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06

「チョコ、行こうか」


嬉しそうにぶんぶん尻尾を振るチョコに声を掛け、玄関の扉を開く。まだ開ききっていない扉の隙間から勢いよく飛び出していこうとするチョコを慌ててリードで制止した。ここ最近私が実習で居なかったせいで満足に走り回れずストレスが溜まっているんだろうか。そうでなくともここ暫くは雨で遠出出来なかったから、その所為かもしれない。
こちらを見るつぶらな瞳はもっと速く歩けないのかとでも言っているかのようで、思わず笑ってしまった。
あの場所へ向かうのは、正直今でも気が重い。でも、もう実習も終わってしまったからチョコの散歩を頼む事は出来ないし、他の場所へ行こうとしてもチョコに全力で拒まれてしまう。それに、行かないことでまた彼に心配をかけさせるわけにはいかないから。

散歩用の小さなショルダーバックの中で軽快な音が鳴り、手探りでスマホを取り出して見るとディスプレイに映った通知に心臓がきゅっと音を立てた。
それは今思い浮かべていた彼からで、朝の挨拶と、今から散歩に行く事。簡単な文面だったけれど、最後に付けられた会えたら嬉しい。という一言にスマホを握る手に力が籠る。


「はあ……」


呆れのものではなく、胸がいっぱいでどうにか軽くしようと深く吐き出した息。だってこんなの、どうすればいいの?
好きな気持ちに蓋をするために、彼の事を避けたつもりだった。看護実習は思っていた以上にドタバタで、緊張と疲労とで毎日があっという間に過ぎていったから考える暇もなかったけれど、レポートを提出し終わった途端、頭の中に蔓延るように絡み付いて離れなくなってしまった。

この間久しぶりに行った公園ではやっぱり彼がいて、避けるわけにもいかずなるべく普通に接しようとしていたけれど、心配していたと言われた時にはぎゅっと心臓が握られたかと思うくらいの痛みが走った。だってこんな、公園で会うだけの名前も知らない私の事を気にかけてくれるだなんで思ってもみなかったから。
最初はどこかぎこちなかった会話も、話していくうちに所々で笑いが混じるくらい楽しくなってしまって、彼の綺麗な笑顔や穏やかな声音が向けられる度に自分の気持ちを抑え付けていたはずの蓋がガタガタと緩んで隙間から気持ちがどぷりと溢れ出してくる。


「ダメだなあ」


連絡先を交換したことで繋がりが出来た。私はボーダーの事に疎いから、公園で会ったりメッセージのやりとりをしていると、彼がボーダーの嵐山准だという事をつい忘れそうになる。彼の隣に居たいと願ってしまう自分がいる。近づけば近づくほどその想いは強くなると分かっているのに、現状を跳ね除ける事も出来ず甘んじてしまっていた。


「ねえチョコ、どうしよう」


なんて問いかけてみてももちろん返答はない。代わりに、何か用? とでも言わんばかりの顔を向けられたので、少し屈んでふわふわの頭を指先で撫でた。
チョコはいいなあ。私が犬だったら、きっと会った瞬間に突進する勢いで走って行くだろうし、足元にくっ付いて傍を離れない気がする。大きな手で頭を撫でられて、名前を呼ばれて――って、何考えてるんだ私は。
でも、そうだ。連絡先を交換したとき、葵ちゃんって呼ばれたんだよね。それは私が名前だけしか登録していなかったからなんだけど、彼の口から呼ばれた名前はすごく特別なもののような感じがして嬉しかったなあ。その後に名乗ってからは高宮さん、と呼ばれるようになってしまったので、後から少し後悔したのだけれど。
親しくなったら、いつか名前で呼ばれたりするのかな。――って、こう考えてしまう事が既に気持ちを抑えられていない証拠なんだよね。


「よし」


公園の一歩手前。何となく気合いを入れてから、ゆっくりと足を踏み出していく。チョコが焦れったそうにこちらを見ているのに気づいていたけれど、一歩一歩足の裏で草を踏みしめるようにして進んだ。けれど、遠目に彼の姿を捉えた途端ぴたりと足が止まって、その先に進むのを躊躇してしまう。
すらりとした体躯。でも、背中は男らしく広くて真っ直ぐ伸びていて。私たちに気付くと振り返り、こちらまでつられるような快活な笑顔が向けられて堪らない気待ちになった。


「おはよう」
「おはようございます。久しぶりにこっちまで来れました」
「俺もだ。最近雨が続いてたからな」
「雨が降ってると外を見ながら切なそうな顔しません?」
「ははっ、そうだな。ずっとつまらなそうに眺めてるぞ」
「ですよね」


フェンスの傍、自然と隣に並んで走り回る犬達を見守りながらぽつりぽつりと会話を交わす。この位置が定着したのはいつからだっただろう。まだ何も知らなかったあの頃に戻れたら、こんな想いに苛まれずに済んだのに。そう思ってしまう自分が嫌になる。
何も知らなかった頃は、あれ程彼の事を知りたいと望んでいたはずなのにね。


「どうした?」
「え?」
「具合でも悪いのか?」
「あ、いえ……ちょっとレポートが行き詰ってて。寝不足ですかね?」


――嘘だ。レポートなんてとっくに終わっているくせに、何言ってるんだか。彼に心配かけたくないというよりも、今の自分の心情を悟られたくないという思いからつるりと滑り落ちた嘘に、自分自身うんざりした。


「俺も先週そんな感じだったな」
「嵐山さんもですか?」
「任務で授業に出れない代わりに、レポートの提出を求められる事が多いんだ」
「えっ、免除されたりしないんですか?」
「残念ながら」


苦笑とも取れる笑みを浮かべた彼を見ていたが、足元にすり寄ってきた二匹によって視線が逸れる。どうやら走り回る事に飽きたらしく、置いてあったボールを彼に押し付けてアピールするコロちゃんに二人して笑った。
彼との会話が中断した事に少しホッとした自分がいるけれど、同時に残念な気持ちも湧き上がってくるのだから困りものだ。相反する気持ちに振り回されて、自分勝手な考えに辟易して。それでも好きな気持ちは中々色褪せてくれない。もう、誤魔化すのなんて無理だった。
隣に並ぶ事は望まないから、せめて自分の気持ちに蓋をするのをやめてもいいだろうか。抑えつけているこの想いを、嵐山さんが好きだというこの気持ちを。他の誰に認められなくても、自分だけは認めてあげたい。初めてそう思った。


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