釣り猫



図書館には猫が居る。
……いや、猫に占拠されているという方が正しいだろう。 図書館に一歩、足を踏み込んだ、その瞬間から視界のそこかしこに様々な猫が入り込む。
にんまり、にたにた。
なにを企んでいるのか、どの猫も大きな眼を弓なりにしならせてにたにた、にやにや笑っているのだ。

図書館にまず一歩入るとまず木彫りの小さな猫が人好きする好奇心に溢れた笑顔を来訪者に向け、迎える。
そして、奥に進めば進むほどに現れる様々な猫達。縫いぐるみにカレンダー、テーブルクロス、置物などなど。それはひとえに図書館の主で、猫好きな司書さんの個人的な趣味が原因である。図書館をかくも好きにしてよいのかと思わなくもないが、犬より断然猫派な僕がとくにそれを非難するつもりはない。
さて、僕がそんな猫に溢れた図書館に通うようになって一年と少し経ち、僕には必ず声をかける 猫が居る。
彼は、茶色の木目がうっすら残る姿をしていて、図書館を入ってすぐのカウンターの隅に腰掛けている。だらりと釣り糸を垂らし、太公望を気取ってのんべんだらりと笑っている。
「やあ、何か釣れたかい」
かくいう今日も例に漏れず、僕は彼に声をかけた。彼は僕を認めると、きしきしと木の口を重たげに開いて、「いやあ。なあんにも釣れやしませんよ」と飄々と応えた。
「大物でも釣れれば、面白いんですがね」
ふぐでも思い付いたのか、彼はぐるぐる唸って、舌なめずりした。 「そうだね」と同調するが、しかし、実際に僕は心底彼の釣果を同情しているわけではない。なぜなら、彼の手元の釣竿の糸はなぜか途中でぶづりと千切れていて、釣り針は見当たらないからだ。出会った時からこうだった。これでは釣れるものも釣れやしないだろう。しかし、僕は今まで一度もそれを指摘したことはない。そんなの猫の彼からしてみれば野暮に当たるのだろう。今日も気にせず、会話を続ける。
「ところで、魚を釣ってどうするんだい?」
「はあ、旦那。そりゃあ、食うんでさあ」
……それもそうか。 彼の至極真っ当な答えに僕は妙に納得してしまった。千切れた釣り糸を垂らしていても、やはり釣った魚は食うしかないらしい。きょとんとした顔を向けられて、僕は頬をかいた。
「友人のね、土産にするんですよ」
いつもブランコに揺られてる暢気な奴でね。オッキナ魚、釣ってサ。あいつの喜ぶ顔が眼に浮かびまさァ。
ごろにゃあ、と悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。釣り糸が切れているのも気にせず、釣りに勤しむ彼も随分と暢気だと思うが、矢張り口にはしない。
「ふうん。でもさ、昨日も一昨日もその前も、ずうっとここにいるけど、時間とかはいいのかい?」
きっと君の友人は待ちくたびれてるんじゃないかな。 僕が尋ねると太公望はにゃおんと軽やかに鳴いた。そして、僕を見下すように顔を持ち上げる。
「アタシらは猫ですぜ。人間の感覚なんかにゃあ、興味ありゃしませんよ」
「時間なんて気にしない。そういうものなの?」
「そうさァ。それにね、この館ァ、もう猫に占拠されてんだ。アタシらが棲みやすいようになっちまってんの」
時間なんてもん、気にする奴ァ、野暮天ってもんだぜ。
そうして、にゃおん、と一鳴き。
にたにたと笑いながら、彼は図書館の壁にかけられた時計に視線を流した。促されるように僕も時計を見る。 現在時刻、昼休み終わりの三分前。 僕は愕然とした。
「えっ、もうこんな時間? 昼休み、終わりそうじゃあないか」
昼休み終了のチャイムは鳴らなかったのか? 鳴ったとしても、どうして聞こえなかったんだよ! ああ、とりあえず、帰らないと!
思い出したようにばたばたと慌てる僕に、彼はにたにた笑いのまま、「野暮だねェ」と呟いた。

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あとなき
私は心底猫派です。
にゃんこらぶです。
心身をささげたっていいくらいです。
そんな感じのにゃんこ小説です。にゃんこにゃんこ言いながら書きました。
高校生の自分に図書館報を出すとかでそれに寄せた小話です。
本当はエッセイ的なものを書く予定だったのですが、館報担当の司書さんに「好きなものを書いていいわよ」と言われた結果、こんな似非ファンタジーな感じになりました。今考えると、一応の公的文書にこんな小話を寄せる当時の私は何を考えていたのだと、殴りたい気持ちでいっぱいです。



  
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