ヘ.ヴ.ン



さらさらと、砂の落ちる音がする。
時の死にゆく音が、する。
部屋の主は頭を抱え、一人狂う。
「僕は、僕は、君に幸せに為ってほしいだけなのに」


その部屋は異様な様を呈していた。
白一色で統一された壁に直に据え付けられた無数の棚には、同じく無数の砂時計が飾られていた。棚に置かれたそれらは夥しく、一つ一つの仕様は微妙に、あるいは全き異なっている。同じものは一つとない。あるものは白い柏木の精緻な装飾が施され、またあるものは素材は同じでも一切の装飾がなされていない、と言った風に。
内部で落ち続ける砂の音はあちらからこちらからと際限がなく、ざあああああ……とまるでしとどに雨が降るかのように部屋に響く。
その異様な部屋の中央に、机と豪奢な椅子が据えられていた。青年がその椅子に深く腰を掛け、黙々と手元の木片を削り細工を施している。彼こそがこの部屋の主である。彼は長時間、机に向かっていたが、不意に、
「ああ……」
と、虚ろな感嘆を上げ、作業する手を止めた。木の削りかすに塗れた、砂時計の枠組みがごろりと彼の手からこぼれ、そのまま机を転がった。机のそばには後々、組み合わされることになる中央に向かって収束する独特のくびれをもったガラス製の筒も用意されている。
「あとははめるだけ、か……」
彼は気だるげに額をぬぐい、どこか落胆したような溜息を洩らした。その様子に、完成されゆく物質に対する達成感はほとんど感じられない。
彼がぐったりと椅子に身を預けきっていると、不意にキイと小さく軋む声を上げながら、部屋に唯一ある扉が開かれた。彼はその音につられるように扉のある方へ振り返ったが、扉の向こうに立つ少女の姿を認めるや否や、視線を正面へ戻した。
「なにしに来たの」
ため息交じりの言葉を受けて、少女はびくりと細い肩を揺らした。嫌味を多分に孕んだ言葉は、あからさまに青年の不機嫌を表していた。
「あの、えっと……」
青年の淡々とした言葉に脅え、少女は一層、狼狽の色を表す。それが青年をより苛立たせるとは理解していても、なお。
「いや、いいよ。取り敢えず、入りなよ」
彼はもう一度浅く溜息を吐くと、改めて少女の方へ向き直った。丁度、作業机に寄りかかる格好になる。
「あ、えっと、失礼します」
「砂時計、壊さないようにしてね」
一歩、部屋へ踏み入ろうとする少女を制するように、青年はぴしゃりと言い放った。氷のような冷たい言葉に少女は思わず、後ずさる。暫く、一歩目を踏み出す踏ん切りをつけかねて、ふらふらと身体を揺らしていた少女だったが、結局、意を決したらしく、部屋に一歩、また一歩と侵入っていった。床にも置かれた無数の砂時計を、覚束ない足取りで避けつつ。
「あの、」
少女が言葉を発する。彼は暫く、おどおどと口ごもる少女を彼は眺めていたが、いずれ、見切りをつけたのか机へ向き直った。ふらりと机上で手を彷徨わせ、さっきまで手を加えていた木細工とガラスの筒を掴む。互いに歪みがないかを確認した後、それをおもむろにあるべき形へと組み立て始める。
「……また、お創りになられたのですか」
作業を再開した青年の背中に、少女は眉尻を下げた。切々とした悲哀に満ちた言葉に、青年は、しかし、答えなかった。黙々と作業に徹する。無言を貫く青年に、少女は一層哀しげな表情を浮かべる。
少女は彼を止めるためにここに来た。
少女は彼に仕える者の一人である。彼女は主たる青年の身を案じ、その行為を止めに来たのだ。それは無為なことだと、そこまでは言うつもりはないものの、時計を一つ一つと作るたびに憔悴していく彼を見るのは、彼に生み出されたものとして、彼に仕えるものとして、――辛かった。
少女はその服の裾を固く、握りしめた。いつのまにか、彼女の視界はぼうやりとぼやけつつある。昨日は彼を止められなかった。その前も、その前も。
(だけど、今日は止めなきゃ。……止めたい)
少女は薄く膜を張った瞳で青年の背中を見据え、
「あのっ……!」
彼へと語り掛ける。
否、語り掛けようと、した。
しかし、彼女の言葉は突如の右方の壁からの爆発音によりさえぎられてしまった。
とはいえ、壁自体が爆発したわけではない。壁に据え付けられた棚、そこに置かれたもの、砂時計、その群れが、一斉に、唐突に、示しあわせたかのように、

爆散したのだ。

「……ああっ!」
その、絶望に塗れた声が、自分から出されたものか、それとも青年から発せられたものか、少女には分からなかった。数万という砂時計だった欠片が部屋の上方から爆風にあおられつつ、ばらばらと自分たちに降りかかるのを見ながら、彼女は全くの絶望を味わった。しかし、彼女はほんの数秒も自我を忘れることはできなかった。彼女には懸念があった。彼女には――こういう言い方は不謹慎であろうが――、この部屋に飾られた数万、数十億の砂時計よりも、たった一人の彼のことを案じていた。
「主さまっ」
咄嗟に彼へと駆け寄る。彼女の裸足の足を砕け散ったガラスが襲うが、彼女は一切気に留めない。彼へ駆け寄り、彼の肩を抱き、おずおずと彼を覗き込む。
彼は慈愛である。
彼は慈悲である。
「……主さま」
少女の表情が暗い色に染まる。
彼は、泣いていた。
ガラスを頭から浴びた彼は、その頬に、肩に、いくつもの浅い裂傷を受けながら、それにも構わず泣いていた。彼の瞳に光はなく。彼の瞳に望みはなく。
「主さま、主さま」
彼女が彼に呼びかける。ぎゅう、と後ろからソファの背もたれごと彼を抱きしめる。強く、きつく。
「どうして、だろうか。僕がどんなに一生懸命に創っても壊れてしまう。思ったよりも長く保つ時計もあるけれど、思ったよりもずっと早く壊れてしまうものの方が多いんだ。何度も何度も創っているのに、急に壊れてしまうんだ。何度も、何度も」
こんなに頑張っているのに。ねえ。
虚ろな瞳のまま、青年は独り言ちる。少女の瞳からも大粒の涙が零れおちた。ぼろぼろ、ぼろぼろ。それは彼の手の甲までも濡らす。彼がふと、彼女を見上げた。ぼろぼろ泣く彼女を見て、少し、瞠目した。
「主さま、主さま。もう、やめてください。わたしは、わたしは」
主さまの辛い姿、見たくないの。
「うん。そうだね」
青年は虚ろに頷くと、そっと自分にすがりつく少女の頭を撫でた。彼の手は冷たく、冷え切っていて、彼女は思わず身を固くした。
「だけどね、ほら、彼らは愛し合っているからね、そうするとやっぱり、応えてあげたいね。僕にしかできないことだから」
青年は力なく、それでも明らかに……笑んだ。
砂時計を、創るのだ。新しい砂時計を。そうして、それを棚に並べるのだ。壊れて、壊されて、それでも並べる。散って、散り散りになって、それでも創る。創る創る創る、創って創って創って創って、創る。
「まるで、地獄のようです。無間、地獄のようです」
死んでも死んでも生き返らさされる。苦行に満ちた世界。
眉をひそめて顔を暗くして、告げる少女に、青年はしっかりと首を振って見せた。
「ちがうよ、これは、

天国さ」

ならば、これは無限の愛と無限の殺戮を抱えた、天国だ。
彼は背後の彼女へ向き直り、緩やかに笑った。哀しげな、嬉しげな笑みを見せた。
「これ、向こうの棚に並べてくれるかい?」
彼の手の内では、「一人」の砂時計が創りあがっていた。

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あとがき
久々に描いた小話が強烈なる中二臭を放っております。
気を抜くとくらぁくて鬱々とした話を作ってしまいます。
次は明るめの話を作れることを願いつつ。



  
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