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浮気はしない

「また隠岐がモテてしまうやないか」
「いやいや、ほんまモテませんて」


界境防衛機関本部にある生駒隊の作戦室。隊員が集まり防衛任務までの時間をいつものように過ごしていれば、雑談の中で定番となっている台詞が飛び出した。
雰囲気イケメンだとか女子にモテるだとか表現の仕方は様々だが、口にするのは決まって隠岐が所属する生駒隊の隊長――生駒である。
隠岐自身モテないと思っているのは事実なので毎回否定しているのだが、信じてもらえていないのか何度も繰り返される台詞。それに否定するまでが一連の流れになっているので、もはやネタのようなものだった。
しかし、まだこうして面と向かって言われるのはマシな方だ。よく分からない噂ではマスクをした女と一緒に歩いていただとか、一度に十人の女の話を聞き分けただとか、赤い服の女を追いかけてナントカカントカ、といったものまで流れる始末である。ほんま、誰が流したんか知らんけど、しょーもないもんばかり勘弁してほしいわ。と隠岐は思っているが、わざわざ表立って否定するわけでもないのでそれも噂が広まる一因になっているのだろう。


「え? でも隠岐先輩彼女いますよね?」
「……それはご想像にお任せしますわ」
「うわ、流しよった。オフん時端末切っとるってそういうことちゃうん?」
「オンとオフは切り替えるタイプなんですわ」
「いや、でも隠岐って意外に女っけないですよ」
「意外に」
「意外に」


今日もいつものように否定して終わるかと思った話題だが、珍しく水上や南沢が乗ったことによって会話が広げられてしまった。南沢の問いかけは事実であったけれど、肯定の言葉を飲み込んで曖昧に濁すことを選ぶ。
彼女である葵のことを話したくないわけではない。もし葵が同じ学校だったりボーダーの一員であれば若干の牽制も含めて話しただろうが、彼女が今いるのはここから離れた地元で、普通に生活している限り生駒たちと会うことはない。話せば根掘り葉掘りとまではいかなくても色々と聞かれるだろうということが予測できるので、濁すことを選んだのだ。それは葵にほんの少しでも興味を持って欲しくないという独占欲も含まれているのだが、それら全てを隠すように笑顔を浮かべる。


「せやから言うてますやん。ほんまにモテへんのですって」
「教室で女子に囲まれてるんかと思うてたわ」
「はは、無いですよそんなん」


むしろ隠岐は学校で女子と話すことすらあまりしない。ボーダー所属であれば普通に話していたが、非隊員のクラスメイトなどは用事でもない限り隠岐からは話しかけないようにしていた。誰に強要されたわけでもなく、隠岐自身が決めたことだ。
浮気はしない≠サれは彼女である葵と離れることを決めた時、いくつか交わした約束のひとつである。約束をするまでもなく当たり前のことだと隠岐は考えていたが、同時に一番大事なことだとも思っていた。というのも、浮気の定義なんて人それぞれ違うので、同じ物差しではかることは難しい。なので、自分がされて嫌なことはしないようにと決めていたのだ。自分の知らんとこで葵が男と仲良く話しとったら腹立つしな。と心の中でだけぽろりと本音をこぼす。


「でもアレやんな。たまに告られてるって聞いたで」
「なんそれ。やっぱモテるんやん」
「ええ……? 誰情報です、それ」
「米屋と出水」
「ああ……まあ、ええやないですか。ほら、そろそろ時間ですし行きましょ」
「うわ、また流しよった」


ちらりと逃がした視線の先、壁掛けの時計の針が任務開始時間に近づいているのに気づいた隠岐は、これ幸いとばかりに話題を切り上げて腰を上げた。他の隊員も隠岐に倣うように時計を一瞥し立ち上がるが、どこか納得のいかない表情を浮かべている。けれど、隠岐がこうして言葉を濁す時は口を割らないことも分かっているんだろう。若干の不満を口にしながらもそれ以上追究することなく作戦室を後にしていく生駒たちの背中を追いながら、隠岐は気付かれないように小さく息を吐きだした。
あーあ、思い出してしもた。先ほどの会話から、すっかりと忘れていた今日の出来事が脳内で鮮明に再生されてしまって、肩のあたりにずしんと重石が乗ったように気分が重くなった。

隠岐が学校のクラスメイトと必要以上に話さない理由はもう一つあった。基本的に人と話すことは好きなのだが、クセになってしまっている当たり障りのない笑顔を浮かべて話していると、それとなく相手から好意を感じ取ることがあるのだ。視線や態度、独特の空気感とでもいうのだろうか。サイドエフェクトがなくても伝わってくるその感情。いっそ自惚れだと笑い飛ばされた方がいいが、残念ながらこういう時の勘は外れたことがなかった。
好意を向けられたところで彼女のいる隠岐には応えられない。なので、どれだけ話しかけられたとしても好意を感じ取った瞬間にわざと壁を作るようにしていた。それは揉め事を起こさないためでもあるし、なにより彼女を不安にさせないためでもあった。


「隠岐くん、ちょっといいかな?」


それでもたまに、隠岐が作り上げた壁を乗り越えてこようとする女子がいる。
休み時間に自販機を目指して廊下を歩いていれば、一人の女子に呼び止められて足を止めた。クラスは違うが、顔は分かる。多分何度か話したこともある。しかし名前までは分からない。目の前の女子に対してそう認識してから「ええけど、なに?」と返事をすれば、恥じらうようにスッと目線を床に向け、言いづらそうに両手の指を弄ぶような仕草を見せた。
その瞬間に用件を察知した隠岐は、急いでいるからと適当に理由をつけて断れば良かったと後悔したがもう遅い。作られたような甘えた声が向けられて、胸やけがしそうになった。


「わたし、隠岐くんが好きで……」


ほとんど話したこともないのになんで? どこが? 内心でそう思いつつも名前も知らない女子に問いかけることはせず、どう断れば丸く収まるかと言葉を探していた時、隠岐の頭の中にふと思い浮かんだ葵の顔。彼女に余計な心配はかけたくないし、端的に済まそう。そう思いありきたりな言葉を選んで舌にのせた。


「……ごめんやけど、おれ彼女おるし」
「えっ、聞いた事はあるけど……本当に、いるんだ」
「そやなぁ」
「でもそれって本当なの? 前にボーダーの人に聞いてみたけど誰も見たことないって言ってたよ」


しかし、断ってハイ終わり。と、そう簡単にはいかないようだ。目の前の女子はさっきまでの恥じらいを忘れたようにぐっと距離を詰めてきて、ありえない言葉を投げかけてきた。隠岐が断るために嘘をついていると疑っているんだろう。けれど、わざわざボーダーの仲間にまで確認して、こうして詰め寄ってきたことに驚きを隠せない。浮かべた笑顔が引きつりそうになるのを堪えながら一歩後ろへ下がり、詰められた分以上の距離をあけた。


「だから、本当なのかなって」
「彼女地元やし。基本コッチには来ぉへんから、そら見たことないやろなぁ」


事実を織り交ぜながら適当に返しているけれど、心の中でははよ諦めてくれんかな。と若干辟易していた。隠岐が築き上げた壁を乗り越えてくるのは結構だが、こうして食い下がられると途端に面倒だという気持ちが顔を出してしまうのだ。
早くこの場から去る理由を考えている間も「でも」「だって」と続けられる女子の問いかけをのらりくらりと躱していた隠岐だったが、次の一言によって思考が停止した。


「写真とか見せてくれたら……」
「なんで?」


途端、頭から思いきり水を掛けられたようにスウッ、と体温が下がるような感覚を覚える。口角を持ち上げていた表情筋から力を抜けば自然と笑顔は消え、わざとトーンを落とした声で被せ気味に問いかけた。


「なんで、見せなあかんの?」


事実を確かめたいのか、比較することで自尊心を高めたいのか、あるいは他の理由か。なんの為かなんて分からないし知る必要もないが、どれだけ頼まれたところで見せるつもりはない。
温度のない瞳で見つめられた女子は、隠岐の態度があからさまに変わったことによって触れてはいけない部分へ触れてしまったのだと悟ったんだろう。慌てて謝罪の言葉を口にして逃げるように踵を返して去っていく。その背中へため息を零しながらも、靄がかかったような気分が晴れることはなかった。




「今日は平和なもんでしたね」


任務完了後、再び作戦室に集まった生駒隊。水上の言葉通り、今日は珍しくトリオン兵も現れずアラートの響かない静かな時間だった。だからだろうか、隠岐のもやもやとした気分が晴れることはなく、いっそ何体か現れてくれたら多少すっきりしたかもしれんのに。などという不謹慎な考えが浮かんでしまったのは無理もない。もちろん、口には出さなかったが。

早々に解散した後、隠岐はひとり居住区に足を向けながらスマホを手に取った。街灯の少ない道は暗く、スマホの光が虹彩を狭める。反射的に目を細めつつ時間を確認すれば、ギリギリ日付を超えるかどうかというところだった。どうしようか迷う思考とは裏腹に指はすいすいと画面を滑っていって、着信履歴の一番上にある名前を見つけると、とんっと軽くタップする。


「孝二! おつかれさま〜。どうしたん?」
「かわいいかわいい葵ちゃんの声が聞きたくなっただけやねんけど」
「ひゃっ、え、なに……え? 急になに言うてんの?」


一回、二回と耳元で聞こえるコール音をカウントしていると、四回目の途中でプツリと途切れ、弾けるように呼ばれた自分の名前に自然と口元が緩む。
自隊の隊長である生駒の言葉を借りるようにして本音を包みながら告げれば、思いの外動揺した声が機械越しに聞こえて抑えきれなかった笑い声が漏れた。


「はは、動揺しすぎちゃう? うちの隊長のマネやんか」
「マネ? え、隊長さんそんな軽い人やったっけ?」
「ちゃうけど」
「え? どういうこと? 意味わからん」


狼狽える彼女の姿は見えなくとも容易に思い浮かび、手の甲を口元に当てながら肩を震わせる。もしこの姿をボーダー隊員の誰かに見られていたらまた変な噂が流れることだろう。


「孝二おかしいで? やっぱり今日なんかあったんとちゃう?」
「んー、告白されたくらいやなぁ」
「えっ!? 誰に? いや、聞いても分からんけど」
「おれも名前知らんわ。誰やろ」
「なんやそれ〜」


ころころと笑う声が心地よく鼓膜を震わす。それだけでずっと燻っていたもやもやとしたものがすっかりと霧散していることに気づいた。
やっぱり葵には敵わんなぁ。と思っていれば、躊躇うような吐息が一つ落とされ、電話の向こうに意識を向けた。


「なあ孝二……約束、覚えてる?」


それは遠回しの不安。浮気をしない≠ニいう約束について言っているのはすぐに分かった。隠岐を疑っているわけではないのだろう。けれど、先程の話で微かな不安が擡げたのかもしれない。
何も思われないのも嫌だし、不安を押し隠されるのも嫌だ。そんな我儘な自分の思い通りの反応を示してくれる葵に、隠岐は笑みを深める。


「当たり前やん。せぇへんよ、浮気なんか」


葵が安心できるように、出来るだけ優しくゆっくりと言葉を紡げば、安堵のため息が聞こえた。
葵以外の女子の前じゃ笑うこともまともに出来んのに――浮気なんかする気もおきんわ。

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