黒い髪に紅い椿。矢張り、とわたしは嘆息します。鈴様に椿は似つかわしいものでした。
「可笑しいでしょう」
顔を赤らめてわたしの表情を伺う鈴様。こんなにも可憐で美しい少女を、どうして皆は外見だけで少年だと認識するのでしょう。わたしは思わず苦いものを感じておりました。本当に鈴様に触れたものならば、きっと気付くはずなのです。鈴様の繊細な女性に。
「いいえ。かわいいです。結婚なされるだなんて、勿体ないです」
「冗談ばっかり」
わたしの言葉に鈴様は可笑しそうにころころと笑みを漏らしました。冗談じゃないのだけれど、と心の中でだけで呟きます。けれど、それでいいのです。冗談だと思って、わたしはあなたの、……鈴様の唯一の友人として別れられるのならば、それ以上なにも求めないのです。
「花、今までありがとう」
ひとしきり笑った後、鈴様は不意にわたしを見据えました。わたしもソファに座りなおし、
「こちらこそ、今までお世話になりました」
と、深々と頭を下げました。顔を上げると、ばちんと鈴様と目があいました。鈴様の純な黒い瞳。わたしたちはたっぷりと互いに見つめ合いました。これが最後だとわかっていたから。
「……では、わたしはそろそろお暇いたします。もう少し、準備が遺っておりますので」
さきに口を開いたのはわたしでした。わたしは振り切るように、鈴様の視線から逃れ、辛うじてそう告げました。
「ええ。分かったわ。出立の日は教えて、行けたら、見送りに行くわ」
遅れて、鈴様も言葉を発します。これは社交辞令だと、咄嗟に悟りました。目前に婚姻を控えた鈴様が、一介の侍女の見送りなんてできるわけない。けれど、それでも尚と思ってくれる、その心根がひどく嬉しく感ぜられました。
「はい。もちろんです。……それでは、失礼いたしました」
わたしはソファから立ち上がり、もう一度お辞儀をすると早々、部屋を後にしようとしました。早くでなければ、きっと鈴様の手を取って全てから逃げてしまう、と、そう信じて疑わなかったのです。わたしは、それほどまで深く、鈴様に染まってしまっていたのでした。
「……花」
鈴様が思わず、わたしの名を呼んだとき、振り返らなかったのはそのためです。「はい」と、背中越しに返事をすることは、これで最初で最後でしょう。わたしの振る舞いに、一瞬、怯んだように言葉をためらった鈴様でしたが、それでも思い直して、
「わたし、花の言う通りに幸せになるわ。きっと大変だろうけれど、頑張って幸せになる、なろうとするわ」
と、言いました。
ああ。
「……絶対ですよ。おねがいしますからね」
わたしは慌てて瞳を抑えました。
いけないわ。ずうっと昔に隠すと決めたのだから。
わたしは唇を思い切り噛み締めました。そうして、無理矢理別れの捨て台詞を告げると、その勢いのまま部屋から飛び出ました。結局、振り返ることなく。振り返ることはできず。
ばたん!
と、扉が大仰な音を立てて閉まりました。わたしはそのまま扉にずるずると寄りかかり、はあっと濃い溜息を吐き出しました。
「…………」
言葉は発することが来ませんでした。けれど、この扉の向こうには鈴様がいらっしゃると考えると、離れることはできませんでした。ぼんやりと扉にもたれかかり、言い知れぬ虚ろをもてあそんでおりますと、ぱたぱたと廊下を走ってくる足音が聞こえてきました。
誰か来る。
わたしは慌てて目に溜まった涙をぬぐい、よろよろと立ち上がりました。
「花じゃない! ねえ、お坊ちゃんを見なかった? 大旦那様がお呼びになっているの」
誰が来るのだろうと、茫っと待っておりますと、廊下の向こう側から来たのは侍女仲間の一人でした。彼女はぱたぱたとわたしの下へ駆け寄ると、後ろの扉を覗き込みます。
「お坊ちゃま……」
「もう、鈴太郎様よ、今までお部屋で話してたんじゃないの?」
首を傾げる彼女に、わたしは一度頷きかけ、ふと思い直し、ゆっくりと首を振りました。

「今はこの部屋には”鈴太郎様”はいらっしゃらないわ」



――――――
あとがき
いつぞやに書いたのです。



  
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