救われたマリンスノー


故郷を追われて、敵性宇宙人の船に追われて、その末に落ちたどこかの青い星。

乗っていた宇宙船のエンジンは停止した。
救難信号を出したところで、助けてくれる者はいないだろう。
おまけにどうやら、水に沈んでいるらしい。
満身創痍で意識もどこか遠くに在りながら、ナマエはぼんやりと、もうじき死ぬのだなと思った。こんなに冷たく、黒く、どこまでも深い底無しの水の中で、たったひとりで。呼吸浅く目を閉じる。



───歌が聞こえた。

知らない音。走馬灯ではなく、記憶にもない、聞いたことのない歌。まだ幼い子どもの声。

まぶた越しに透けた白い光がまばゆくて、目を開けた。

ひび割れたフロントガラスの向こうに、小さなふたつの影がいた。

ひょっとすると、自分を迎えに来た天の遣いかもしれない。
一瞬本気でそう考えたが、打ち付けた頭が鈍く痛むし、手足の切り傷やかすり傷もズキズキと痺れて、血が滲んでいる。

(まだ死ねていない、)

だから、目の前の影をナマエは凝視した。

彼らもまたナマエのことを、じっと見つめていた。

あなたたちは、なにもの?

身を乗り出して、フロントガラスに片手をつく。ひとり近寄ってきて、ナマエの手に、その子のうんと小さな手のひらが重なる。あとからもうひとり、ワンピースの子もやって来る。

どこまでもクリアな浅瀬と同じ色の瞳。
その中に枝を伸ばす、花のような虹彩。
敵意はなく、ただ、純真さと好奇心に満ちた、鮮やかな色の目。

やがて、ふたりで何事かを話始めたようだったが、その声がナマエに聞こえるはずもなく、内容は汲み取れなかった。

すとん、とナマエの身体が座席に落ちた。

いろいろと思考を巡らせるより先に、意識が遠退いていく。
手足にも力を入れられない。ああ、もうぜんぶどうでもいい。結局わたしは死ぬのだ。


ーーーー


「──────………………、……?」

ナマエはゆっくり、覚醒した。

視線をさまよわせ、そこが、乗ってきた宇宙船でないことを認識する。胸が張り詰めた。

暗くはないが、明るくもない。真っ青で何もない空間に、ナマエの身体は横たえられている。

いったいどこだろう。
半身起こしてキョロキョロと周囲を見回すと、背後に誰かの気配がした。

「気が付いたようですね」

振り返った先、花の色の大きな瞳と視線がかち合う。弾むような声の女の子、ひらりと舞うワンピース。

「無事でよかった。ボクたちが見つけてなかったら、いまごろどうなってたか」

また背後で声がした。少しだけ低い声、額の大きなツノ。きりりとした瞳は浅瀬の色の、男の子。

あのとき、水の底へ沈む最中に見た、あのふたりだと分かった。

「ここは、どこなんでしょう? ……わたしが乗ってきた船は?」

「ここは海の底です。あなたの宇宙船は損傷がひどくて、そのまま……」

「……そうですか。あの、助けてくれて、ありがとうございます」

素直に礼を述べたものの、それは少しぎこちなかった。

ふたりのことが、ナマエにはなんだか奇妙に思えた。
声も、湛えている静かな笑みも。
すべてあどけないのに、気品があって、一切隙がない。

「ねえ、おまえはどこから来たの? この星のニンゲンじゃないみたいだけど」

「……私は……」

男の子に問われて、ナマエは少しうつむいた。
話してもどうということはない。ないのだ。なにも。でも、これまでの記憶、経緯を遡るほどに口は固くなり、話そうという気は失せていく。

「……もしかして、ボクたちと同じなの?」

トーンが落ちた彼の声音にハッとする。暗くて、頼り無げなその色が、ナマエにまで伝染する。

「同じって、どういうこと?」

「わたしたちには、帰る場所がないのです」

女の子が静かに話した。

遠いむかし、仲間とはぐれたきり。
名も知らぬこの星の、深い海の底に、長い間。
待っても待っても迎えはなくて、ずっとふたりだけで。

「自分たちが何者なのか、それすらもう分かりません」

「だからね、決めたんだ。"ここ"を帰る場所にするって」

そこまで話を聞いて、ナマエはいよいよ閉口してしまった。
掛ける言葉さえないと思った。

彼らの決意はきっと揺るがないのだろう。けれど不安定にも見えた。ほの暗さを覆い隠して、ようやくまっすぐに保っている、硬くて脆い硝子のような危うさ。

寂しげにしながら毅然と前を見て、微笑すら浮かべて語れるほど、ここでの時間は長かったのだ。

(わたしだったら、きっと…)

表情がうかがえなくなるくらい、ナマエはうつむく。
可哀想だと思ったし、他人事には思えなかったし、何よりずっと、自分自身が弱い者に思えた。

そんなナマエの様子を、ふたりがどう思ったかは分からない。

「……ねえ」ふと、凪いだ声が彼女の耳に届く。

「帰る場所がないなら、おまえもここにいなよ」

「……え、」

「ちがう星から来て、ひとりぼっちで、船もない……ほら、おんなじだ」

ひとつずつ言葉を並べていく男の子にナマエは困惑し、そして女の子も慌てた。

「王子、そんなかんたんに……!」

「いいじゃないか、すこしはさびしくなくなるだろ!」

「お、おうじ、ですか……?」

新たに垣間見たふたりの子どもらしさに、なんだか少し安心感を覚えた……は、いいけれど、それよりいま女の子はなんて言った?
彼が、「王子」?

ナマエの間の抜けた顔を見た男の子は、無邪気に笑った。

「そう、王子! ボクのなまえはメール。……自己紹介がまだだったね」

「わたしは従者をしております、マールと申します」

にこやかに名乗るメールに、ぺこりと頭を下げたマール。
気品を感じたのはそういうことだったのか、と内心納得しつつ。

「こ、こちらこそ遅くなってしまって……。
 わたしは、ナマエと言います」

「ナマエ、って言うんだね」

満足げにしているメールは、うん、とひとつうなずいて。

「よし、それじゃあナマエ! おまえはいまからボクの家来だ!」

「!?」

「!?」

さらなる驚愕と困惑とで、少女ふたりは揃って間の抜けた顔をつくる。

「そう、家来……ボクとマールを守る騎士。
いいか、これは王子であるボクの命令だからな!」

ふふん! と得意気にするメールの言葉を、もとよりナマエは断るつもりなどなかった。

この深海の雪に散るはずだった自分の命。あのときメールとマールは救ってくれたのだ。

孤独を取り払ってくれたふたりのために、ナマエはもう一度生きようと誓った。


2019/8/16.







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