■ 1
この町に引っ越してきてから、休日には近場の公園を散歩するのが習慣になった。
休日とは言っても、イラストレーターという自由業なため、公園を訪れる曜日も時間もまちまちだった。それでも大抵は平日の夕方頃が多かっただろう。
だから、日が落ちてから公園に足を踏み入れるのは今日が初めてだった。
夜中とは言えないが出歩くには遅い時間だ。それをわざわざ公園まで足を伸ばす気になったのは、軽いスランプの気分転換にでもなるかと思ったからだ。
思惑通り、太陽の光の無い見慣れた風景というのは実に新鮮で、煮詰まっていた頭が解れていくようだ。 いくつかの外灯と明るい半月のおかげで、辺りはぼんやりと優しげな薄闇だった。
少し肌寒い風が肩に届くほど伸びた髪を乱す。最近、髪を切る暇もなかったのだ。三十も後半、そろそろ髪を染める色も落ち着いたものにするべきだろうか。
黒に戻すのもいいかもしれない。次の休みには美容院を予約しようかと考えながら、人も車も通らない公道を歩いた。
両脇が花壇になっている公園の入り口を通り抜け、芝生の中を緩やかに曲がりくねって伸びるレンガ敷きの道を歩く。
中央の広場には、大きな噴水とブランコやシーソーといった遊具が点在している。その周りを囲むように芝生とまばらな木立が広がり、その向こうに、住宅街の屋根が覗いている。
広場の噴水を囲む木製のベンチに腰を下ろした。ぼんやりと空を見上げ、ぽつぽつと置かれた遊具に視線を巡らせる。
羽織ったジャケットのポケットからデジタルカメラを取り出した。 地面に片膝をついて寂しげなブランコをフレームに収め、シャッターを切った。
昼間に見れば、何の変哲も無い遊具だが、こうして月明かりの下で眺めると、何となく絵になる。腰を上げて、噴水もカメラに収める。続いて暗い木立にもカメラを向け、シャッターを切った。十数枚ほど、外灯や水飲み場といった公園の風景を撮り、他に何か撮れないかと辺りを見回し、公衆トイレに目が止まった。
外灯に照らされて公園の片隅にひっそりと佇む白い建物。まだ新しいそれは、障害者用と男女それぞれに分かれていて、広く清潔な物だ。
三角の赤い屋根が三つ連なり、その頂点付近が天窓になったシャレた外観でもある。月光の差し込むトイレというのも面白いかもしれない、とそちらへ足を向けた。
紳士用トイレの薄青いガラスの自動ドアが開く。
同時に、柔らかな照明が中を照らし出した。自動でついた明かりについ驚いて立ち止まった私の耳に、カチャン、と金属の物がぶつかり合う微かな音が響いて、鼓動が一瞬跳ねた。
音はそれきり、絶えた。
私は恐る恐る中に入った。
タイルを踏む足音がやけに響く。
明々とした照明の下、左手に小用便器が4つ並び、右手前に鏡と手洗いが2つ。その先には2つの個室があった。個室のドアは全て開いている。個室の中までは見えないが、人気は無いようだ。
さっきの音は何だったのか。
少々緊張しながらも好奇心が足を動かす。
どうせ他愛も無い理由だろうが、原因を確かめてみたかった。
手前から個室の中を覗いていく。洋式の白い便器とタンク。音の原因になりそうな物は何も無かった。2番目の個室の前に立つ。どきりとして、体が強張った。
洋式の便器の影から、わずかに膝を曲げた素足が伸びていた。貯水タンクの方に視線を向けると、壁とタンクを繋ぐ水道管に手錠を掛けられた両手があった。
そして、町ですれ違ったなら、思わず視線を逸らしてしまいそうな、険のある精悍な顔立ちの男が、洋式便器の陰で大柄な身を持て余したように蹲っていた。
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