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03

どんなに気落ちしていても、どんなに嫌だと思っていても、変わらず朝はやって来る。
あまり眠れなかったせいで重い目蓋を何とか持ち上げながらリードを手にして庭に出ると、音に反応したのか飛び起きたチョコが勢いよく左右に尻尾を振り始めた。きっと散歩だと分かったからこその反応なんだろうけど、寝起きでこのテンションを持ってこれるのは感心してしまう。


「何か雨が降りそうだね」


この時間にしては朝は薄暗く、空を見上げても太陽は隠れてしまっている。今日の天気予報はまだチェックしていないけど、念のため傘を持っていったほうがいいかもしれない。
私の心を表しているかのような曇天に益々気分が下降していく。大好きな朝の空気も今日ばかりは湿気を含んで濁っているような気がして、吸い込んでからすぐに息の塊にして吐き出した。
珍しく睡眠不足なのは、昨日家に帰ってからずっと彼の事を考えていたせいだ。教えてもらったボーダーの公式サイトを見てみたり、ボーダーの活動について調べたりしてみたけど、見れば見るほど、知れば知るほどに彼との間の壁を思い知らされた。
広報という役割のおかげかボーダーの中でも彼の情報はかなり多く出回っていて、知りたかった情報は簡単に得る事が出来た。
A級五位、嵐山隊隊長の嵐山准。年上かと思っていたけれど、どうやら同い年だったらしい。諦めなきゃって思ったはずなのに、誕生日も血液型も星座も、基本的なプロフィールは全て記憶してしまった自分がいて、我ながら呆れてしまう。


「よし、行こうか」


家を出て、いつもは左に曲がるところを今日は直進へと足を踏み出した。この天気だし、今日居るかどうかなんて分からないけど、少しでも可能性があるなら回避したい。昨日まではあれほど会いたいと切望して足取り軽く散歩道を歩んでいたのに、今は全くの逆だ。でも、彼の事を諦めるならこの方法しか思い浮かばなかった。
あの公園での接点を除けば私達の間に繋がりなんてない。散歩のコースを変えて、ボーダーについても今まで通り見ずに過ごせばそれだけで終わってしまう関係なんだから。きっと時間が経てば自然と諦められるだろう。


「チョコ?」


くんっ、とリードが突っ張った事で視線を戻せば、着いてきていると思っていたチョコが座ったまま動こうとしない。私が数歩戻ると、これ幸いとばかりに左側の道へ進み始めるので、慌てて引き止めた。


「チョコ、今日はこっちだよ」


声を掛けてもリードで促しても梃子でも動こうとしないチョコ。左の道に行けばあの公園に着く事をもう覚えてしまっているんだろう。座り込んだまま拒否されるのも困るが、かと言って無理矢理引っ張って連れて行くわけにもいかない。ぐいぐい引っ張ってみても、首輪が抜けるんじゃないかと思う程の抵抗を示されてしまえば、折れるのは私の方だ。
分かった、分かりました。はあっ、とため息混じりに言葉を落としてからいつもの道へと足を踏み出せば、心なしか嬉しそうな表情を浮かべたチョコは再び尻尾を振りながら我先にと前へ前へ進んでいく。


「今日は居ないといいけど……」


ため息混じりに呟いた願いも、叶うことなく空気に溶けてしまったらしい。公園が見えてきたと同時に駆け出したチョコを宥めつつ視線を動かせば、綺麗な姿勢で立つ彼の姿を捉えた。


「おはよう」
「おはよう、ございます」


フェンスを開ければいつものように私へ向けられる笑顔。でも、私は挨拶さえもいつも通りに返せなかった。口角をあげてみても彼みたいな綺麗な笑顔には程遠いぎこちなさ。どうしても友達の話や調べた事が頭を過ぎってしまい、彼とどう接していいのか分からなくなってしまった。だって、これ以上深入りしないようにと思ったら、普通の会話ですら躊躇してしまう。
チョコのリードを外すのにわざと時間を掛けてみるけれど、そんなのは微々たるもので。一目散に駆け出していく小さな姿を見ながら、今日ばかりはこちらにじゃれてきてくれないだろうかと思わずにはいられない。昨日まではドキドキしていた二人きりのこの空気が、今の私には少し重かった。


「具合でも悪いのか?」
「……え?」
「いや、何か元気がない気がして……」


それが彼にも伝わってしまったんだろうか。俯きがちだった私の顔をひょいっと覗き込むように見て来た彼はどこか心配げに眉を下げていて。その表情を見た途端、心臓がちくりと痛む。
気に掛けてほしくないのに、気に掛けてもらえて嬉しいと思ってしまったのだ。相反した気持ちがぐるぐると胸の中を渦巻いて、出口が見つからずに彷徨っていた。


「ちょっと寝不足なだけです」
「そうか。なら良かった」


ふ、と相好を崩した彼につられて自然と表情の固さが取れ口元が緩む。
やっぱり、会ってしまうとダメだ。好きだという想いをいやという程自覚させられるし、彼の仕草や言葉一つ一つに心が動かされる。
視線が私からスッと外れ、走り回っている犬たちの方へ向けられたのを見て、静かに拳を握った。


「あの……嵐山、さん?」


名前を呼んだのは一種の賭けのようなものだった。
もし別人だったら? なんて、一縷の望みにも似た想いで口に出した名前は掠れて情けないものになってしまったが、何とか彼まで届いたらしい。
そして、緩やかに弧を描いた柔らかな微笑みが私を突き落とす。


「ん?」


――やっぱり、そうなんだ。
覚悟して確認した事にも関わらず、悲鳴を上げる心臓を鎮めるように服の上からグッと押し付けた。


「あれ? 名前……」
「あ、ごめんなさい。昨日たまたまボーダーの公式サイトを見て」
「ああ、なるほどな」
「直接聞いたわけじゃないのに……すみません」
「いや、慣れてるから大丈夫だ」


笑顔でそう言ってくれたのは、私が気に病まないためだろう。だけど、名乗っていないのに自分の名前を呼ばれる事。知らない人が自分を知っている事。それに慣れているなんて、やっぱり私とは住む世界が違うんだと思わざるを得ない。

大学の授業の一環として、もうすぐ現地実習が始まる。そうなればこの時間の散歩は出来ないけど、ギリギリまでは何とかするつもりだった。でも、もう無理だ。この気持ちに蓋をするためには少しでも彼と距離を置きたい。
そんな自分勝手な思いから、この日を境に私は彼との唯一の接点を断ち切ってしまった。


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