WT | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




02

おはよう、とそこかしこから聞こえてくる声に応えながら席に着いて少しだけ弾んだ息を整える。家に帰ってから急いで用意したけれど、いつもの時間には間に合わずに早足で学校へ向かう事になってしまった。でも、このくらいで呼吸が乱れるなんて明らかに運動不足だ。毎日散歩しているとはいえ、ゆっくり歩いているだけだしなあ。ジョギングに切り替えた方が運動にもなるし、チョコも沢山動けていいのかもしれない。
一限の準備をしながらそんな事を考えていると、空席だった隣に誰かが座る気配がして反射的に目を向ける。すると、今日も綺麗に施されたメイクで隙なんて微塵もないような笑みを浮かべた友人が視界に入った。


「葵、おはよう」
「おはよう」
「珍しくちょっと遅かったね。今日も散歩行ってたの?」
「うん。長く居すぎちゃって」
「朝からすごいね」


私からすれば朝から完璧に仕上げている友人のほうが凄いと思うのだけど、彼女曰くこれは戦闘準備のようなものらしい。いついかなる時に出会いがあってもいいように、だそうだ。
朝一で好きな人と会うのにも関わらず最低限のメイクしかしていかない私はもう少し彼女を見習ったほうがいいのだろうけど、朝の散歩でバッチリメイクをしていくのも何だか不自然な気がするし、今更な気もするんだよね。
そこでふと頭を過ぎった今朝の事。遅刻しそうだったから無造作に鞄へと突っ込んでしまったものの事を思い出して、それを探し出す。少しフィルムがよれてしまっているけど、すぐに目的のものは見つかった。


「どうしたの? それ」
「今朝もらったんだ」
「え、例の人に? ちょっと詳しく聞かせなさいよ」
「あのね……」


フィルムを開けて中身を取り出すと、裏返したスマホ軽くタオルで拭いてからスマホリングを貼り付ける。うん、やっぱり可愛い。
自然と緩んでしまう口元を隠すこともせずこれを貰うまでの経緯を話そうと友人へ視線を戻せば、綺麗な角度で首を傾げている姿が映る。美人は首を傾げていても絵になるなあ、なんて思っていると、ネイルが施された綺麗な指先がスマホリングに向けられた。「それって……」と、何かを言いかけた彼女に被せるように背後から声が掛けられる。


「それって新作? 見た事ない!」
「……え?」
「嵐山隊のエンブレムじゃん! スマホリングなんて出てたんだ」
「えっ、と」
「葵ちゃんってボーダーに興味無いと思ってた〜。それ、どこで買ったの?」


嵐山隊、エンブレム、ボーダー。彼女から嬉々として語られる中に出てきた単語で、今朝感じていたモヤモヤがスっと晴れていく。
そうか。どこかで見た事があると思っていたあの星が並んだマークは、界境防衛機関である嵐山隊のエンブレムだったのか。嵐山隊のグッズは色々なところで目にする機会があるから、記憶に残っていたのも頷ける。
これをサンプルでもらったということは彼もボーダーの関係者なんだろうか。


「これ、もらったものなんだ」
「そうなんだ〜。私も今度探してみよっと」
「あんた本当にボーダー好きだよね」
「うん! 三門に引っ越したいくらいだよ。だって三門だったらテレビとかにボーダーめっちゃ映るらしいじゃん?」
「いや、三門は無理でしょ。怖いよ」


このスマホリングをキッカケに次々と展開されていく会話。ボーダーが何なのかは流石に分かるし、隣の三門市で何が起きているかも知っている。でも、殆どテレビを見ることもなく、ネットニュースも時事関連しか読まない私には、皆の話題に上がるナントカ隊のナントカさんと言われてもどうもピンと来ない。
唯一分かるのが先程から出ている嵐山隊だけど、それも名前が分かるだけ。単純に、耳に入ってくるのが一番多い名前だから知っているに過ぎないのだ。


「嵐山隊って広報なんだっけ? よく聞くけど」
「あははっ、やっぱり興味無かったね! 嵐山隊はボーダーの広報だよ。なのにA級で五位なの! 凄いでしょ?」
「うん?」
「ああ、伝わってない〜。あのね、嵐山隊とか隊長の嵐山さんを筆頭に美形揃いだし、知ってて損は無いよ!」
「ってかボーダーの人ってかっこいい人多いよね」
「分かるー! でも防衛任務とか忙しそうだし、三門に住んでないと付き合うのとか難しそうだよね」


知っている情報を尋ねてみても、返ってきた言葉の半分以上が分からなくて、とりあえず笑みを浮かべながら相槌を打つ。皆詳しくて凄いなあ、と感心してしまうあたり女として危機感を持ったほうがいいのかもしれないと思うが、指摘された通り俳優やアイドル、ボーダーといったものにあまり興味がなかった。
もちろんハマればそれなりに楽しい事は分かっているけど、不器用な私は今の日常を過ごすのにいっぱいいっぱいで、他に目を向ける余裕が無い。もっと時間を上手く使えれば余裕も出来て視野も広がるのかもしれないけれど、現状はこれが精一杯だった。


「葵、これ」
「うん?」
「ボーダーの公式サイト。色々載ってて結構楽しいよ」


聞き役に徹している私を見かねたのか、目の前に差し出された友人のスマホ。界境防衛機関、という文字がまず目に入ってきて、出演情報やランク戦結果といった様々なメニューがあるのが見て取れる。その中の一つ、ボーダー隊員というメニューを友人がタップすると、ずらりと隊員の名前らしき一覧が表示された。
瞬間、私の視線は縫い付けられたようにただ一点から動かす事が出来なくなる。
殆どの隊員は名前だけの羅列なのに、広報と謳ってある嵐山隊だけは隊員の顔も晒されていた。その内の、一人。


「この人……」
「そう、この人! この人がA級五位、嵐山隊隊長の嵐山准だよ!! かっこいいよね〜!」


ぱちぱちと瞬きを繰り返してみるけど、何度見ても間違いない。服装こそ違うが、今朝も会った彼に間違いなかった。
……ボーダー、だったのか。それも広報担当で、テレビとかにも出ている人。今まで友達から聞いた話だと、確か雑誌にも載ったり他にも色々と活動していた筈だ。
その事実を目の当たりにした途端、スッと胸の奥を冷たいものが流れていくような感覚を覚えた。
だってこんなの……無理じゃないか。ボーダーの広報で、皆が顔と名前を知っているような有名人。私とは住む世界が違う。好きになるなんて烏滸がましかったのかもしれない。
諦めなきゃ。即座にそう思うけど、不器用な私がそんなに簡単に気持ちを切り替えられるはずもなくて。せめてこれ以上好きにならないように自分の気持ちに歯止めをかける事しか出来ない。会ってしまえば絶対に諦められないから、散歩コースも変えなくちゃ。チョコ、寂しがるかなあ。コロちゃんの事大好きだもんね。


「ってか来週から実習始まるよね。やばいんだけど」
「緊張する〜。大丈夫かな?」
「既に胃が痛い」


既に切り替わった会話が耳に入ってくるけれど、それに加わる余裕もないくらい頭の中が彼でいっぱいだった。


back] [next



[ back to top ]