虹の森にて



森は不思議なところだ。木々が生い茂り、まるで閉ざされたように感じられるけれど、実はどこまでも広大でたくさんの秘密を抱えている。まるで宝箱のようになにを持っているのわくわくさせる場所。あるいはパンドラの箱のように詮索してはいけない場所。
それが、森。すぐそばにあるステキな異界。
ここでは、僕の知る森の秘密を一つ教えよう。
それは雨上がり、澄み切った空にかかるかの七色の橋はとある森のずうっと奥ではぐくまれてるってこと。

森の最奥部、鬱蒼と立ち並ぶ木々のひっそりとした隙間から虹は生まれる。ぴょこんとまず幼い頭をだし、それから時間をかけてゆっくりと成長してゆく。その間でいかに、風に吹かれたかによって虹の湾曲具合が変わるらしい。強風にあおられれば大きく、微風なら小さく、といった風に。
まさか、七色のきらきらした物体が暗くてじめじめした場所から生まれているなんて、だあれも思わない。だからこそ、虹の麓は今でも前人未到のヒミツな場所で、その麓にあるらしい宝物はいまだに誰にも見つけられずに眠り続けている。
せっかく、虹の麓を知っているんだ。そのうち、僕が掘ってみようか。もちろん、彼が許してくれたら、だけど。

彼、というのは僕の友人であるキリンさんのことだ。特別首が長いわけでも、黄色地に茶色の斑があるわけでもないのに、彼の名前はなぜかキリンという。五色の美しいたてがみと、透明で光を受けて輝く角を持った美しい生き物。
彼は毎日、森の奥で虹の成長を見守っている。なんでも虹の成長には彼の涙が必要なんだそうだ。蛍が水しか飲まないように、虹は彼の暖かな涙をのみ必要として生長する。
虹を育て、空に架けることこと。
これは彼の昔からの大切なお仕事。
僕は素敵な虹色を作る彼に敬意を込めて、「キリンさん」と呼んでいる。



「君の涙は不思議だね。まるで水晶みたいにきらきら七色に輝いていて、虹のよう」
僕はその日も森の奥まった、虹の棲む地に居た。キリンさんももちろんいて、彼はぽたぽたと涙を流して虹に餌をやっている。僕がその様子を見ながら言うと、彼はぱちぱちと目を瞬かせて、それから緩やかに笑った。瞳に溜まった涙がきらきらとはじけた。
「私の涙が虹の色を作るからね」
ぽとん、と彼の涙が幼い虹の上に落ちる。じわじわと涙は虹に吸い込まれ、そうしてほんの少し虹のあの七色が浮かび上がってきた。幼くて色の薄い虹がまるで手品のように七色の光を帯びていく。
「すてき! それじゃあ、君は色んなひとの笑顔を生み出しているんだね」
七色に染まる虹を見て、僕は途端、嬉しくなって、彼に抱きついた。彼の首に手を回し、ふわふわの毛に顔を埋める。彼の甘やかな香りが鼻腔を擽った。
「おや、どうしてだい?」
僕がふわふわと彼に顔を埋めていると、彼が興味深げに尋ねてきた。
首を回して、僕を見おろす。コバルトブルーの瞳のなかに僕が閉じ込められていて、それがなんだか嬉しかった。そうして、澄んだ蒼の瞳に映りこんだ僕に少しだけ嫉妬した。彼の瞳の中は、きっと彼の優しさに溢れた、とても居心地のいい場所だろうから。
「だって、虹を見ると幸せな気持ちになれるもの。虹の七色がすうっと心に溶け込んで、嫌な気持ちを吸いとってしまうんだ。
それがずっと不思議だったのだけれど、君が心を込めて育てているからなんだね。だから、虹はあんなにきれいで清らかなんだ」
「君たち人間は虹を見ると嬉しいのかい」
「うん。とっても!」
胸に顔を押し付けて、ぐりぐりと埋める。彼がふっ、と笑う気配を感じた。さあっ、と心地よい風が吹いて彼の毛と虹を揺らす。
「そういわれると育ててきた甲斐があるよ。一人でこの虹を育て続けていると、まるで無為なことをしているような気すらしていたから」
彼は首を曲げて僕の頭に顔を寄せた。すりすりと顔を刷り寄せあう。
そんな事、ないよ。とっても素敵なお仕事だよ。
僕が胸に顔を埋めたまま、呟いた言葉はどうやらキリンさんには届かなかったらしい。もごもごというくぐもった僕の言葉にキリンさんは首を捻ったけれど、僕は途端に恥ずかしくなって笑ってはぐらかした。
「あのね、キリンさん。素敵な虹、ありがとう」
代わりに、今度は聞こえるように顔をあげて、キリンさんに告げる。全人類を代表して、なんて言えないけど、僕と僕の家族の笑顔分くらいは伝えられるはず。キリンさんは一瞬言葉につまって目を丸くしていたけれど、まもなくいつもの柔らかな表情に戻って、こちらこそ、と笑った。
優しくて、心に染み渡る、虹みたいな声だった。

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あとがき。
以前、「キリン」、「森」、「虹」という三題お題を頂いて作ったものです。
森、虹はなんとかなったものの、キリンはどう考えても草原に棲んでいるんじゃないのか、と悩み続けた結果、「キリン」ではなく、「麒麟」に登場してもらうことにしました。
想像上の動物ならば、森でも山でもどこでもいいんじゃないか、という安易な考えの下です。
三題お題は考えるの楽しいです。自分の独力では出せない考えがぽーんと急に思いつきます故。



  
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