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08

ふと目が醒めると部屋の中はまだ薄暗く、日が昇りきっていない時間帯なのが分かる。普段のチョコの散歩で早起きは習慣になっているけれど、それでもこうして目覚ましが鳴るよりも早く起きてしまったのは、やはり今日が特別な日だからだろうか。
寝ぼけた頭で今日の事を考えると急激に眠気が吹き飛んで、思考がクリアになっていく。湧き上がる緊張感を逃がそうと枕にぼふんと顔を埋めてみたけどどうにもならなかった。

どこかに出掛けないかと彼に誘われたのはもう先週の事だ。何度かやり取りをして待ち合わせの時間も行き先も決まっている。夢現だったものが約束の日が近づくにつれて現実味を帯びてきて、ついに現実となる日が来てしまった。


「うー…どうしよう」


正直、不安はある。いつも彼と会うのは早朝の誰も居ない時間だから、日中に二人きりで過ごしても大丈夫なんだろうかと考えてしまう。彼の人気や知名度を知ってしまったから余計にだ。
でも、それ以上に楽しみで。あの公園以外で彼と会えると思うだけでそわそわと落ち着かなくて、毎日毎日カレンダーを眺めながら今日この日が来るのを心待ちにしていたんだ。

すっかり目が覚めてしまったので、のそのそとベッドから抜け出して部屋の電気を点けると、勢いよくカーテンを開ける。夜明けの空に雲はほとんど見当たらなくて、天気予報通り晴天なのが窺えた。
天気がいいと分かるだけで更に気分が上がる私はお手軽だろうか。今日の服装も髪型ももう決めてある。準備する時間もたっぷりあるから問題ない。
一つ一つゆっくりと準備して、メイクと髪型には特に時間をかけた。思い返してみれば、毎日散歩に行くためだけの軽いメイクや梳かしただけの適当な髪型ばかりで彼に会っていたんだよね。まあ、早朝の散歩にバッチリ決めていったらそれはそれで不自然なんだけど。
姿見の前に立ち、上から下まで自分の姿をチェックする。くるんと巻いた毛先に指を絡めて、ピンと弾いた。うん、大丈夫だ。

全ての準備を終えると、待ち遠しくて落ち着かなくて、何度も何度も時計を確認してしまう。結局予定よりも早く家を出た結果、待ち合わせ場所である私の最寄り駅へと随分と早く着いてしまったのだけれど、そこには既に彼の姿があって慌てて歩調を速めた。


「嵐山さん、おはようございます」
「おはよう」
「すみません、待たせちゃいましたか?」
「いや、ちょうど今着いたところだったんだ。お互い早く着きすぎたな」
「ははっ、ほんとですね」


どうしよう……すごくかっこいい。服装だって散歩の時ともの凄く違うというわけでもないのに、直視出来なくて地面へと視線を逃がしてしまう。けど、変な間がうまれている事に気づいて視線をあげてみれば、彼の優しい瞳が自分に向けられていて、今度は捕らわれてしまったように逸らせなくなった。


「嵐山、さん?」
「ああ、悪い。いつもと雰囲気が違ったから」
「今日は散歩じゃないですからね」
「そうだな。うん、可愛いよ」


黙ったままの彼に問いかけてみれば、彼の形のいい唇がふわりと蕩けるような笑顔を作り、甘い言葉が吐き出される。たった一言が心臓にずどんと衝撃を落として、照れくささと喜びがじわじわと湧き上がってきた。もちろんお世辞だって分かってるけど、好きな人からの一言は飛び上がってしまいそうになるくらい嬉しい。


「ありがとう、ございます」


嵐山さんこそかっこいいですよ。なんて彼のように上手く返すことは出来ないので拙いお礼を告げるだけになってしまったが、それにも優しい笑みが返ってきて戸惑ってしまう。


「私、今日すごく早く目が覚めちゃって」


そして、照れ隠しでどうでもいい話題を上げてしまったけれど、「俺もだ。習慣になってるんだろうな」と彼が繋げてくれたので、少しだけ肩の力が抜ける。
心地いい緊張感に包まれながら目的地に向けて並んで歩きだすと、すぐに歩調を合わせてくれているのに気付いた。身長差があるけど、話し掛けてくれるときはちゃんと視線を合わせてくれて。そういう何気ない仕草に気づく度に心が音を立てる。


「そういえば、前から言おうと思っていたんだけど……」
「はい?」
「そろそろ敬語、やめないか?」
「え?」


少し困ったような表情の後に続けられた言葉がうまく咀嚼出来なくて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
嵐山さんに対しての敬語は出会ってからで、散歩の時に出会う彼が嵐山さんだと知る前からのものだ。最早クセになってしまっているし、確か彼にもそう伝えた事があった気がする。ここまで染み付いてしまったものを抜くのはちょっと難しい。


「うーん……」
「まずは呼び名からとか」


呼び名って、嵐山さんって呼ぶのを改めるって事でしょ。えーっと、准さん、じゃ結局敬語だし。でも准くんとか、ましてや准だなんて絶対に呼べない。早速の難題に頭を抱えた私は、逃げるように彼に話を投げ返した。


「でも、嵐山さんだって高宮さんって呼ぶじゃないですか」
「葵って呼んでもいいのか?」
「えぇ!?」
「呼んでもいいならそう呼ぶぞ?」


なのに、まさかの爆弾が落とされて言葉を失う。心臓だけが彼に聞こえてしまうんじゃないかと心配になるくらい、どくんどくんと反応を返していた。
人を揶揄う事なんてしなさそうな人なのに、揶揄われているのかと思わず疑ってしまいたくなるような台詞だった。むしろ、揶揄われていた方がマシかもしれない。だって本気でこんな事を言うなんて、ちょっとたちが悪くない? どきどきしすぎて寿命が縮んじゃうよ。


「いや、あの、ダメじゃないです、けど……もうちょっと後で、お願いします」
「ははっ、分かった。じゃあ高宮さんの敬語が抜けたら、そう呼ぶ事にする」
「えっ、あ、はい……」


ふ、と彼が目を細めて笑うと、瞳の色が際立ってきらきらと宝石みたいに輝いてみえる。反論したい事はまだいっぱいあったはずなのに、何もかも吹き飛んでしまった。
敬語を抜くのは難しかったし、根本的に嵐山さん相手に馴れ馴れしく話してもいいのかという懸念がある。でも、一緒に過ごしている間に、嵐山さんの大学の事やボーダーの仲間の事。色々な話を時折失敗談なども含めて沢山話してくれて、偶像だったものが少しずつ鮮明になっていった。


「ふふっ」
「どうした?」
「ううん。嵐山さんも失敗とかするんだなって思って」


帰る時間が近づいて来る頃にはすっかり緊張も解けて、あれだけ無理だと思っていた敬語も抜けつつあった。並んで歩く事だって、もう気にならない。
いつもの散歩の延長線のような、それでいてどこか違うようなふわふわとした空気感を楽しんでいた。


「どういう意味だ?」
「ボーダーだし、テレビとかにも出てるし。なんでも完璧にこなしちゃう気がして、少し遠くに感じていたんだけど……」
「そんな事ないさ」
「え?」
「確かに、ボーダーだし、広報だからテレビに出る機会もある」


だから、気が緩んだのかもしれない。言わなくていいことまで口走ってしまったのに気づいたのは、嵐山さんの真剣な瞳が射抜くように私へ向けられたから。


「でも、それ以外は今高宮さんが見ているような普通の男だ」


普通の男って……。優しくて、かっこよくて、歩いているだけで人目を引く嵐山さんはどう考えても普通以上の男の子なんだけど。それを今言うべきじゃないというのは彼の醸し出す雰囲気で察したので、胸の中に留めておいた。
どうやって返すべきなのか迷っている間に無言となってしまい、それでも足だけを動かしていれば大通りを一本外れた裏道へと入り込む。さっきまで歩いていた道と違って人通りのない歩道の隅で――ぴたり。彼の歩みが急に止まった。


「少し、話を聞いてもらってもいいか?」
「……うん」
「さっき言ったみたいに、ボーダーで広報をしていると、どこに行ってもボーダーの嵐山准として見られていた」
「うん」
「でも、高宮さんだけは違ったんだ。散歩の時、あの公園で高宮さんと話していると自然な自分で居られたよ」


それは私が嵐山さんのことを知らなかったからだ。彼が嵐山さんだと知った時には戸惑ったし、避けた。さっきだって、肩を並べて歩く事に人目を気にしてしまった。
つまりは私だってボーダーの嵐山准として見ているわけだから、その評価は過大すぎて身に余る。


「いつからか、散歩に行くのが楽しみになっていて……たとえ深夜の任務明けでも散歩に行っていたのは、高宮さんに会うためなんだ」
「え?」
「ははっ。コロのためじゃないと分かったら幻滅されるかもしれないな」


するりと話の方向が変わった事についていけず困惑する。嬉しい事を言われているというのは理解出来るけれど、なぜか喜べなかった。多分、話の流れ的にまさか、と頭のどこかで考えているからだ。
そして、私のその考えは外れていなかったらしい。真剣な面持ちの彼は一度言葉を止めて、少しだけ間を空けた後、真っ直ぐすぎる言葉を投げかけてきた。


「好きだ」
「っ、」


あまりの衝撃にひゅっと空気が詰まったような音が喉から漏れる。まさか、信じられない。そう思いつつも嬉しくて、胸の奥がきゅっと音を立てて甘く痛んだ。
私も嵐山さんが好き。名前も知らなかったあの頃からずっと心の引き出しに閉まってあった言葉があるのに、なぜか音となって口から出ることは無かった。どうして? 早く言わなきゃ、早く。そう焦れば焦るほどに言葉にならなくて戸惑っていれば、やがて嵐山さんの表情がくしゃりと砕けた。


「すまない。困らせたみたいだな」
「え、あの……」
「帰ろうか。送るよ」


だめだ、このまま終わらせちゃいけない。そう思うのに、まるで喋ることを忘れてしまったのように声帯が機能しない。
口元に綺麗な弧を描いて何事も無かったように歩き始めた嵐山さんは、きっと私に気を遣わせまいとしてくれている。
私も好きなのに。どうして、たったの一言が言えないの? 臆病者。自分で自分を叱咤してみても、ついぞ最後まで言葉にする事は出来なかった。


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