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07

チョコの少し硬い毛を撫でながら自分の想いに耽っていると、「よし、行くぞ」という隣からの声につられて顔を向ける。すると、ところどころほつれたテニスボールを手にした彼がその黄色を遠くへと放り投げた。
綺麗な放物線を描いて飛んでいくボールを追い、一目散に駆け出していくコロちゃんとチョコ。なんでチョコまで……と、呆気にとられながら凄いスピードで小さくなっていく茶色い姿を見ていたら、なんとコロちゃんから奪うようにボールをキャッチしてしまった。


「あっ、こら!」


口に銜えながら戻ってくるチョコはどこか誇らしげで、キラキラと目を輝かせている。明らかに褒めてくれという表情に、小さくため息を漏らした。


「……すみません。コロちゃんも、ごめんね」
「いや、いいよ」
「チョコはこっちだよ」


これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないと思い、この間買ったばかりの小さなフリスビーを取り出してチョコの目の前で軽く振って見せ付けるようにすると、先程の彼みたく遠くを目掛けて放つ。しかし、ぐーんと横に曲がった円盤はすぐ近くのフェンスに当たり、かしゃんと切ない音を奏でてぽとりと落ちてしまった。
それを銜えて戻ってきたチョコはさっきと違って不満そうなのが目に見えて、がくりと肩を落とす。


「ごめん……へたくそで」
「っ、ふ」
「あ、笑いすぎですよ嵐山さん」
「ははっ! 悪い」


長身をくの字に折り曲げるようにしながら、ふるふると体を小刻みに震わせていた彼に声を掛ければ、弾けるような笑い声が上がる。早朝の静寂に包まれた公園には彼の声がよく響いて、それを認識したのか慌てたように口を押さえていた。
嵐山さんでもこんな風に笑うんだ。と、当たり前の事のはずなのにすごく不思議に思えて、半ば呆然としたまま目を離せずに釘付けになってしまう。でも、それを悟られるわけにはいかず、笑いをおさめた彼がこちらへ向き直るや否やするりと視線を流した。


「フリスビーは難しいよな」
「……そうですね。大人しくボールにしておけば良かったです」
「俺が投げようか?」
「お手本、見せてくれるんですか?」
「上手く投げれるかは分からないぞ?」


さっきの行動がかなり間抜けだった自覚はあるので、出来ればこれ以上の失態は見せたくない。だから彼からの申し出は正直ありがたくて、差し出された大きな手に小さな円盤を乗せる。その際にちょん、とほんの少しだけ彼の手に指先が触れてしまい、微かな接触から伝わる体温にドキドキした。
まるで中学生みたいだな、と今の自分を俯瞰して見てみると少し笑える。


「代わりにこっちお願いしてもいいか?」
「はい。もちろん」


ぽとんと手に落とされたのは、さっきから遊んでいたテニスボールだ。ごわごわした手触りのそれをギュッと一度強く握ってからコロちゃんの目の前に見せつけるように翳す。


「よし! コロちゃん、投げるよー」
「チョコ、行くぞ」


さっきの失敗があるので軽めに投げたボールは緩やかに飛んでいき、合わせるようにコロちゃんが軽く駆け出していく。視界の端では、私とは違い真っ直ぐ綺麗に飛んでいくフリスビーが映った。
コロちゃんもチョコも自分のおもちゃを視界に捉えながらタイミングよくジャンプすると、空中でキャッチ。流れるようなその動作は殆ど同時で、思わず手を叩いた。


「すごい!」


戻ってきたチョコとコロちゃんの頭を撫でながらすごいすごいと褒め称える。二匹とも尻尾を左右に振って、やはり誇らしげな表情を浮かべているのがすっごく可愛い。
でも、チョコがフリスビーを私じゃなくて彼の前にぽとんと落としたのはちょっと頂けない。もちろんコロちゃんもボールを彼の前へと落とす。


「チョコ、こっちだよー」


声を掛けても、合図するように手を叩いても知らんぷり。投げられるのを今か今かと待ちわびる二匹にどうしようかと困っていたら、彼が黄色いボールを私へ手渡してくれた。


「もう一回か?」


ふわりと笑いながら、笑顔と同じような柔らかな声音でチョコに話し掛ける彼。大きな手に撫でられ、気持ちよさそうに目を細めるチョコを見て、きゅっと心臓が音をたてた。
本当に、優しい人。いつもコロちゃんと遊んでいるのを見て思っていたけど、改めてそう思う。困らせてるはずなのに嫌な顔一つしないし、逆に私が気にしないように気を使ってくれる。こういうところ、好きだなあ。自分の気持ちを認めたからか素直にそう思う事が出来て、何だか空気までもがふわふわと軽くなった気がするのだから不思議だ。

チョコとコロちゃんはいつの間にかおもちゃよりも彼に夢中になっていて、しゃがむ彼へとじゃれるように纏わりついていた。完全に除け者にされた私はその光景をただ眺めていて、顔中を舐められてくすぐったそうに笑う彼を助けるように時折声を掛ける。
穏やかな時間。今日が平日で、この後授業を受けに大学へ行かなきゃいけないのが嘘みたいだ。少しでも長くこの時間を堪能したくて、もう少し、あと少しと刻々と迫る時間から目を逸らしてしまっていた。


「っ、」


そんな時、興奮して勢いよく飛び掛ったコロちゃんを受け止めた彼が、端整なその顔を一瞬歪める。どうかしたのかと少し距離を詰めてみれば、覗き込むように見ているその腕にぷくりぷくりと血が滲み出すのが見て取れた。


「わっ、大丈夫ですか?」
「大したことない。大丈夫だ」
「でも、散歩中の犬の爪だから……念のため洗い流した方がいいと思いますよ」


ドッグランの中にある、犬達の水飲み場を兼ねた簡易的な水道を指差せば、軽い肯定とともに立ち上がった彼の後ろに続く。確かポケットティッシュがあったはず、と歩きながら密かにショルダーバッグの中を探れば、求めていたそれが指先に触れて一人安堵した。ケースの中に絆創膏も入っているし、持ち歩いていてよかった。


「……痛そう」
「そんなに痛くないさ。見た目だけだ」


結構強く爪が当たったんだろう。細く出した水で流している彼の腕には数本の赤い線がくっきりと入っていて、蚯蚓腫れになってしまっている。これが痛くないなんて嘘でしょ。
キュ、と彼が水を止めたのと同時にバッグの中からポケットティッシュを取り出して、軽く水分を拭き取ってから絆創膏をぺたりと貼った。初めて触れる腕の逞しさとかは気にしないように努めながら、あくまでも機械的に。


「血が止まったら絆創膏剥がしちゃってくださいね」


処置が一通り終わったのに彼はしゃがんだまま動こうとしない。それどころか一言も声を発さずに黙っていて、もしかして強引すぎただろうかと自分の行動を省みてみれば不安が頭を擡げる。呆れられているだけならまだ良いけれど、お節介が過ぎると嫌われたらどうしよう。
彼の表情を窺うためにおずおずと視線を上げていく。腕から胸元、喉、顎に形の良い唇。鼻から一気に視線を動かせば、宝石みたいに透き通った彼の瞳とかちりと合わさった。お互いに座っているからいつもの身長差も無く、思っていた以上に近い距離。きっといつもの私なら直ぐに後ずさっていただろう。
でも今は、彼の瞳に捕らわれてしまったように動けず、目をそらす事さえ出来なかった。


「さっきの話だけど」
「……え?」
「高宮さんのレポートが終わったら、どこかに行かないか?」


一瞬何の話をしているのか分からなかったが、さっき咄嗟についてしまった嘘の事を言っているんだと理解して、胸が痛む。やっぱりあんな嘘つくんじゃなかった。なんて、今更ながらに後悔していたせいで、彼の言葉の一番大事なところに気が付くのが遅れてしまった。
いや、言葉では理解出来ていたけれど、俄かには信じられなくて咀嚼するまでに時間が掛かっていたというのが正しいかもしれない。


「嫌じゃなければ、で良いんだ」


何も返さずにいる私を見かねたのか、そう続けられた言葉は前にも聞いた事がある。確かあれは、連絡先を聞かれた時だ。
嫌じゃなければ≠ニいう言葉をずるいと思う私は間違っているだろうか。だって、この言葉を付けられると肯定しか返せなくなってしまう。困るけど、戸惑うけど、恥ずかしいけど、決して嫌なわけではないのだから。


「大丈夫、ですけど」
「そうか、じゃあ……来週の土曜日は空いてるか?」
「……はい」


こうして自分でもよく分からないまま、なぜか嵐山さんと出掛ける事になってしまった。


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