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ひとりで泣かない

たとえば部屋にひとりの時。嫌なことがあった時。そんな時にふと孝二のことを想うと、会いたいって気持ちがぶわりと込み上げてくることがある。
今すぐ会いたい。会って抱きしめてほしい。孝二の声で名前を呼んでもらって、あの笑顔を向けてほしい。全て叶わないと分かっているからこそ、強く求めてしまう。
もし孝二が地元の高校に進学していたら? 部活とかに入っていたかもしれない。バイトが忙しくてすれ違うかも。それでも、歩いて三分という家の距離は会いたいと思えばすぐに会いにいけるし、会って話せば多少のすれ違いなんてどうってことないだろう。
孝二がボーダーに入らなければあったかもしれない未来。そんなたらればを並べたって仕方がないし、今の孝二を否定することになってしまう。けれど、どうしても思ってしまうのだ。――なんで今、傍に居てくれないの、って。
いつもは心の奥にしまい込んでいる気持ちが溢れだしてくる。自分勝手な想いが風船のように膨らんでいき、ぱちんと弾けると同時にじわりと熱いものが込み上げてきた。
あ、だめだ。そう思った瞬間、孝二の言葉を思い出して、横に置いてあったスマホを奪うように手にした。


「もしもし? 葵?」
「……こーじ」


とろりとした声で名前を呼ばれたら、もうダメだった。堪えていた涙はぼろぼろと頬を伝って、鼻も喉も窄まってしまったようにうまく呼吸ができない。
震える声で名前を呼んで、ぐずぐずと鼻を鳴らす私は電話越しにも泣いているのは明らかだったんだろう。警戒と緊張を孕んだ声で「なんかあったん? 今どこ?」と問いかけられた。


「なんもないよ。家におるだけ……でも、孝二に会いたいなあって思うてたら、なんか……」
「うん」
「それで、約束思い出して……」
「あぁ……」


ふぅ、と息を吐く音はきっと安堵からだろう。泣きながら電話してきたら誰だって心配すると思うから。自分勝手な気持ちを全部ぶつけるわけにもいかなくてうまく説明できなかったけれど、約束という言葉で察してくれたみたいだ。ほんの少しの沈黙の後に、電話の向こうで微かに笑ったのが分かった。


「ありがとうな、電話してくれて」
「……うん」


ふと、あの日のことを思い出した。約束を交わした日。今も忘れない、孝二が出て行く前日の話だ。
ダンボールが何個か積み重なった孝二の部屋で、別れの時間を惜しむように手を繋ぎながらぴとりと肩を寄せあった私たち。ぽつりぽつりと話しては、次の言葉を探るように沈黙が降りる。静かな部屋の中で唯一壁掛け時計だけがカチカチと時を刻む音を鳴らしていて、それがまた寂寥感を助長させていた。


「なあ、葵……」


そんな空気の中、口火を切ったのは孝二の方で。繋いでいた手にぎゅっと力を込めると、体ごと私の方へ向き直る。


「ひとつ、お願いがあるんやけど」
「……なあに?」


なんとなく孝二の顔を見るのが怖くて、返事をした後フローリングへ視線を落としてしまった。艶が少し消えているところや、小さな傷を見ながら孝二の言葉を待つ。


「明日から、簡単に会われへんようになるやん」
「……うん」
「不満とか不安とか出てくると思うけど、多分葵はなんも言わんと我慢するやんか」


ゆっくりと紡がれていく言葉は、あまり聞きたくないものだった。覚悟しても、理解しても、明日にはこの温もりが傍にないと思うと胸がぎゅっと締め付けられる。
だから、「そんなことないよ」って否定してあげることが出来なかった。だって、きっと孝二の言う通りだから。隣にいる今でさえ明日からの不安を口にすることができないのに、離れてしまったら益々心の奥にぐいぐいと押し込んで口を噤んでしまうだろう。


「何かあったら……何もなくてもええけど。連絡してな?」
「……うん」


それが、お願い? なんとなく孝二らしくない言葉に俯いていた顔を上げれば、どこか悲しげな瑠璃色の瞳が私を映していた。
繋いでいない方の手が頬を包むように置かれ、指先でするりと撫でられる。


「……一人で、泣かんといて」
「え?」
「原因がおれでも、おれ以外でも。泣きたくなったら連絡してや」
「なに、それ」


もし孝二とケンカして、それが原因で泣きたくなったとしても連絡しろってことだろうか。変なの。そう思うのに、ちっとも笑えなかった。
孝二の表情が、僅かに細められた瞳が本気だったから。まるで大事なものに触れるみたいに指先が頬を撫でていくから。


「連絡もらっても、今みたいにすぐに行かれへんけど」
「うん」
「葵がひとりで泣いとると思うとかなわんし」
「なに……それぇ」


我慢していたのに、困ったような顔で笑う孝二を見たら涙が溢れてきて、不安を吐露しながら泣き続けたんだよね。いつまで経っても泣き止まないからちょっと困らせたっけ。ぐずぐずと声を詰まらせながら約束したこと、忘れてないよ。ちゃんと思い出したよ。
ティッシュに涙を吸わせながらあの日のことを思い出していたら、「葵?」と様子を窺うように名前を呼ばれる。


「なあ、なんかしゃべってや」
「ん?」
「孝二の声、聞いてたいんやもん」
「どんなムチャぶりやねん」


まあ、ええけど。なんて、ちょっと呆れたように言うくせに、ちゃんと私の要望に答えてくれるんだから。孝二はほんまに私に甘い。もちろん、今の私の不安を汲み取ってくれているのもあるんだろう。けど、学校であったこととか、孝二が所属している生駒隊の人の話とか、会話が途切れないようにたくさん話してくれて、いつの間にか涙は渇いていた。
大好きな孝二の声は、まるで安定剤みたいだ。不安も不満もぜんぶ解けていって、心地いい響きに揺蕩うように気持ちが穏やかになっていく。
察しのいい孝二も私の相槌や笑い声で気づいたんだろう。「落ち着いた?」と絶妙なタイミングで声を掛けてくれて、素直に頷くことができた。


「うん、ありがとう。急に電話してごめんね」
「いや。おれも後で電話しようと思うてたし」
「うん? なんかあった?」
「来週の休み、そっち帰るわ」
「えっ!? ほんまに?」


基本的にボーダーに土日は関係ない。訓練? があれば参加するし、いつ緊急事態があるとも分からない。だから夏休みとか冬休みとか以外はなかなか帰ってくることはなかったのに。
――孝二に、会える。心の中でそう呟けば実感が湧いてきて、飛び上がって転がり回りたいような表現出来ない嬉しさが込み上げる。さっきまでぐずぐずと泣いていたのが嘘みたいに、一瞬で笑顔になれた。やっぱり、孝二はすごいなぁ。

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