■ 2
同年代のようにも見えるその男は、一瞬、縋るような怯えたような目で私を見た。だが、すぐに顔を歪めて私を睨むと、壁の方に顔を背けた。その拍子にカチャリと手錠が音を立てた。
男の姿に呆気にとられていた私は、その音で我にかえった。音の原因は解ったが、輪を掛けて不可解な状況に私はうろたえた。このあまりに予想外な男の存在に、どう対処するべきだろう。
「あの、警察……呼びます?」
半ば無意識に私は口走っていた。どう見ても尋常じゃない事態だ。事件は警察に任せるに限る。
男は私の声に弾かれたように、壁に向けていた顔を私に向け、敵意と怒りに満ちた目で私を睨んだ。
「うるせえっ、余計な事すんじゃねぇよっ、とっとと行っちまえ!」
僅かに巻き舌の、堂に入った恫喝に、思わずその場から一歩退いた。男は再び顔を背け、壁の方を向く。慌てて立ち去ろうと踵を返しかけて、男の両手が微かに震えているのが見えた。
私は改めて男の姿を見下ろし、男の声にうろたえ、逃げ出そうとした自分が情けなくなった。
男は手錠で繋がれ、水道管にぶら下がるような格好なのだ。身につけているのは素肌に着た白の薄いワイシャツが一枚。裾がかろうじて陰部を隠している。
しかも、首に黒い首輪までつけており、そこから伸びた鎖がタンクと便器を繋ぐ水道管に繋がっている。男は実に不自由な姿勢で座っている以外どうにも動きのとれない有様だった。
なんでこんな惨めな男に怒鳴られなければいけないんだ。そう思うと腹立ちすら覚えた。
私はそっと個室の中に入り、男にカメラを向けた。個室の上部から注ぐ明かりは、はっきりと男の姿を照らしている。
シャッターをきる。機械の作動音に男の体がびくりと震え、男は振り返る。驚きに見開かれた目が、私の手元に釘付けになった。私は続けて二度、シャッターをきった。今度は男の顔も撮れた。
「てめぇっ!」
凄まじい形相で男が怒声を発した。がちゃがちゃと金属が擦れあう音に、私は思わず笑みを浮かべた。目の前の男がヤクザのような風貌だろうと、その体躯が私より遥かに勝ったものだろうと、繋がれていては何もできない。せいぜい、犬のように吼えるのが関の山だ。
私の笑みに、男は悔しげに顔を歪める。引き結んだ唇が震え、獰猛な獣のように凄みを帯びた眼が私を射抜く。
「調子に乗るんじゃねぇぞ、この野郎……」
低く怒りに満ちた言葉に先程のような声量は無いが、それが返って深い怒りを感じさせ、私を怯ませた。
ひょっとしたら、この男は本当にヤクザなのかもしれない。そんな思いも頭を掠めた。
男が自由になったら、私など、ひとたまりもなく殴り倒されるだろう。 ぞっとした私を見透かすように、更に口を開きかけた男が、不意に体を強張らせ、息を呑む。
同時に何か固いものがゴツゴツとタイルに当たる音がした。
音に驚いた私の目の前で、声を殺すように唇を噛んだ男が、水道管を両手で掴んでわずかに腰を浮かすと、微かなモーター音だけになった。
男は見る間に頬を紅潮させ、歯を食いしばり、きつく眉を寄せた。
体を支える腕や、膝を曲げて踏ん張る脚が小刻みに震えだす。
男は首をもたげて力任せに起き上がろうとするが、首輪から伸びた短い鎖がガチャガチャと喧しく騒いで邪魔をする。
そうして男が暴れた拍子に陰部を覆っていた裾が乱れ、男の股間が露になる。
最初に目についたのは男の腰に巻かれた細い黒紐だった。そこから、剥き出しの陰茎を挟むように二本の紐が延び、その先は男の尻へ続いていた。
モーター音は絶え間なく続き、私の見ている前で男の陰茎が奮え、勃ち上がろうとする。
男は忙しなく荒い呼吸を繰り返し、何度も水道管を握り直している。額が汗に濡れ、男は首まで赤く染め、両膝を擦り合わせて身悶える。
まるでAV女優のような男の姿に、何となく音の正体を察し、軽蔑の混じった優越感を抱いた。
「そういうのが好きなのか?」
笑い含みに訊ねると、男は必死に体を支えながらも、私を睨み上げた。
私はカメラを向けた。
男の顔が怒りと屈辱に歪み、カメラから逃げるように顔を背けた。
「……っ失せろ、変態野郎っ」
震えて勢いのない声に、私は笑った。
「どっちが変態だ。あんた、自分がまともなつもりなのか?」
男は返す言葉もなく、苦し気な呼吸のたびに張り詰めた胸筋を上下させる。 モーター音が時折調子を変えるのに合わせて全身をびくびくと震わせる姿を連写モードでカメラに収めた。
「……っく…っ! …っぅ…あ……っ」
一際大きく仰け反った男の目尻に涙が滲んだ。
食いしばった歯の間から絶え間なく呻きが漏れ、それは時折、鼻にかかった喘ぎに変わる。
すすり泣くように細く息を吸った瞬間、男の硬直した肉の先が白い体液を吹き上げた。
男の体から力が抜け、男の体に収められたものがタイルを打つ。男が下半身を捩る。尻の間を包む黒い布が円柱状に盛り上がっているのが見えた。
見計らったかのように振動は止まっていた。
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