氷の薔薇
「わたし宛てに荷物が?」
ナマエがバイト先にいたときのことだった。 客として買い物に来たロールの話に、品出しする商品の箱を抱えながら、ナマエは問い返す。
「そうなの。差出人も分からないんだけど……なぜかナマエさん宛ての箱が、うちの研究所に届いてるのよね」
心底不思議そうに首をかしげているロールに、ナマエもまた眉を八の字に寄せた。いったい、なんでまたそんなことが。
「それ不審物じゃないよね」
「うん、大丈夫みたい」
「そっか……」
ほ、と安堵した。何せ届け先がライト博士の研究所なのだ。 誰かさんが爆弾でも送り付ける可能性だってなくはない、とナマエは考えたが、しかしそんな姑息な手段などとるようにも見えないと思い直す。
「取りあえず、見に行っていい?」
「うん! いつでもいいからね」
快く頷いてくれたロールに、ナマエも笑った。
「それにしても、なんだってそんなものがロールちゃんたちのところへ……」
「しかもクール便なんだよ」
「クール便」
「ぜったい溶かすなって」
中身は冷食かアイスクリームということだろうか。
後日、バイトが休みの日の午後に、ナマエは研究所へ訪れた。
出迎えてくれたロールに手土産のE缶とお菓子を渡して、向かったのはリビング。
「はい、じゃあ、どうぞ」
「うわ、これが例の謎の届け物…………」
腰を落ち着けるより先に、ロールが持ってきてくれた。さすがだ、仕事が早い。 おずおずと受け取ったその荷物は、ナマエが想像していたよりずっと小さな長方形の箱で、でも重みがある。
「中身はなんなんだろうね?」
「ね……思い当たることもないし……」
うーん、と考えるロールとナマエ。 そののち、思い切ったことをナマエは口にした。
「…………開けてみようか」
「えっ、ここで!?」
「一応不審物じゃないんでしょ?」
「そ、それはそうだけど…………」
「中身、気になるしね?」
「う、…………気になる」
じゃさっそく開けてみよう!
ロールを言いくるめ、ナマエは開封に取り掛かった。不信感は拭いきれていないので慎重に。
「……」
味気ない箱の中には、また箱があった。高級そうな綺麗な藍色。 ふたりとも神妙に顔を見合わせてから、そっと蓋を開けてみる。
果たして、そこに入っていたものの正体に、思わず「わあ、」と声を漏らした。
「これ……バラだ」
箱の中に入っていたのは、一輪のバラが閉じ込められた氷だった。クリスタルのようにカットされ、その内部にバラが彫り抜かれていて、とても繊細な作品。 ナマエもロールもしばらく目が離せなかった。
「きれい」
「うん」
本物と見紛うほどよくできたバラの花。以前テレビで見たことがある。 色はないけれど、フローラルアイスと呼ばれるものだ。
「あ、ナマエさん、ロールちゃん、何してるの?」
「ロック、こんにちは」
そこへロックがやって来た。ナマエは手招きして彼を呼び寄せ、開封した箱の中身を見せる。ロックもやはり、目をまん丸にした。
「すごい、氷の中にバラが咲いてる! これもしかして、この前届いた差出人不明の届け物?」
「そう! まさかこんなに素敵なものが入ってるなんて思わなかった」
「へえ……」
両手を絡め合わせて感嘆するロールの隣で、ロックは氷の彫刻にじっと目を向ける。見とれているというより、何か考え込むような眼差しだ。
「まあ、開けても結局、心当たりなかったんだけどねぇ。誰がなんのために送ってきたんだろう」
博士へのプレゼントかな。 そう呟いたナマエに、ロックはしかし思案顔を崩さない。
「……住所も、名前も、書かれた宛先はちぐはぐだけど、間違ってはいないよね」
「ん? そうだね」
「確かに」
顔を上げ、彼がナマエの目をまっすぐに見た。
「やっぱり、ナマエさん宛てなんだよ、きっと」
「ええ?」
「ロック、どうして分かるの?」
驚く少女ふたりに、ロックはまじめな声で続ける。
「この研究所にナマエさんがいるのを見た誰かが、そのように宛先を書いて送ってきた…………という可能性も、あると思う」
「…………」
「…………」
その、彼の妙に核心をつく発言に、ふたりは唸った。 好きな漫画家宛てのファンレターを編集部に送るとか、担任教師宛てで学校に年賀状を送るとか。例えるならそういうことだ、と。
「なんか探偵みたいね、ロック」
「あ、いや、なんとなくそう思っただけだよ……」
そう返す彼の笑い声は、いつもと比べて乾いているように思えた。
念のため、その後ライト博士や、研究所で働く人やロボットたちにも見せて回ったが、皆一様に「綺麗だね」と感嘆するだけで、心当たりはないようだった。
とりあえず、その日はナマエ宛の贈り物は持ち帰らずに帰宅した。
「だってなんか怖いんだもん」
とは言わずもがな本人が残していった言葉である。
ーーーー
それからさらに数日後、謎の贈り物の話はついに進展する。
その日も、ナマエは研究所へ遊びに来ていた。 他愛もない話をして、お菓子を摘まんで、笑い合う。普段と変わらぬ穏やかな午後。
時間はあっという間に過ぎ、ナマエが時計を確認して、そろそろ帰ろうかと思案したときだった。
「ああああ! ちょっちょっとっ勝手に上がられたら困るダス〜!」
「ウォン!」
リビングの向こうから聞こえてきた慌ただしさに、三人とも顔を見合わせる。
「……ライトットに、ラッシュ?」
「どうかしたのかな」
「まさか泥棒が……って感じではないか」
妙な緊張感に包まれ、全員身構えた。 ロックが少女ふたりを背に守るようにして立ち、扉を睨む。
重い足音からして、ずかずかと歩いてくるのは人間ではなくロボット。 となれば、またワイリーナンバーズの誰かか? フォルテだろうか?
高まるばかりの警戒レベルだったが、
「ナマエがいるのはここかい?」
少し高めの男性の声に──約一名を除き──気が抜けていく。
「えっ、わたし」
「あー……」
「もしかして……」
ロック、そしてロールにも聞き覚えがあるその声。 だれ、と唯一分からないナマエが聞くより早く───バアン! 派手に開かれた扉。 (ライトットとラッシュがぷりぷり怒っているのが見えた。)
そこにいたのは、氷のような装飾を身に付けた、人間よりも背の高いロボットで。
彼は唖然とするナマエを見つけるやいなや、きらきらとアイカメラを輝かせた。 対して、びくりと肩を揺らすナマエ。
彼女の小さな後退りも無駄になるほど大きな歩幅で、ロボットはナマエの元へ歩み寄る。
大人と子ども以上の体格差だ。見下ろされるだけで威圧感がある。
いったいなんの用? なにされるの?
明らかに表情を強ばらせるナマエ。 それを見た彼は、ゆっくり静かにひざまずいて、目線を合わせた。
「すまない、驚かせてしまったね。……だけど、僕はどうしても、キミに会いたかったんだ」
「え……っと、って、なんで、わたしに……?」
しどろもどろのナマエの横で、拍子抜けした様子のロックとロール。
「やっぱりキミだったのか、ツンドラマン……」
ロックが明かした、このロボットの名前。 たしか少し前、ワイリーに誘拐・改造されたロボットたちの内のひとり──。
話には聞いていたが、でもそれだけだ。
困惑するナマエに、ツンドラマンが言葉を選びながら説明し始めた。
「驚くどころか、知らないのは無理からぬことさ。何せ、僕の一方通行だったわけだからね」
話は、ワイリーが起こした事件を無事に解決してまだ間もない頃にまで遡る。
その日、メンテナンスを兼ねて、改めて健康診断のために研究所へ訪れていたツンドラマン。 準備ができ、診察室へと案内されるとき、彼はナマエとすれ違った。
「そのとき、少しだけ肩を掠めただろう?」
「…………、そういえば…………」
ナマエも徐々に思い出す。 周りをよく見ていなかった故に、距離感が掴めず、肩がぶつかってしまった。
「そ、その節はすみません、ろくに見てなくて」
「いや、いいんだ。おかげで、僕はナマエのことを見つけられたんだから」
「は、はあ……」
「キミのほうこそ、痛くなかったかい?」
今さらだ。そんなの。お互いに。 永久凍土の名を冠する彼の言葉は、つくづく優しくて温かい。
返答はせず、ナマエはただ首を横に振った。「なら良かった」となお満足げに笑うツンドラマン。
「じゃあもしかして、あの氷の彫刻を贈ってきたのも、あなた?」
ロールのその推察も、やはり当たっていた。
「ご明察! いや、一刻も早くプレゼントしたくて……僕としたことが、差出人を書きそびれてしまった。ロボットにあるまじきことだね、はは」
「そうだったんだ……」
研究所で偶然見掛けたナマエを、ツンドラマンが気に入って、バラの彫られた氷を贈ってきた。差出人がなかったのは、単なる彼のうっかり。 要約すれば、こういうことだ。
「あのフローラルアイス、すごく綺麗でした。……ありがとうございます」
「…………! そうか。喜んでもらえて良かった」
本当は最初、不審に思っていたけれど。 なんて、あまりにも嬉しそうにする彼を前に、言えるわけがなかった。 ツンドラマンが言葉を続ける。
「あの診察の日、すぐに極地へ帰らなければいけなかったから、話すこともできなかったけど……どうにか時間を作って、会いに来たのさ」
「わざわざ、わたしのために?」
「そうだよ」
そうやって惜しげもなく頷くものだから。
あげく、そっとナマエの両手を持ち上げて握るものだから。
「改めて自己紹介しよう。僕の名はツンドラマン」
いつの間にかほだされていた彼女に、ツンドラマンはとどめを刺した。
「キミに、一目惚れしてしまったんだ」
例えるなら、トマト。リンゴ。ゆでだこ。ポスト。
とにかくナマエは耳まで真っ赤になった。 告白なんて初めてだ。それも相手はロボットだ。 よく見たらあれ、ツンドラマンてこんなに綺麗でかっこよかったのか。
告白されたことによって補正が掛かったのか、本気でそう思っているのかは分からないが、不思議と悪い気はしない。
ぱくぱくと口を開閉するナマエに、ツンドラマンは笑いながら言った。
「本当に、何もかも突然のことだからね。急かすなんて美しくないことはしないさ。お互いのことは、これから知っていけばいい」
「……は……はい……」
頭がうまく働かないまま、ナマエは返事をした。
周囲にはヤジウマが集まっていたのだが、彼女にそんなものを気にする余地はなかったし、ツンドラマンもちっとも気にしていない。
存在を忘れられているロックとロールは、照れを移されてやれやれと呆れつつ、ふたりを応援する気概でいたのだった。
2019/8/16. いつもオチを飾ってくれるロックンロールちゃん。
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