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05

もうすっかり散歩コースとなった道を迷いなく進み、いつもの公園に足を踏み入れる。ぐるりと視線を巡らせてみたが、視界に入ってくるのは緑と子供向けの遊具だけ。どうやら今日も彼女は居ないみたいだ。
コロに引っ張られながら金網に囲まれた入り口を開けて中に入ると、そんなに広い場所じゃないはずなのに随分と広く感じた。今までも俺の方が早く来る事が多かったのだから、この光景は初めてじゃないのに。ようは気持ちの問題なのだろうか。
がらんとした空間を見つめながらそんな事を考えていると、足元から微かな鳴き声がして視線を落とす。すると、何か声を掛けたわけじゃないのにピシッと姿勢を正して座り、期待に満ちた瞳で俺を見上げてくるコロがいて「ははっ」と声を出して笑ってしまった。
ぐりぐりとコロの頭を撫でながらリードを外し、一声掛ければ凄いスピードで駆け抜けていく。その姿を眺めながらフェンスに軽く体を預けた。
そうだ。落胆していても仕方がない。彼女が心配でも、会いたくても、今の俺には待つことしか出来ないのだから。こんな日はきっとあと何回だって来るはずだ。


「コロ、投げるぞ」


体を起こして持ってきていたテニスボールを宙へ投げれば、その黄色目がけて一目散に駆けていき、ちょうどのタイミングでジャンプする。しかし、キャッチする事は出来なくて、弾かれて転がっていくボールを追いかける姿が少し残念そうに見えた。
ぽとん、と目の前に落とされたボールを拾い上げ、もう一度遠くへと放る。それを二度、三度繰り返していると、自分の体が少し重い事に気が付いた。つい数時間程前までトリオン体で過ごしていたせいだろうかとも思ったが、生身とトリオン体との感覚の違いは流石に慣れているのでそれが原因とは考えにくい。となると、思い当たる要因は一つだ。


「寝不足だな……」


ぽつりと呟いた言葉は自嘲を含んでいて、小さく息の塊を吐き出した。
大学ではちょうど課題が出ているし、ボーダーは深夜の任務が続いていた。広報の方も最近立て続けだったが、何よりも任務終わりに寝ないでコロの散歩に来ているのが一番の原因だろう。
普段ならきっと寝ていたんだろうけど、もしかしたらと思うと公園に足を運ばざるを得なかった。なんて、結局は自己管理の甘さが全てなのだから言い訳しても仕方がない。


「悪い。今日はもう帰ろうか」


傍に寄ってきたコロを一撫でして、リードを付けようと手を伸ばしたその時。後ろから上がった弾けるような鳴き声に反射で振り向いた。
かしゃん。金網が揺れて扉が開かれるのが酷くゆっくりに思える。手にしたリードに引っ張られるように中へと入ってきたのは、紛れもなくここ最近自分の頭の中を占めていた彼女だ。
まさか、という驚きから笑いかける事も声を掛けることも出来ず、ただ彼女の動向を見つめるだけ。呆然とする俺に、彼女の躊躇いがちな微笑みが向けられた。


「……おはようございます」
「おはよう」
「お久しぶりです」
「久しぶり、だな……」


会いたいと思っていたはず。聞きたい事もいくつかあった。なのに、いざ会ったら彼女の言葉をただ繰り返すばかりで、気の利いた台詞の一つも出てこない。
帰ろうとしていた手を止めて、はしゃぎ回る犬達を穏やかな表情で見る彼女の隣に立つと、気持ちを落ち着かせるように息を吐き出した。彼女に気付かれないように、長く静かに。


「元気そうで良かった」
「え?」
「しばらく顔を見なかったからな。何かあったのかと心配したぞ」
「心配……してくれたんですか?」
「当たり前だろ?」


肺を空っぽにすると、少しだけクリアになった頭が一番気になっていた事を導きだしてくれたのでそのままつるりと舌を滑らせたが、パッと驚いたように俺を見た彼女の顔がくしゃりと歪む。まるで泣き出す寸前のような何かを堪える表情に、そんなに変な事を言ってしまったのかと内心焦った。


「どうかしたか?」
「なんでもない、です。あの……来れなかったのはちょっと用事があって」
「そうか」
「はい」


相槌で呆気なく終わってしまった会話。すぐに頭の中で次の話題を探し始めてみるも、思い浮かんだのは一つだけだった。だが、この状況でこれを口にしても良いのだろうか。ちらりと視線を下ろして彼女を見てみても、俯きがちな姿からは表情が隠されてしまっていて、彼女が何を思っているのか全く読み取れない。
微かな風にさらりと流れる髪を押さえる手。その手を取ってこちらへ振り向かせたいという衝動的な思いに蓋をするように胸の前で腕を組んだ。


「……嫌だったら断ってもらって構わないんだけど」
「はい?」
「連絡先、教えてもらえないか?」
「えっ?」


今まで自分から連絡先を聞いたことは何度もある。なのに今は何でかうまく言葉が出てこなくて拙い聞き方しか出来なかった。自分がコミュニケーションに不得手だと思っていなかったが、認識を改めた方がいいのかもしれないな。


「キミが来なかった間、連絡先を知っていればと思う事が何度かあって……もし良かったら、でいいんだが」
「……いいですよ」


少し迷ったような表情を見せたが、それでもポケットからスマホを取り出してくれた彼女。一瞬見えたケースの裏面には見覚えのあるスマホリングが付いていて、じわりと胸の奥が熱くなった。
持て余していたものを何気なくあげただけだったが、こうしてちゃんと使ってくれているのを見ると嬉しく思う。さっきまでは彼女にこちらを見て欲しいと思っていけれど、今は彼女が俯いているおかげで緩んだ顔を見られなくて済んでいるのだから良かった、だなんて。どこまでも都合の良い考えにほとほと呆れる。


「アプリの方でいいですか?」
「そうだな、頼む」


少しの操作の後、メッセージアプリに表示された葵という名前。これが彼女の名前なのだろう。やっと知ることの出来た彼女の名前から目を逸らせなくて何度か心の中で反芻していれば、くすっと控えめな笑い声が目の前から届いてぎくりとした。今の自分の行いが気づかれてしまったのかと焦ったが、どうやらそうじゃないらしい。


「嵐山さん、コロちゃんのアイコンなんですね」
「ああ。最初に設定してそのままだな」
「私もチョコのアイコンだから……同じ犬種だし、何だか面白くて」


柔らかく笑う彼女を見るのは久しぶりだ。彼女が笑うだけで空気が軽くなるような気さえする。最近はどこかぎこちなかった気がしていたから安堵したのもあるだろうが、きっとそれだけじゃない。


「名前、葵ちゃんっていうのか?」
「えっ、あ……はい。高宮葵です。そういえば言ってませんでしたね」
「高校生?」
「いえ、専門です。嵐山さんと同い年ですよ」
「そうなのか。悪い、敬語だからてっきり年下かと」
「最初嵐山さんの事年上だと思ってたから……もうクセになっちゃってて」


ポンポンと弾む会話に、時折混じる笑い声。いつもの何気ない世間話ではなくて、お互いに少し踏み込んだプライベートな話題。何も知らなかった彼女の事を一つ、また一つと知る度にみぞおちの辺りに何かが募っていくようだった。
たまに恥ずかしそうに指先を遊ばせながら答えてくれる姿は、庇護欲を掻き立てられる。


「嵐山さんがボーダーに入ったきっかけってあります?」
「ああ。四年前の大規模侵攻があってからだな」
「……やっぱり。私も、あれを見て何か力になりたいって思ったんです」


忘れもしない、あの惨状。見知った場所が凄惨な現場と成り果てて、思い出すだけでも遣る瀬無い気持ちが込み上げてくる。ボーダーに入隊して、あの檀上で放った言葉は嘘じゃない。今でも変わらずに持ち続けている想いだ。


「だから今、看護学校に通ってて」
「看護学校?」


過去に向いていた意識が、引っ張られるように一気に引き戻される。どこか言い辛そうにぽつりぽつりと話し始める彼女の言葉を聞き逃さないよう、耳を傾けた。


「嵐山さん達みたいに直接守る事は出来ないんですけど」
「いや、凄いと思うぞ」
「へへっ。まずは資格とらなきゃ始まらないんですけどね」
「そうか」
「形は違うけど、守りたいって気持ちは一緒ですよ」


そう言って笑った彼女を見た瞬間、あやふやだったものが確かな形となって落ちて来る。
会えなかった間、他のものが疎かになるくらい彼女の事が気になったのはどうしてなのか。なぜ知りたいと思うのか。そこまで鈍いわけじゃないので、自分が彼女に抱いている想いに何となくは気付いていたけれど、今この瞬間、鮮明になる。
俺は、彼女が好きなんだと。

その感情は決して綺麗なものでは無かった。控えめな笑顔はもっと見たいと思ったし、透明感のある澄んだ声をずっと聴いていたい。――抱きしめたい。その瞳に自分だけを映して欲しい。ごぽごぽと腹の底から湧き上がってくる感情は確かな欲を含んでいて、少し戸惑った。
過去に何度か恋愛感情を抱いた事はあったし、それこそ彼女が居た事だってある。けれど、衝動にも似たこの感情は今までに経験したことがなくて。目の前の女の子と何も始まっていないのにも関わらず、自覚した途端どんどん膨らんでいく想いを制御するように組んだ腕に力を込めた。


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