるよ」
どうして西谷は笑うのだろうか。
「そのままのお前を俺が守ってやる」
私が罪人だと知って、どうしてまだ受け入れてくれるのだろうか。
「来いよ」
その広げられた両手を、どうして私は拒めないのだろうか。
私はなんて弱いのだろうか。
先程とは違う涙が込み上げてくるが、これは喜びなのか、悲しみなのか。
暖かいと、逞しいと知っているその懐に、ダメだと知りながら飛び込んでしまう私を、西谷は言葉通りしっかりと受け止めてくれた。
「・・っ西の、や」
好き。大好き。ありがとう。
西谷への想いは溢れそうなのに、どうしてもそれを口にすることは出来なかった。
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