知らない心臓
曇天がほの暗い影を落とす美しい街、ユーロピア。
時計塔の前の広場で、むてん丸たちと攻防を展開する。
重い一撃を繰り出すジャガンの身体は非常に頑丈で、如何なる攻撃も「くすぐったいよ」と跳ね返した。 体格に見合わぬ幼さで、彼は無邪気に"あそんでいる"。
「ナマエ!!」
自分の名を呼ぶ声に、ナマエはするどい眼差しを向けた。必死そうな忍の姿が、やはりそこに在った。
「ナマエ、どうしてシックのところに…………何があったの!?」
攻撃を仕掛ける気なんかないくせに、シノブは目の前に立ちはだかる。
甚だ疑問だ。
どうして彼はわたしを知ってるんだろう。 わたしは彼を知らないのに。
(…………知らない? 本当に?)
「お願い、教えてよ!」
口ばかり動かす忍者に嫌気が差す。 ナマエは自分の足元の影から、生き物のようにうねる触手を無数に作り出した。 鋭利な先端は槍の如く、シノブを貫かんと蠢き、襲い掛かる。
「なっ…………、わっ!?」
しかし、すばしっこく逃げ回られ、傷ひとつ付けられない。ナマエは舌打ちした。
「よわいくせに逃げ足だけは早いこと」
影の触手をひとつ真横に凪ぐ。 それに対応しきれなかったシノブは、左足に絡み付く触手に逆さ吊りにされた。
ようやく捕らえた彼をそのまま目の前まで連れてくる。
「わざわざ言わなくても解るはずだけど、そんなに知りたいなら教えてやる───人間どもに絶望を味わわせるため」
「っ…………!」
歯噛みしたシノブ。それでも武器ではなく、言葉を投げ続けた。
「ねえ……ナマエ、ほんとに忘れちゃったの!?」
悲痛そうに叫ぶ姿がナマエの心臓を締め付ける。
「拙者はよく覚えてるよ、昔一緒に遊んでた、友達じゃないか!」
…………ともだち?
「ともだちってなに?」
…………さあ、知らない。知らない、知らない、わたしは知らない。
「知らないわけない! 忘れっこない! ナマエ、思い出して!!」
拘束していなかったシノブの両手がナマエの頬に触れる。
心臓を貫かれた───かの、ような。 物理的な攻撃など一切受けていない。 それなのに、貫いて、容赦なく抉るものがある。滲み出るいやな汗。
「…………友達、なんて、いない。わたしはお前のことなんか知らない。もう何もいらないの、だからぜんぶ棄てただけ」
何も知らないんだもの!
すべて消し払うように刺し貫こうとした触手が、しかし彼に命中することはなかった。
むてん丸の仲間の誰かに吹っ飛ばされたのだ。気付いたときには、ジャガンも大技に伏していた。
「いたいよー」
最後にむてん丸が放った一撃は、強力なエネルギーを以てジャガンを圧倒した。 本来ならひとたまりもないだろうに、そんな攻撃さえ絆創膏いくつかで済む程度のダメージしか受けていない。あげく「楽しかった!」と笑うのだから、彼はすごい。
怪我に触れぬようそっと撫でると、彼はくすぐったそうに身動ぎした。
結晶の怪物になっても、仕種や話し方、純粋さは子どものそれと変わらなくて。
「ナマエー、だいじょうぶ?」
「…………うん、平気。ありがとう」
ナマエは、腹部を強打されただけだった。
ただ、今もなお心臓の辺りがざわついて気持ち悪い。 余計なものを抱えさせられ、ナマエは深く息を吐いた。シノブという少年の顔と声が鮮明に焼き付いて、離れてくれない。
2019/8/16.
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