NoTitle



人と出会うことは雨の中、傘をささずに歩いているようなものだと思うのです。
私は傘をさしていませんから、無数の雨粒に打たれてしまいます。ぐっしょりと濡れてしまうでしょう。
それはきっと隣を歩くあなたも同じでしょう。
しかし、あなたを濡らした雨粒と私を濡らしたそれは全く異なるものです。
その雨粒はもしかしたら空中で砕けた、一つの雨粒だったかもしれません。
もしかしたら全く別の雲から生まれた縁もゆかりもないものかもしれません。
それはどんなに隣り合って歩いていようとも。

私はあなたの頬に触れ、笑います。
濡れているね。
と。
そうしたら、あなたもにこりと笑いました。
あなただって。
濡れた手で濡れた頬に触れれば、互いの雫が溶けて混ざります。
人はそれを交友と呼ぶのでしょう。

降りしきる雨の中、もしも濡れるのが嫌になったなら、傘をさしても構わない。傘はあなたが濡れることを防いでくれる。誰か大切な人とのふたりぼっちな幸せをもたらしてくれる。
そしてなにより。
あなたがひっそりと自分に向かう空間を生み出してくれる。
だけど、忘れないで。
その傘を打つ、無数の雫があることを。
あなたは世界に在るのです。
世界はあなたを祝福しているのです。

今日も雨がさらさら降っています。

温かい、柔らかい、雨が、今日も。

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あとまき
小説、というより散文詩に近いような感じがします。
散文詩とは言ったものの、散文詩が一体全体どのような代物であるのか、いまいちよくわかってはいないのですが。
以前、金子みすゞの長ーい、娘の子育て記のような詩を読んだことがあるのですが、それが所謂散文詩になるのでしょうか。
だとしたら、これは少々違うような気も致します。
考え付いたのはもちろん、雨の日。
傘をさすのが下手なのか、どんなに大きな傘をさしていようとも、雨に降られるたびにびしょぬれになってしまいます。



  
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